Category Archives for "コンシャスライフ"
何の因果か、マッキー、引き寄せちゃいましたね(汗)。
まったくもっての偶然でしたが、よりによって、なんで当日なんだ…
↓
先日のメルマガ参照
覚醒剤、という言い方は、とても怖い響きと字面がありますが、
極悪犯罪人的なニュースの扱いの方が、よっぽど怖いぜ、と感じます。
日本でファンクラブに入っているクライアントさんが、
30周年コンサートのチケット、優先で取れるのでご一緒しましょ〜♪
なんて誘ってくれていたのですが、
彼女からの悲痛なメッセンジャーで知らされ、衝撃。
ドラッグに関しては、売人ではなく、単に使用しただけ、
の場合だと、日本とアメリカでは、受け止め方が違います。
1.極悪な犯罪者扱いはしないこと
2.中毒は病気として「治療」に回すこと
3.再発防止のため心を整えるケアをすること
4.治療が終えたら、社会復帰を奨励し、
それまでの努力を称賛して暖かく迎えること
厳しいとか、甘いとか、というのとは違って、
まあ、あまりにも日常だし、あまりにもケースが多いので、
罰するよりも、治す、癒やす、
そして、リラプス(また中毒に戻ること)させないこと、
そっちの方に注力する感覚です。
問題、ではなく、
解決、にフォーカスのスポットライトを当てる感覚。
それって、ポジティブな対処法ですよね。
本人負担がなく入れる治療施設もたくさんあります。
そこには必ず、すぐれたカウンセリング・プログラムがあり、
瞑想やヨガを教えたり、グループワークがあったり、
食事の改善を教えたり、自然とふれあうアクティビティがあったり。
心身ともに医療的なサポートを得ながら、
身体の芯から「素の自分に戻る」ことができる場なのです。
なんで知ってるのよ、って思うかもしれませんが、
アメリカには、そういう施設を舞台にしたリアリティ場組だって
複数あるし、セレブだけが出てくる番組だってあるのです。
もう終わっちゃったシリーズですが、大好きだった「セレブリティ・リハブ」。
皆、人間だし、皆、悩みを抱えているし、痛みや怖れに怯えているのです。
薬から、じゃなくて、その根本原因に立ち向かう勇気を持ち、
癒やし、癒やされ、
根雪のような氷を溶かしていくことをしない限り、
表出している「現象」は終わらない。
それをまざまざと見せてくれるのですよね。
彼らの苦しむ姿を見れば、
人が無神経に批判していい話じゃないとわかるはずなんです。
ほんっとに、それだけ問題が大きいし、
大きいから、もう刑務所なんていっぱいで、こんなことで入れないし、
入ったら、犯罪者同士が仲良くなっていくだけで、意味ないし、
というのは日本もそうで、田代さんもお話されていました。
そこで繰り広げられる、人の成長物語が私は大好きで、
なんせ、コーチですからね、闇をさまよう人たちが、
長く孤独な心の旅の果てに、一筋の光を見出していく姿に
共感し、応援し、人の強さというものに、感動を覚えるわけです。
単に罰してみたところで、そのことで傷つき、疎外され、
また薬に助けを求めるしかなくなります。
責めて、戒めて、辱めて、尊厳を損ねて、
ずたずたのボロ雑巾のようになる姿を見るまで、
容赦しないメディアとか、本末転倒。
人を簡単に裁く人は、
自分が裁かれることを恐れて、手足が縮こまって生きています。
セカンドチャンスを信じ、失敗を恐れず、
暖かく迎える人の存在を疑わず。
チャレンジする人を、無条件に応援する自分でいたいよね。
不倫やドラッグや、いろんなスキャンダルに耳を貸さず、
ましてや「加担」などせず、
己の人生に集中せい!
と、自分に言い聞かせたいです。
よっぽど好きな話題なのか、
気づいたら、同じ話題を何度も何度も過去に書いていました(汗)
↓
セカンドチャンスを許さない社会は救いがない。僕らはどんな社会を創るか選択できる
アメリカ大統領の年に一度の年頭スピーチを、
議会を司る議長という立場の人が、
ビリビリ破ってみせるパフォーマンスに、
主義を一緒にする人たちも、かなり唖然。
その感情的な態度が恥ずかしい、というコメントが
党派に関わらず、全方位から聞かれました。
日本でも、状況を冷静に見ている方々からは、
「多様性」を旗頭とする左派勢力こそが、
相手の主張や政策にリスペクトを持たない
という言論が出るほど。
いや、これ、最近、とみに目立っているんですよね。
怒り、という感情をあらわにしながら、
声高に「正義」を振りかざす人々はやたらと怖く見えるし、
そこには本来あるべき「寛容」の欠片もなければ、
意を異にする人々へのリスペクトもまるでない。
その一方的さ加減は、「暴力的」にすら見えるときもあります。
子どもも見ている「アメリカのあり方」を学ぶ場で、
こんな大人になっちゃダメよ、っていう姿を見せられて、
あちこちで、語り草になってしまいました。
もちろん、それを擁護し、称賛する人もいますけどね…。
(注:政治的信条の話をしているのではありません。)
かたや日本では、こんな記事を見て、
あー、こんな大人にはなりたくないし、
こんな世界を作りたくないし、
これを日常で見て育つ子どもは
どんな大人になるんだろう、とゲンナリします。
訴訟が多いと言われるアメリカですが、
公園が、こんな風に看板で埋め尽くされるようなことはありません。
他人種、多文化な割には、そこは
「常識」の範囲で、皆で折り合いつけてくれって感じ?
子どもを対象とした犯罪に対しては、
厳しすぎるほどに目を光らせているけれど、
でも、当の子どもたちの、のびのびとした遊びの場を奪って
「禁止事項看板の博物館」にしちゃうのは、本末転倒。
何やってんねん、って感じですよね。
私も、自分ファーストでいこう〜とか言ってますが、
それとこれとは、全然、意味が違う。
大人を大人として扱えば、看板だらけにはならないのに。
日本は観光地に行っても、無粋な看板が多くて、
景観を守るために「看板禁止法」があるハワイから行くと、
びっくり仰天したものです。
どんな社会にいたいのか。
どんな未来に生きたいのか。
それらは、全部、自分たちの手中にあるのに、
今、この瞬間の、目先の感情に溺れて判断を失うと、
見えなくなってしまうのですよね。
だから、10年先、20年先、50年先の未来をリアルに想いながら、
「逆算した今」を、先取りして、生きること。
深呼吸して、胸に手を当てて、我に返って。
すべてはうまくいっていると、ただ信じて。
すると、見えてくる違う選択があるはずです。
↓
お知り合いのサービスを体験したら良かったので、
本サービスに進もうとしたら、
お友だち料金を提示していただいた。
でも、この方(アラフィフ女性)は、
「いえ、正規料金をお支払いします」
と、お断りしたそうです。
だって、私、ちゃんと払えるし、
これからも、払える自分でいるから、と。
カッコいいですよね〜。
お金って、なんだか不思議なものですよね。
こっちには出せるのに、あっちには出せなかったり。
消費税には文句言うけど、
勝手に値上げされてる社会保険料にはおとなしかったり、
本代・雑誌代・お菓子代に数千円以上も毎月かけてるのに、
Kindleのアンリミテッドサービス980円は出せなかったり(笑)。
最後の事例は、私が100回くらい書いているかもしれない
アマゾンの素晴らしいサービスなのですが、
ようやく試してくださった数名の方々から、
ここ数日で、感謝のお言葉をいただいたりして、
いやあ、嬉しいのですが、正直、
「試すの、遅いよ」って感じでもある(笑)。
もちろん、やらないより、今からでもやるのは素晴らしいことで、
「良かったですね!」と称賛しています。
アマゾンのFIREタブレットと合わせてお買い求めになると、
ますます、その価格破壊ぶりにやられます(笑)。
試した皆、大感激中です。
やらない理由はなんだろう?(本を読まない人ってことか…)
人は、自分が払える額しか、人にも請求できない。
これは、起業塾とかでも盛んに言われることです。
お金は、循環するもので、
出した分、ちゃんと入ってくる、とも言われます。
まずは、自分の中の「お金のセルフイメージ」とやらを
グイーンと引っ張って広げないと、ダメなんですね。
心屋さんの、神社ミッションとかも、
そういう意味で、提唱されているわけです。
損得勘定から離れて、お金を単なる紙切れとして考え、
そこに勝手に込めたエネルギーを
「手放す」ための儀式、なわけ。
ケチくさいエネルギーを溜め込むよりも、
出すべきときには、バサーっと気前よく出す方が、
何がいいのかというと、きっと
「お金の不安が少なくなる」
ということなのかもしれません。
恐怖や不安から、溜め込んで、溜め込んで、
箪笥貯金にしたまんま急急逝し、
処分された箪笥から、数千万もの現金が見つかるとか、
笑えない話が聞かれる昨今。
皆が溜め込むから、社会に循環しなくて、
安物ばかりが流行るようになり、
安物しか買えない所得レベルに全体が下がっていく。
ほしいものがあったなら、パーンと使える自分でいたいですね。
その額が、どんどん大きくなってくると、
入ってくるお金も大きくなってくる、らしい(笑)。
器が広がる、ということのようです。
さて、私が今度、ご案内するプロジェクトに、
スパーンと気持ち良くお金を出せるでしょうか?(笑)
皆さんのお金マインドの限界に挑戦する価格にしよっかな(笑)。
その前に、お前がチャージできる勇気あるかどうかだろうよ、
って声が聴こえてきそうですね…(汗)
小さいけれど、確かな幸せを、
小確幸
と呼んで流行らせたのは、村上春樹さん。
そのことについて書いた記事、検索でも人気です。
↓
で、最近、気づいたのですが、
その逆も、あるよな、と思うのです。
つまり、
小さいけれど、確かな「不幸せ」
小確不幸?(笑)
先日、少し体調乱れて、口内炎が痛かったときとか、
犬がせっかく出した良い肉を食べなかったときとか、
期待して買ったデザートが美味しくなかったときとか、
たいした規模感ではないのですが、
確実に、なんか自分を落としてしまうような、できごと。
あるな〜、結構、って感じではありませんか?
だから、何? ってことじゃないのですが、
たまたま発見したので(笑)シェアしたかったのです。
あなたにとっての、小確幸、って何かな〜
あなたにとっての、小確不幸って、何かな。
何気ない日々の中で、
自分の気分を上げたり下げたりしている要因が
どこにあるのかってことを観察してみるのも、
ちょっとおもしろいです。
なんでもない日常を、愉しむコツ、かもしれないですね。
先日、ハワイ時代の経営者仲間が、
お子さんを連れて、家に訪ねて来てくれました。
いろいろ周囲を紹介して回りながら、
あ、自分の今の暮らしは、かなーり
小確幸で塗り固められているかもな〜と再認識。
なんでもないことばかりなんだけれど、
とっても共感してくれて、羨ましがってくれて、
そんなの見ると、たくさんある小確不幸も
どっか飛んでっちゃう感じでございました。
こういうの、しょっちゅう思い出してないと、ダメね。
↓
昨日は、家族のため、を優先しがちで、
なかなか自分がリラックスしたり、
好きなことに没頭したりすることに時間を避けない
お母さんのことを書きました。
でも、これ、実はお父さんだって、同じだったりするんですよね。
アメリカでは、家を建てる時や、改築する時に、
お父さん部屋を作ることが、ひとつのテーマになったりするんです。
それはときに地下室だったり、屋根裏部屋だったり。
その部屋のことを、Man Cave(マンケイブ=男の洞窟)と呼ぶのですが、
誰にも邪魔されない、という閉じこもり感覚が大事みたいです。
日頃から、外で人と働き、社交し、人のノイズの中で暮らしているから、
ヒキコモリになりたいのですよね、皆(笑)。
男は、少年に戻りたい。
好きなだけ、ゲームをやりたい。
本を読みたい、映画を見たい、スポーツ中継に熱中したい。
そこに、女子供(失礼)を入れたくない、という意識。
クリックすると、すごい凝った部屋の数々が見れます。
↓
Man Caveの実例
家族時間はちゃんと持つから、頼むから、
少年に還れる、ひとりの時間もください、ということで、
その部屋の存在があるのです。
奥さま方は割と勘違いしがちで、でかけても早く帰らなきゃ、
って焦ったりして、真逆の行動をしがちです。
家をあけることに、無用な罪悪感、勝手に抱えているのですよね。
ホーム・アローンの映画とか、思い出すとよろしいです。
家にひとりきりで嬉しそうな男の子。
あれが、旦那の基本形。
もちろん個人差ありますし、男女が逆パターンっていうのもあるし、
男女揃って、そういう部屋がほしい、
という組み合わせだってあるでしょう。
うちも、割とそんな感じで、互いの入らない、
干渉しない部屋を持っています。
私の場合は、単なる書斎、仕事部屋ですが、
そこに居心地良いソファや小型のテレビは置いてあるし、
好きな読書や映画三昧、じゃまされずにできる、はず。
ま、そんな自由な時間を気楽に楽しめる自分になることが、
今、目の前のテーマかな、と…(涙)。
今年はそのために、いろいろ捨てて、
いろいろ身につけて、自分改革に励みます。
年末にクライアントの親御さんが急逝したり、
年をまたいで親の介護にいそしむ方の暮らしぶりをうかがったり。
時期に関係なく、人っは病いに伏し、命を落としたりするものですね。
思わず、2015年の夏に亡くなった父のことを思い出しますが、
そういえば、19日は彼の誕生日でした。
生きていたら、86歳の様子。
ってことは、ひとつ年下の母親は、来月で85歳だ〜、と
ググっていて知りました。
昭和から年齢を計算するのは、なかなか難しく(苦笑)。
父の通夜には、近所に住む母親の兄弟姉妹が集い、
彼らの息子や娘や、そのまた息子や娘が来てくれて、
家族葬、という割にはにぎやかな通夜となりました。
「こういうときに子供にも見せておかなきゃ」
という声も聞かれました。
昔は、お爺ちゃん、お婆ちゃんが家で亡くなったり、
結構、身近に死やお葬式はあったのかもしれません。
でも今は、寿命も伸び、別々に住む核家族化も進み、
お葬式を見ることも、参列することも、なかなかなかったり。
参列している自分も70代、80代だったりするし、
こりゃ、良い機会だから(うちの父の葬儀ですが・苦笑)
子どもらに、どんなものか、ちゃんと見せておかなきゃ。
そんな感じで、いとこやいとこの子どもたちも
無理やりのように、連れてこられていましたね。
もう20年も30年も会ってなかった人たちばかりで、
昔はよくお祭りで集まったものですが、
核となった方が亡くなったりすると、そんな風習すらも遠のいて、
会うのは誰かの葬式でだけ、みたいなことになるようです。
それはそれで、故人も喜んでくれるに違いない、と私は思いました。
人の死が、こうやってまた人と人とを引き合わせて、
関係性をリフレッシュし、再開させてくれたりもする。
家族や親類たちが結びつくきっかけを作ってくれる。
友の突然の死のときもそうだったけれど、
父のときもまた、そう感じました。
実は私は、なんだか大家族の輪の中で育っていたのですが、
そのことの温かさや、とても可愛がってもらった子供時代を、
鮮明に思い出させてくれました。
これは2014年夏の記事。
↓
これから2カ月くらいして、
父も手遅れの胃がんと診断されたのでした。
この時期、風邪をひいたり、インフルエンザにかかったり、
冷えで体調不良を起こしたり、ということはあると思います。
あります、よね?
それ、しょうがないですよね?
なった自分を責めてみても、何も解決しない。
あのとき、こうしたから、ああしたから、と記憶をたどって後悔し、
そんな自分を戒めようとし、体力ないとか、
自分を責めたところで、意味がない。
そもそも、体力と病気は関係なかったりもしますしね。
でも、結構、多くの方が、知らずにやってしまっていることかもしれません。
穴をあけた仕事のこともあるでしょう。
家事を代わってくれた家族への気遣いもあるでしょう。
でも、それを必要以上に「迷惑かけた」と思わなくても、いいですよね。
きっとあなたも、他の人が具合悪い時に、
ちゃんとカバーしてきたのだし、これからもするのだし。
持ちつ持たれつを、逆側から学んで受け入れるレッスンでもある。
病気はときに意味があって起こるものでもある、と言います。
リバースエイジングプロジェクトでもお伝えしますが、
かつての自分改革時に読んだ大量の本の中で、
そんなことを教えてくれたものが、日米ともにいっぱいありました。
熱が出て、汗をかくまでは苦しいけれど、
猛烈に汗をかいて、寝て、汗かいて、寝て…を繰り返したあとで、
完全に熱が引いたときの、あの
快感!
ああ〜、なんか悪いものが全部できったかも、
と思うほどに、節々の痛みや、慢性的なコリや、
ボーッとした頭がクリアになっていたりしませんか。
そのデトックス効果を信じるようになってからは、
熱冷まし、というのを、あえて飲まないようになりました。
ま、少しは休めや、と言われているのでしょうしね。
天からいただいた、強制終了。
ありがたく受け取りましょう。
冬はついつい身体が縮こまり、運動量も減る時期。
風邪を恐れて、守りにばかり気を配るのではなく、
抵抗力が強く、回復力あるカラダを作るためのヒントを、
パーソナルトレーナーの友人が書いていました。
ぜひ参考に〜
↓
メルマガ購読も、必須ですよ〜
また少し愛の交換日記プロジェクトの話の続きになりますが、
何人もの人が、こんな言葉をノートに書いてきていて、
自分も、まったく同じ経験をしてるので、
面白いな、と思っているところなんです。
「日記を書くときに涙が出るのは、なぜなんだろう?」
目が疲れてる?(笑)
ってのは冗談として、
自分では普段意識しない、深い部分が開いたりして、
「ゆるむ」状態になるのでしょうかね。
ゆるむと、感情も開く。
そして、なぜか涙が出る。
たいていの場合、それは「嬉しい」涙のようです。
アメリカのリアリティ番組でも、よく、
心理的な問題を解決しようとする人に対して、
ジャーナル、という、まあ要は日本でいう日記みたいなことを
やらせるのですよね。
思いつくまま、ただ気持ちを書き連ねるだけ。
記録する、でもなく、お題があるわけでもなく、
ただ、思いつくことを、ノートに記していくと、
閉じ込めていたものが、ふわーっと出てきちゃって、
自分で驚くわけです。
口で言えるようになるのは、その先のことだったり。
ブログ、とか、スマホのメモ帳とか使ってもいいんだけれど、
でも、やっぱり、紙のノートにペンで書く、という
昔ながらの方法が、感情が開きやすいようですので、
思いついた時、やってみると良いかもしれません。
愛の交換日記プロジェクトでは、ちゃんとお題を決めて
その意味もオリエンテーションのセミナービデオで
お伝えしつつ、ナビゲートをしています。
だからこそ、効果も早く出ているようです。
↓
一週間を振り返ってみると、
本当に長い時間、ずっとずっと家にいて、
だから、セッションなどで他の人の暮らしを聞くと、
それだけで疲れがドッと移ってしまいます(笑)。
よく、そんな暮らしを何年も続けられるものだなあ…
という方も、ものすごくたくさんいる。
「身体が辛いので、もう辞めます!」
そうやって、自分で区切り決めて辞めた方々も多くて、
このままじゃ、やべーな、って感じたのでしょうね。
でも、なまじ体力があって、気力もあって、
ちょっとしたことでガス抜きするコツを知っていて、
という方は、割と、家に着いたら11時、的な生活してても、
平気だったりするようです。
ま、それで壊れないんだから、きっと人それぞれに
リミットっていうのは違ってて、
他人と比べるような話じゃないのかもしれないですよね。
自分も、世の中の常識では、
「それはいかん」と言われていることもしているし、
でも、まあ、とりあえず元気でやってるし。
ただ、自分の身体のサインに気づけなくなると、
ちょっと危ない。
あ、なんか疲れてるな、普通じゃないな、と思ったら、
潔く休みましょうね。
キャリアアップのため、仕事の実力をつけるため、
プロジェクトを成功に導くため、家族を幸せにするため…
なんて具合に、「なにか」や「誰か」のために、じゃなくて、
自分のために、何がベストかを、まずは考えよ。
私も今年、自分に課していることのひとつに、
「ちゃんと休む」をあげています。
なので、今日は火曜日だけど、昼寝します(宣言)。
でも、それ、結構、勇気や度胸がいることなんですよ。
私にとってはね。
こんな記事、自分に今一度、読ませたいわ(笑)。
↓
昨日は、数日前からニュースでも大騒ぎしていた
大規模な雷雲がやってきて、予想通りの雷と雨と風。
竜巻注意報も、出たり消えたり出たり消えたり。
安定して穏やかな温かい日が多いテキサス北部ですが、
荒れるときの荒れ方が猛々しく、怖いっす(笑)。
とりあえず嵐は過ぎた朝。
早朝に(日本は夜)セッションしてたら、外で雨の音。
それがだんだんと聞こえなくなっってきたな、と思って窓の外を見ると、
雨はいつしか雪に変わっていました。
冬に生まれたせいなのか、私はもともと冬が大好きでして、
ハワイやロサンゼルスにいたので南国好きな人と思われがちですが、
実は真反対で、暑いのは(とくに湿気が強い場所は)苦手です。
とはいっても、気温0度がせいぜいで、マイナスの世界は知らない。
「そんなの冬じゃねーよ」と笑われちゃうような、
激寒の地域がアメリカにもいっぱいあります。
半年以上も、太陽が出てこない場所だって、ある。
人は、なぜ、それでも、そこに住むのでしょうね。
人と土地の関係、みたいなことも、最近、考えたりします。
この映画の影響もあるかもしれません。
国を超えての移住は難しいとはいえ、国内ならば選択はある。
なのに、災害があっても、孤立しても、「ここは絶対に離れない」
そういう方は、いっぱいいますよね。
それって、慣れ親しんで、居心地良いから、出られない、
ということなのか、それとも、
自分はここで骨を埋める運命だから、まっとうしたい、
という、何らかの天命みたいなものを察して思うのか、
どっちなんでしょう。
私はとりあえず今はテキサス北部にいますが、
いつでもどこでも、動くのは構わないかな、と思っています。
ヒキコモリ系だけど、腰は軽いよって感じで(笑)、
いくつかの条件はあるけれど、それさえまあまあ満たせれば、
どこでも住めるのかな、という気がするのですよね。
それは、何度か大きな引っ越し体験をしてきたゆえの、
ある種の耐性というものなのかもしれません。
それって、「転職」とかでも、言えたりするじゃないですか。
大きな会社に新卒で入って、動いたことがない人は、
辞めるのに、とんでもない覚悟が必要だったりもする。
「ある特定の場所でしか使えない能力」を
どこでもありがたがられると勘違いしていると、
結果、受け入れ先もなかったり。
普遍性、というか、応用力、というか、
自分のスキルや知識や能力を、万人受けするものに昇華するために、
「動く」ということが役に立つんですよね。
土地への対応力も、きっと同じこと。
寒いのダメ〜、暑いのダメ〜
海がないとイヤ〜、都会じゃなきゃイヤ〜
和食がなきゃ死んじゃう〜
なんて決め込んで動かずにいると、耐性も育たないし、
世の中にまだまだあふれている楽しい未知なる世界を、
見逃してしまうかもしれません。
あえて、「楽」から離れてみる。
あえて、「不都合」を受け入れてみる。
あえて、「真逆」に飛び込んでみる。
そんなことが、長い長い人生を、
より豊かなものにしてくれるのかもしれませんね。
雪の土曜日の、雑感でした〜。