Category Archives for "LGBT"
最近、アメリカでは、というか、世界的なファッションシーンのトレンドなのだと思いますが、いろんな意味でのダイバーシティを繊細に意識して、表現としても取り入れています。
ちょうど届いた有名百貨店のメールを飾るトップ写真でも、人種も、年齢も、そして体型も、実に「いろいろ」。
とくに、体型の面では、エブリデイピープル(普通の人々)が、ありのままで自分を愛せることが素晴らしいのだと訴えるために、「プラスサイズ」のモデルを必ず混ぜたりして、ダイバーシティを訴えるのが、今風です。
トランスジェンダーのモデルを使うのも、新しい流れですね。
ハワイで活躍するクライアントが、ハウィのモールでは、マネキンさえ「プラスサイズ」だと興味深い写真をFacebookにポストしていました。
ちょっとここに拝借。
「自分」がイメージできる人たちがいっぱいいるし、なんか、勇気づけられますよね。
言葉狩り、みたいなポリティカリー・コレクトから抜け出して、地に足着いたダイバーシティが広がってきているなあという実感があります。
なんて光景を日常に見ている世界に住んでいて、こんな日本のニュースを読んだりすると、めまいでクラクラしてしまう…
↓
生放送のニュース番組で
コメンテーターが激怒
「人権感覚の欠如」
ネット賛否
続報
↓
性別のわからない常連さんに、どう接していいかわからないので、調べてほしい、みたいな依頼を受けて、TVレポーターが性別確認に突撃。
下の名前聞いたり、胸触ったり、保険証を確認したりして、性別判定をした、という話。
あまりのギャップに、同じ世界を同時期に生きているのかと、夢を見ているような気分にもなるのです。
そもそも、その店では性別で何か対応を変えるのか?と、質問した人の意図もよくわからないのですが、それを、「おもしろおかしく」ネタにして、性別確認を公開の場でするなんて、ここ数年、話題になっているジェンダー問題の本質がまったく見えてなかったんだな、というのが、モロバレで、お見事。
ダイバーシティとは、「人権」のお話なんですよね。
予定調和が当たり前のテレビの生放送で、コメンテーターさんは、よくちゃんと激怒できたなあ、と、その勇気に拍手。
自分にできるだろうか。
激しい「違和感」を咄嗟にクチにすること、怒りとして表現することが、その場で自分にはできただろうか。
そんなことを見つめ直してしまう一件でもありました。
こんなことをネタにして笑うようなテレビ番組、くだらないし、幼稚そのもの。
いじめの構造にもつながること。
早く淘汰されてほしい。
ますます加速する超・高齢化社会に期待されているのは、
社会の成熟度です。
大人の多い国になるんだから、知識も教養も倫理感も繊細さも大人レベルにアップグレードして、世界の見本として尊敬されるような、エシカルリーダーになってほしい。
その過程では、怒りの表現や、混乱や、対立議論が不可欠。
それを経てこそ、意識の書き換えが進んでいくわけですからね。
5年前に、アメリカの多様化について書いた記事がいつの間にやら5000回くらい読まれていました。
家族の話だけれど、常識は常に変わってる、という意味で、ぜひご一読を。
↓
アメリカの多様化する「家族」のあり方。
男親・女親が揃った家庭は
50年で92%から67%へ激減
(バレンタインの日に発信したメルマガを転載しています)
アメリカは今日がバレンタインなのですが、こちらでは、男性が女性にバラの花束を贈り、ロマンチックなディナーに誘うのが決まり。
夫婦でも、関係をちゃんと保とうと努力している男性は、きちんと、この日とばかりにワイフ孝行に務めます。
世の中の女性が皆、大切に扱われている日に、何もしないなんて、もっての他。お父さんとお母さん、ではなくて、「男と女」であり続ける努力をするのが大事なんですね。
今夜は、アメリカ中の素敵なレストランが、カップルでいっぱいになります。
うちは、別にそういうなんとかデー、とか気にしない二人で、ヨソ様からは味気なく見えるのかもしれないのですが、本人たちは「毎日がスペシャル」な脳天気な感じで生きております。
一応は挨拶で「Happy Valentine’s Day〜」とか言うのですが、別に普段から甘いもの大好きで、週末オンリーと決めつつも、しっかりと食べてるし(笑)、花を飾る習慣も今は飽きてお休み中なので、バレンタインにはとくに何もしません。
と思ったら、昨夜、ピンポ~ンとドアベルが鳴り、相方が自分でオーダーしていたチョコレートのボックスが2箱、届きました。
ひとつは、自分用。もうひとつは私向けに、というのは建前で、私もいくら甘いもの好きでも、中身ぎっしりのアメリカのチョコをひと箱食べることはできず。
結局、彼が1箱半くらい食べることになるのを知っていて、要は自分向けプレゼント。この人は、そういうところ、わかりやすくていいです(笑)。
自分のほしいものを自分たちがそれぞれしっかり把握していて、欲しいものは自分で手に入れる、という考えで、人に期待しないドライさが、長年一緒だと、なんとも気楽。
たまたま、このロサンゼルスでは有名なチョコレート屋さん「See’s」の本部&工場脇を車で通ったのですが、表に男性の行列ができていました。ラストミニッツですね~。
アメリカ人も、やっぱりバレンタインのスイーツ、大事なんでしょうね。トレーダージョーズとかでも、ハート型のピンクのリボンかかったケーキとか売ってるし。
スイーツって、Sweet=甘い、という言葉の名詞なわけですが、そもそも「やさしい」とか「すてき」とか「ナイス」的な意味合いで使われることも多い単語です。
「That’s sweet」とか、いいね、いかすね、気がきいてるね的な感じで、最近は男でも使いますしね。
コーチングの中では、パートナーシップ、愛情、セックス、みたいな話になっていくことも多いです。というか、ほとんどの場合、ひっくるまっていきます(大事なファクターなので)。
誰かが決めた「理想の関係」を追い求めると、辛い結果になったりします。今、目の前にたまたまいてくれる人と、どうしたら幸せな暮らしができるのか。相手を変えず、自分が変わる。
主体的にならないと答えは見えてこないのですが、さて、じゃあ自分にできることってなんだろう? それを一緒に考えます。
今、誰もいない、という方は、どんな未来の暮らしがしたいから、パートナーがいるといいなと思うのか。その姿を思い描くことも大事です。
見栄や恥から、一度は結婚しておきたい、って言う方も多いですけど(苦笑)、そんな風にして選ばれた人がかわいそう。人間はものではないのですからね。
まずは理想の未来の暮らしを描き、それにふさわしい自分になる。すると、意外なところから、その未来を一緒に形作るパートナーが現れてくるものなのかもしれません。
まずは「自分」。わがままに、贅沢に、自分ケアをしていくことが、実はパートナーシップの秘訣でもあるのだと考えています。
人種差別に関するシャーロッツビルの一件で、アメリカのメディアは賑やかです。
あらためて大統領の資質、人格を問う声が、あらゆる角度から高まっていて、このまま続けていって、政権が機能するのだろうかという疑問すら湧いてきます。
ただ、人種問題、差別問題に関しては、そもそも「そこにある」ものが表面化しているだけ。
今日もニュース記事で、こんな表現を見て、思わず実感として同意しました。
「Trump is not a cause, but a consequence.」
(トランプ氏は原因ではなく、「結果であり」「もたらされたもの」である。)
差別は、目を向けてみれば、ちゃんとそこにあったりします。
でも、普段、意識することはまったくない。
少なくとも、ハワイやロサンゼルスの暮らしの中で、それを意識したことは、23年の生活の中で、ほぼ皆無。
たまーに、こんな可愛い、子どものからかい、的なことがあると、だから、少し驚きますが、彼らの中にある、何らかの「違和感」「同じでないものへの怯え」「支配できないものへのいらだち」などを仄かに感じ取って、人間、あるいは生き物の中に仕方なくある、身を守るための本能のことを思ったりもします。
差別に関して、もうひとつ、別な記事を書いてみました。
【2017年5月のメルマガより】
クライアントさんが会長を務める
「男女共同参画」を推進する会が
主催の催しなのですが、
ハワイとロサンゼルスで体験してきた
平等やら差別やらに関わることや、
自由なライフスタイルのことなんかを
とってもカジュアルにお話します。
LGBTですし、外国人ですし、
学生もしたし、経営者もしたし。
多人種、多文化が入り交じる
ふたつの異なる都市で、何を見て、
何を体験し、何を学んできたのか。
差別とか、ないようで、あります。
否、あるようで、ある、のかな?(苦笑)
昨日も、家の駐車場で工事の人の
荷物がじゃまで真っ直ぐ駐車できず。
すると、それを見ていたひとりが、
「ストレート(真っ直ぐ)には
やっぱり停まれないか~」
みたいなことを言いながら、同僚と
ふたりでクスクスと笑いました。
ストレートって、真っ直ぐ、という
意味ですが、ゲイではない人を
さした言葉でもあります。
ふーん、幼稚なオッサンらだな、と思い
(たぶん向こうが年下なのですが・苦笑)
無視していたら、今度は聞こえよがしに
こう言いました。
「ま、俺らの言うことなんか、きっと
一言も理解できてないんだろうけどな」
おー、今度は外人差別言葉かー。
お前らとは前にも会話してんじゃねーかよ。
切れてやろうかな~とも思ったのですが、
今日はいいや、とおさめておきました。
いろいろ朝から良いことあって、気分が
高揚していたので(笑)、ここはあえて
素通りしておきたかったのです。
移民の街、LAでさえ、こうですから。
しかもLGBTの街ウエストハリウッドに
住んでいてさえ、これですから。
外国人やゲイ人口の少ない場所に
住んでいたら、身の危険に日々
怯えなくてはならない社会でも
あるのです。
アメリカは、それほどまでに広く、
価値観も信条も多種多彩です。
だから、常に違いを意識するし、
常にそれで闘ってるし、
常に常識を新たに塗り替えています。
それでも、社会の底辺には、
「フェア=公平」という価値観を
守ろうとする力学があって、
そのことが、最終的にものごとを
良い方向に変化させる原動力に
なっている気がしています。
働く現場での「平等」「公平」は、
経営者として、さんざん学び、
日々、意識して実践してきました。
LGBTの権利獲得運動を、23年も
間近で見届けてきました。
福岡では、わかりやすい日常の
エピソードを通じて、そんなことを
共有していきます。
難しい話は、一切ありませんので
もし近隣の方で、興味ある方がいたら、
ぜひお越しください。
ちょっとこれまではお話したことのない
新鮮なテーマです。
イベントレポートはこちら!
↓ ↓ ↓
性別、年齢、関係ない!
ハワイとLAで学んだ
アメリカが目指す「ほんとの平等」
6月はプライド月間。
各地でパレードやら、各種イベントが行われます。
そんなこんなもあって、過去に書いた記事に検索で辿り着く人が多くなっているようです。
これとか↓
これとか↓
6月8日から11日まで、日本から訪れたトランスジェンダー氏を案内しながら、私自身も、LAのプライドに参加してきました。
彼は、クラウドファンディングで資金を集め、世界23カ国、28都市を訪問し、各地のLGBT事情を肌で感じ、リサーチしてこようというプロジェクトを開始。
「Rainbow Journey Project」は、150万円近くを集め、無事に成立。
プライド月間からスタートして、8月上旬までの70数日、バックパッカー的な旅が続くそうです。
「彼」藤原直さんのインタビュー記事はこちらから。
世界26都市からLGBTの事例や当事者インタビューを発信!「Rainbow Journey project」6月1日のスタートを前に、藤原 直さんにインタビュー!
彼は、女性に生まれつつ、男性の身体に転換して、戸籍の性別も変えた方。
「FTM、って言うんです」
その記号、Facebookの自己紹介でも使ってたけれど、私は何のことか、知らなくて。
聞いたら、Female to Male(女性から男性性へ)という意味なのだそうです。
MTFは、Male to Femaleで、男性から女性へ。
トランスジェンダーは、ゲイ、とは違うんですよね。
だから、LGBTと、ひとくくりにされても、それぞれの間の垣根は結構、高くて、同じLGBTだから理解できるでしょ、というのは、早とちりで。
話してみなければわからないことばかりです。
分かり合えるのは、「少数派として生きるにあたっての、さまざまな不都合なことと、それに対応してきた過去のエピソード」だったり。
それにしても、「単なるゲイ」と、トランスジェンダーとでは、その不都合レベルも違うんですよね。
マイノリティの中のマジョリティ、という不思議。
たぶん日本よりは何10年分も先に進んでいるのだろう、LAのゲイの発信地、ウエストハリウッドの街を目の当たりにして、彼も度肝を抜かれていた感じです。
そんな街に住んでいると、すべてが当たり前に思えてくるわけですが、LAの中にあっても変わった場所ですからね。
そりゃ、そうだろうな、と思います。
でも、日本のLGBTシーンも急速に変化しつつあり、可視化されつつあり。
一度、変化が始まると、全体への浸透がとても早い社会だし、宗教やらの縛りもないので、もっと加速が進むのかもしれないですね。
トランスジェンダー氏は、女子校、女子大とか通っていた、肉体的には女性性を持つアラフォー。
でも、その状態が、本来の自分ではないことは、幼少の頃からわかっていたと言います。
肉体を変える手術に踏み切ったのは5年ほど前。
パスポートの性も変え、今は男性。
あ、そんなことが日本でも可能だったのか、と初めて教えられました。
肉体を女性から男性に変えても、女性が好きな人と、男性が好きな人とに分かれるそうです。
彼は、女性を性的に指向する人。
中には、同じように、性転換をしたトランスジェンダーにしか性的魅力を感じない人もいるのだとか。
彼らの話を聞いていると、あれ、ただのゲイって、なんか平凡でつまらない存在?とか勘違いする(笑)。
何が普通で、何が普通じゃないか。
そんなことはもうとっくに超越しているわけです。
私がなんか少し突き抜けたところからアウトサイダー的にものごとを見て、同調圧力に染まらずに生きてこれたのは、そういう、常に自分らしさと向き合って問い続けているグループの中で、意識の枠を広げられ続けているからなんだとあらためて知らされました。
今年のLAプライドは、いつもならお祭りっぽいパレードなのですが、今年は、政局を反映して、誰もが参加できる「行進=マーチ」でした。
客人を案内して初めて訪れたLGBTセンター in ハリウッド。でも、ここはメディカルビル(医療施設)で、コミュニティが集まるためのものは、また近くに別な大きなビルがありました。すごいなあ~、この規模。しかも、まだまだ支部は他にもいっぱいあるのですから。
テーマは、#ResistMarch。
文字通り、「抵抗」です。
LGBTセンターのスローガンは、私が着ているTシャツに描かれているように、Resist、Insist、Persist。
辛抱強く、粘り強く、主張し、抵抗し、自らの権利を獲得する。
自分を守り、弱きを守り、本当の平等とは何かを問い続ける。
そんな覚悟に満ちた、毅然とした行進に、私も加わってきました。
参加は無料。Tシャツも無料。
旗もプラカードも用意されていて。
ハリウッドですから、セレブも市民として普通に参加していたり。
黒人に対する不当差別への抵抗や、中絶の権利を主張するムーブメントや、保険制度改変への反対や。
LGBTとは少し軸の違う、そんな社会問題も叫ばれて、つまりは広くトランプ大統領への抗議活動。
でも、根本のところで、とっても明るいんですよね。
沿道、ずっとマドンナやレディ・ガガが鳴り響いてますし(笑)。
誰もが、人間の可能性、人類の英知をちゃんと信じている。
人が作った制度が間違うこともある。
でも、それを軌道修正するための手段も、ちゃんと用意されている。
悲壮感にひたることなく。
犠牲者になることなく。
今、自分たちにできることをするだけ。
そんな姿勢があれば、やれることはいくらでもあるんだな、と学びます。
いつの時代も、ほしいものは、こんな風に自分で勝ち取るもんなんですよね。
以下、写真で2017年のLA PRIDE、マーチの模様を御覧ください。
巨大なLGBTセンター。と思ったら、ここは医療ビル。コミュニティの集まるビルは、また他にもでっかいのがありました。すごい規模。しかも、支部もいくつもあるのですからね。
某大統領さんの後ろ姿です(苦笑)。LGBTや、マイノリティにフレンドリーではないとされ、今回はマーチ全体が政治色の強いものになっていました。
レディガガの歌でも有名な言葉「Born this way」。選択じゃないんだよ、こんな風に生まれただけなんだよ、という意味。今でも多い誤解へのアンチテーゼとして、そして自分らしく生きることを示す覚悟の言葉として、よく使われます。ウエストハリウッドのレストランに飾られたディスプレイです。
いつもはピンクの壁をバックに写真撮影する観光客で賑わう場所。でも、この期間、壁がなんとレインボーカラーに塗り替えられていました。すごいな~。昼間行くと、インスタカメラマンでいっぱいです。メルローズ通りと、ハーパー通りの角。ビバリーセンター、ビバリーグローブの中間くらいの場所です。
LA在住の学生さんですが、許可取ってないので、顔をぼかしたりしてます。こんな感じで、皆が思い思いに歩きました。意外にスピード早くて、日がさすと暑くて汗かいちゃいましたね。薄着の人が多いゲイのグループですが、朝は15度下回るくらいで、寒かったのですよ。
今回、福岡では2つイベントがありまして、ひとつはニューヨークの友人であり、人気メディア「ウイークリービズ」の社長、高橋さんとジョイントで行う12日(金)のランチ会。
もうひとつは、13日(土)1時から、百道浜という豊かな街の公民館で行われるトークイベントです。
クライアントさんが会長を務める「男女共同参画」を推進する会が主催の催しなのですが、ハワイとロサンゼルスで体験してきた平等やら差別やらに関わることや、自由なライフスタイルのことなんかをとってもカジュアルにお話します。
私自身がLGBTですし、外国人ですし、学生もしたし、経営者もしたし。
多人種、多文化が入り交じるふたつの異なる都市で、何を見て、何を体験し、何を学んできたのか。
差別とか、ないようで、あります。
否、あるようで、ある、のかな?(苦笑)
昨日も、家の駐車場で工事の人の荷物がじゃまで真っ直ぐ駐車できず。
すると、それを見ていたひとりが、「ストレート(真っ直ぐ)にはやっぱり停まれないか~」
みたいなことを言いながら、同僚とふたりでクスクスと笑いました。
ストレートって、真っ直ぐ、という意味ですが、ゲイではない人をさした言葉でもあります。
ふーん、幼稚なオッサンらだな、と思い(たぶん向こうが年下なのですが・苦笑)無視していたら、今度は聞こえよがしにこう言いました。
「ま、俺らの言うことなんか、きっと一言も理解できてないんだろうけどな」
おー、今度は外人差別言葉かー。
お前らとは前にも会話してんじゃねーかよ。
切れてやろうかな~とも思ったのですが、今日はいいや、とおさめておきました。
いろいろ朝から良いことあって、気分が高揚していたので(笑)、ここはあえて素通りしておきたかったのです。
移民の都市、LAでさえ、こうですから。
しかもLGBTの街ウエストハリウッドに住んでいてさえ、これですから。
外国人やゲイ人口の少ない場所に住んでいたら、身の危険に日々怯えなくてはならない社会でもあるのです。
アメリカは、それほどまでに広く、価値観も信条も多種多彩です。
だから、常に違いを意識するし、常にそれで闘ってるし、常に常識を新たに塗り替えています。
それでも、社会の底辺には、「フェア=公平」という価値観を守ろうとする力学があって、
そのことが、最終的にものごとを良い方向に変化させる原動力になっている気がしています。
働く現場での「平等」「公平」は、経営者として、さんざん学び、日々、意識して実践してきました。
LGBTの権利獲得運動を、23年も間近で見届けてきました。
福岡では、わかりやすい日常のエピソードを通じて、そんなことを共有していきます。
難しい話は、一切ありませんのでもし近隣の方で、興味ある方がいたら、ぜひお越しください。
ちょっとこれまではお話したことのない新鮮なテーマです。
性別、年齢、関係ない!
ハワイとLAで学んだアメリカが目指す「ほんとの平等」
最近、「結婚はしないんですか?」と聞かれることが、たまにあります。
30前後で親戚から聞かれていたのとは意味合いが違って、パートナーがいると知っている人から、「せっかく合法になったのだから、籍入れないの?」という意味で問われる言葉です。
22年前だったら、迷わずしたかもしれないですね。
「永住権」のために(笑)。
でも、今は永住権も持っているし、望むなら市民権を申請することもできるようになったし、今さら結婚?というのが、なんとなく実感わかないのですね。
そもそも、自分には無縁なものとして、考えたことがなかったし、だいたい結婚なんて、ある意味、勢いとかタイミングとか、大事じゃないですか?
まったりと幸せに22年も一緒に暮らしてくると、とくに今、何か急いで形にしないと、という切羽詰まった感はないわけです。
でも、将来もしない、とか決めているわけでもなくて、何かきっかけがあれば、するかもしれないし、しないかもしれないし。そんな感じです。
さて、今回は、子どもの話。
カミングアウトというのは、一度、誰かにしたらいいというのではなくて、会う人、会う人に、いちいち新たにしていかない限り、全体に知れ渡ることはなくて、だから、仕事の話では、時折、無邪気に聞かれたりしました。
「上野さん、お子さんはおいくつですか?」と。
日本という社会は、とくに、ある程度の歳になったら結婚して、子どもができて、という決まったパターンで生きるのが当たり前な社会だったこともあって、気を使う、ということなく、スパっと気持ちよく聞かれます(笑)。
そういう「疑いなき人」に対して、どうやって、気まずくならないように、真実を告げるか、というのは、なかなか苦労するものです。
「私はゲイなんですよ」
とひと言で済ませてもいいんですが、アメリカだと、だから?という感じで、ゲイだって子どもを持っているカップルはたくさんいたりするので、やや複雑です。
もし、ホントのことをきちんと誠意を持って説明するのであれば、こんな感じになります。
「ゲイで、ずっと一緒に暮らしているパートナーはいるんだけれど、まだ籍も入れてなくて、いつか養子でもね、なんて話したことはあるのですが、結局、自分たちが落ち着かないままで、ハワイからロサンゼルスに引っ越して来たこともあったり、独立したりして不安定になったこともあって、今は養子の可能性も追求はしていない段階なんですよ。でも、将来はわからないですけどね」
これ、初対面の社交の場で言ったら、かなーり白けますよね。
相手が日本人だったら、相当、驚かせてしまうでしょう。そもそも、「いない」という前提を考えてすらいない人なのだから。(それ自体が、すごいことだけど…)
一番、嫌なのは、相手に「しまった…」という顔をされることですね。
別に、恥をかかせたいわけでもないし、こちらはどうでもいい話なので、たいしたことなくお話しちゃうのですけど、相手は「すごく大事な、センシティブなエリアに踏み込んでしまい、こんなプライバシーまで告白させるデリカシーのないことをしてしまった」と勝手に反省などしてほしくないのです。
本当になんでもないことなので。
だから、「上野さんってゲイなのよ」って、皆には触れ回っておいてほしいのですが(笑)、なかなかそれもまた「アウティング」とか言って、本人の許可なくしてはいけない、ハラスメント行為だったりもするので、触らぬが仏にならざるをえないところはありますね。
先週から日本で始まったドラマ「ノンママ白書」の原本となった、香山リカさんの「ノンママという生き方 子のない女はダメですか?」を読みました。
同著者の「50オトコはなぜ劣化したのか」を買ったら、Amazonにおすすめされたので、面白そうだなと思って読んだのですが、実際にノンママという生き方をしている方の書いた読みものとして、素直に面白かったです。
が、読者は選ぶのだろうな、とは思います。
参考 どうした50代!君たちは「ゆでガエル」だ|特集にゆでガエルからの反論?
どう読者を選ぶのか、というと、たぶん同世代じゃないと、なかなかピンときにくい社会背景がふんだんに散りばめられていて、だからこそ、ドラマもあんな風に、注釈いっぱいで描かれないとならなかったのかもしれません。
あと、この話題は、子どもがいる人、いない人、男、女、LGBT、それぞれに、見方、感じ方が違うものでもあるでしょう。
彼女は決して、ノンママが偉い、とか、ノンママで残念、これはダメ、あれはダメ、とか、そういうことは書いてないし、思ってもいないですよね。
ただ、こうなってしまって、こうやって生きている人からの「視点」を描写しているだけなのですが、それが、とても新鮮な発見になっているのではないでしょうか。
ドラマ「ノンママ白書」は、鈴木保奈美さんや菊池桃子さんと言った顔ぶれ、そして「あすなろ白書」などを思い出させるタイトルで、バブル世代にはピンと来る企画。
企画、という言い方がたぶん正しいと思えるような、純粋なドラマというよりも、ある種の提言、だったり、時代を映すひとつの現象を描いたドラマタイゼーションとして見た方が、入りやすいかもしれないですね。
(YouTubeにあったのですが、すぐに消されちゃうかもしれないので、あえてリンクは張りませんが、興味がある方は検索してみてください。連続ものです。)
クライアントさんには、アラフォー女性が多いのですが、シングルの方も多いですし、当然、子どもがいない方もたくさんいます。
出産に関していえば瀬戸際世代、ということで、そのような話題にもなりますし、事実、苦心して治療している方なんかもいらっしゃいます。
かと思うと、ドラマの主人公たちのように、すでに自分で生む可能性はなくなったクライアントもたくさんいます。
子育て中の方もいるし、だから、それぞれの生き方、ものの見方、選択、価値観、他者への見方などがあって、全体を俯瞰して見られる私としては、ケーススタディとして、ひじょうに興味深いです。
この本を読み、ドラマの初回を見ながら、思い出していました。
10年位前だったか、ハワイでとあるパーティがあった時、ある40代女性(子持ち+会社の役員クラス)が、ある30代女性に、思い切り言ったのです。
「◯◯ちゃん、結婚はしてもしなくてもいいけど、女として子どもだけは産みなさい~。女は子どもを産んでこそ一人前なのよ!」
その口調がかなりきつめで、昭和のドラマで赤木春恵さんが言うようなセリフ調だったこともあり、その内容が自分には驚くべき内容であったこともあり、潜在意識に刻まれてしまったようです。
そうなのか、いまだにそんなことを疑いもせずに口にできる「現代の人」がちゃんといるのかと衝撃でした。
もうひとつ、余計なことも思い出しました。
「女のひとりも説得できず、いつまでも結婚もできないでいる男は、大きな仕事を任せる相手として信用ができない」
40間際になっても結婚していない私のことを、何かの大事な契約の相手先として考えることはできない、という理由を、同世代のその方は、そんな風におっしゃったのでした。
自分がたまたま、隠れマイノリティとして長く生きてきてしまったので、世の中と自分を切り離して、他人事として外側からいろいろ観察するクセがつき、感情が傷つく、ということは全然ないのですが、やはり驚きはしましたね。
結婚する、しない、ということを、こんな風に仕事の能力と結びつけて考えてしまう人が、自分の世代にもまだいるんだ、ということに。
気がつけば、私の周りには、アラフォー、アラフィフでノンママな友人が山ほどいます。
皆、イキイキと、輝きまくって元気に未来を向いて生きています。
シングル女性、バツイチ女性なんて、数えきれないほどいるというか、そうじゃない人をピックアップする方が難しいハワイ&ロサンゼルス(爆)。
アメリカの良いところは、年齢に関係なく、望みさえすれば、いつでもちゃんと恋愛のマーケットがあるというところでしょうか。
何歳だろうと、恋をするのは当たり前。それどころか、「必要」とさえ思っている社会。
老け込んでいる暇なんか、ないんですよね。
どんな人の、どんな人生も、外側から見ているだけでは全然、わかりません。
ひと皮むけば、あれ、っていうことも多い。
だからこそ、人の人生を、根っこのところでリスペクトし、自分の価値観の押し付けはしないようにしていきたいですね。
同時に、自分と同じ環境じゃないと、自分の置かれている立場がわからない、という決め付けもやめた方がいいです。
本当に同じ環境なんてどこにもないし、被害者意識の塊になる前に、相手のことも思いはかる余裕がほしいですね。
ドラマの中で、主役に寄ってたかって男子社員が言っているセリフは、なんでもないもののようで、実はナイフのように尖っています。
ああ、そういえば、自分もこれ、やられたな、って、ここでもまたチクっとする体験を思い出したりもしていました。
上の写真は、1998年1月に行われたハワイ・パシフィック・ユニバーシティの卒業式風景です。
大学生と大学院生が一緒に式に参列。私は働きながら、およそ2年半近くかけてMBAを取得しまして、両親(右の二人)、隣にいるパートナーのクリス、その隣の前田幸代ちゃん、そしてこの写真を撮ってくれていた前田光司君という親友夫婦に見守られて、人生で最も幸せな瞬間を噛み締めていました。
残念ながら、父と前田くんは、すでに他界してしまいました。そのことが、より、この時間を遠い過去のように感じさせています。実際、もう18年も過ぎてしまったわけですが。
ハワイでも、ロサンゼルスでも、出勤前にエクササイズをする人が多く、街やビーチにはランナーやジョガーが行き交い、ジムは朝7時台が最も混雑します。
ビバリーヒルズの近くとかだと、また違う生活パターンもあるのかなあと想像していたのですが、このたび新しいジムに所属してみたら、やっぱり混雑は7時台。同じでした。
その次に混むのは、夜の6時台。仕事が終わって、かけつける人々で賑わう時間ですね。
Facebookの創始者マーク・ザッカーバーグ氏が持てる株の99%を寄付するという発表をして、世間を驚かせています。
それに対して、税金逃れなんだから、驚くことじゃないかという人もいるようですが、誰がどんな風に使うかコントロールできない税金として収めるのではなく、自分でコントロールできる「基金(ファンド)」あるいは「財団(ファウンデーション)」という有益な形で運用できた方が良いのは当たり前ではありませんか。
それらは社会的に使われなければ、税金免除にはならない仕組みができています。何でも寄付すればいいわけではなく、厳しい審査に通った特別なカテゴリに属する団体に寄付して、はじめて税金控除の対象になるのです。
アメリカ社会には、お金を持つ人が社会へ還元する仕組みが、ちゃんとできあがっているということなんですね。
先日、日本にいた時に、かなりあちこちでハロウィンムードが盛り上がっていて、興味深く思いました。
近所のイーオンの玄関先に、ハロウィンコスチュームを来たマネキンさんが立ってたりして、とても「日常化」したなあと感じましたし、ロサンゼルスにいる時よりも、はるかにいろいろなところで、ハロウィンのモチーフを目にしたような気にもなりました。
もちろん、アメリカの一般家庭の庭などの飾り付けは、クリスマス同様、本気の人はすごいので、特別感はありますが。