ディスカウントなんていりません。だって私は払えるから

お知り合いのサービスを体験したら良かったので、

本サービスに進もうとしたら、

お友だち料金を提示していただいた。

でも、この方(アラフィフ女性)は、

「いえ、正規料金をお支払いします」

と、お断りしたそうです。

だって、私、ちゃんと払えるし、

これからも、払える自分でいるから、と。

カッコいいですよね〜。

お金って、なんだか不思議なものですよね。

こっちには出せるのに、あっちには出せなかったり。

消費税には文句言うけど、

勝手に値上げされてる社会保険料にはおとなしかったり、

本代・雑誌代・お菓子代に数千円以上も毎月かけてるのに、

Kindleのアンリミテッドサービス980円は出せなかったり(笑)。

最後の事例は、私が100回くらい書いているかもしれない

アマゾンの素晴らしいサービスなのですが、

ようやく試してくださった数名の方々から、

ここ数日で、感謝のお言葉をいただいたりして、

いやあ、嬉しいのですが、正直、

「試すの、遅いよ」って感じでもある(笑)。

もちろん、やらないより、今からでもやるのは素晴らしいことで、

「良かったですね!」と称賛しています。

アマゾンのFIREタブレットと合わせてお買い求めになると、

ますます、その価格破壊ぶりにやられます(笑)。

試した皆、大感激中です。

やらない理由はなんだろう?(本を読まない人ってことか…)

人は、自分が払える額しか、人にも請求できない。

これは、起業塾とかでも盛んに言われることです。

お金は、循環するもので、

出した分、ちゃんと入ってくる、とも言われます。

まずは、自分の中の「お金のセルフイメージ」とやらを

グイーンと引っ張って広げないと、ダメなんですね。

心屋さんの、神社ミッションとかも、

そういう意味で、提唱されているわけです。

損得勘定から離れて、お金を単なる紙切れとして考え、

そこに勝手に込めたエネルギーを

「手放す」ための儀式、なわけ。

ケチくさいエネルギーを溜め込むよりも、

出すべきときには、バサーっと気前よく出す方が、

何がいいのかというと、きっと

「お金の不安が少なくなる」

ということなのかもしれません。

恐怖や不安から、溜め込んで、溜め込んで、

箪笥貯金にしたまんま急急逝し、

処分された箪笥から、数千万もの現金が見つかるとか、

笑えない話が聞かれる昨今。

皆が溜め込むから、社会に循環しなくて、

安物ばかりが流行るようになり、

安物しか買えない所得レベルに全体が下がっていく。

ほしいものがあったなら、パーンと使える自分でいたいですね。

その額が、どんどん大きくなってくると、

入ってくるお金も大きくなってくる、らしい(笑)。

器が広がる、ということのようです。

さて、私が今度、ご案内するプロジェクトに、

スパーンと気持ち良くお金を出せるでしょうか?(笑)

皆さんのお金マインドの限界に挑戦する価格にしよっかな(笑)。

その前に、お前がチャージできる勇気あるかどうかだろうよ、

って声が聴こえてきそうですね…(汗)