Category Archives for "コンシャスライフ"
朝、起きた瞬間の「気分」ってどんな状態ですか?
ってことを、観察してみると、ちょっとおもしろいことがわかりそうです。
私の場合は、たいてい「曇り」。
身体の健康状態とは裏腹に、
そして、眠りが心地よかったかどうかとは、全然別なところで、
どんより曇る、なにかが淀んで残っている。
それは、どうやら、「夢」から来ているようでもあります。
あんまり、見たい夢、みたいんですよね。
というか、見たくない夢ばかり見ているかもしれません。
不安にさせるシーン。
自信がない自分が投影されて、おずおずと引いている心模様。
人が輝き、自分が影になる、そんなシチュエーション。
飛行機に乗り遅れる夢も、定期的に見ていますが、
夢占いの記事には、こう書いてありました。
「飛行機に乗り遅れる夢には、あなたの目標が高すぎたり、
願望が大きすぎるために、失敗する可能性が高いという意味があります」
ありがとうございます…(涙)
夢なんてすぐに忘れちゃう方ではありますが、
でも、起きた瞬間の感情から、ヒモをするすると手繰り寄せていくと、
ふと、思い出すことがあり、それはたいてい、こんな具合に
「冴えない場面」なわけです(涙)。
潜在意識の奥底に残る、ゴミカスみたいな心配事が、
そうやって、勝手にシナリオ作って、映画監督しちゃうのだとしたら、
きっちりゴミ掃除、しないといけないですよね〜。
もっと、いい夢、みたいですもんね(笑)。
そんなどんより気分は、起きて、犬と散歩して、
新鮮な空気を吸って、仕事に向かっていると、消えていきます。
やらねばならないことに没頭し、ときに「ワクワク」もちゃんと感じつつ、
達成感ある一日が過ごせたら、感情のお天気は、もう超快晴。
気がつくと、起きている限りは、だいたい晴れなのに、
寝てるときだけ、曇っちゃうみたいですね。
これ、なんとかしたいな〜。
「夢」という言葉にふさわしい、華やかで、きらびやかで、
憧れが形に変わるような、そんな映像の中で、ヒーローを演じたいです〜(笑)。
どなたか、良い方法知っていたら、教えてください。
昨冬に買ったお気に入りのブルックスブラザーズのコットンセーター。
一度クリックしたら、どのウエブサイトを見ても追いかけてきて(笑)、
しまいに根負けして自分にプレゼントしました。
でも、あまりにお気に入りすぎたせいで、大切にしまいこんで、
全然、着なかったんですよね。
それじゃあもったいないだろう〜と、
新しい服を買おうとしている自分の欲望を押さえ、
犬の散歩に着ていったら、ご近所さんが声かけてくれました。
「まあ、そのセーターの色、今日の空とマッチしてきれいね〜」
アメリカ人さんったら、本当に人を褒めるの、上手すぎです。
へ〜、そっかな〜、とウキウキしながら自撮り棒を引っ張り出して
庭で撮影したのが上の写真です。
翌日、Facebookにこの写真を上げたところ、
カラー心理学のスペシャリストである友人が、
「上野さんの運命色はブルーなんですよ〜」
と教えてくれました。
その後、ご丁寧に分厚い小冊子まで送ってくれたのですが、
それを見ると、確かにその通り。
実際、クローゼットが、まるでこのセーターのように、
水色から群青色までのきれいなグラデーションになっているのも、
意味があることなのかもしれないなあ、と納得です。
先生は、さらにこうも教えてくれました。
「上野さんの2020年の年秘色は、コーラルピンクです」
そもそも持ってる運気を「底上げしてくれる」色だと聞いて、
ゾゾゾっと鳥肌がたちました。
だって、ほら、この枠線…
ふだんは絶対、選ばないよな〜、こんな色。
って思いながら、ふと自分自身を見てみると…
わお〜、コーラルピンクやん〜!
無意識に選んだ色が、実は開運と結びついているのだとしたら、
俺って、天才?
って勘違いしそうです(結果出してから言おう・笑)。
青と珊瑚礁カラーかあ…
という連想ゲームで、頭の中は今、♪松田聖子♪です。
で、先生の小冊子によると、私の今年のキーワードは、なんと!
・
・
・
・
開花!
西洋占星術でも、カラー心理学でも、同じようなこと言われる…。
耕し疲れたし、肥料も腐るほどあげてきたんだから、
そろそろ花咲かそうぜ〜って、時期なのかな。
期待した分、できなかったときの傷心は大きそうだけれど、
考えまい、考えまい。
調子に乗って、勢いに乗って、向かい風にも乗っかって、
好きなことを何でもやってみようと思っています。
こういう風に、なんでもかんでも、
自分を高く持ち上げてくれる上昇気流として使えばいいですよね。
数と色。
これもまた、面白いものだなあ〜と、入門者として楽しませていただいてますが、
44ページもあるこのすごい小冊子、15日まで無料で配布中だそうです。
9日までに請求された方には、特典もあるようですので、今すぐどうぞ。
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昨日、12月28日は、私がパートナーと出会った記念日。
1993年のことだったので、なんと! もう26年です。
よくまあ飽きずに一緒にいられるよなあ、と
毎年、毎年、ふたりで驚くのですが、
それと共に、自分たちの年齢の響きが、
どんどん自分たちの精神年齢や見た目とかけ離れていくことに
引いてしまったりもする今日このごろ。
もういくつ寝ると、私も誕生日だったりします。
元旦生まれの、ハジメ(元)ちゃんです。
さて、いくつになるのでしょう?(笑)
でもまあ、そういう意味でも、
家の中に「若いエネルギー」があるのは、
老け込みを防ぐのに、良い作用をもたらしてくれているように思います。
その若いエネルギーがうちにやってきたのは、
ちょうど一年前のことでした。
いやあ、1年前の写真とかを見直していると、
自分がいかに何も知らずに生後2ヶ月の犬を飼おうとしてたか、
この子に申し訳なくなるくらいド素人だったと、冷や汗いっぱい。
トレーニングセンターを見つけて、セミナー受けて、
パピー用のトレーニングクラスを2カ月、一緒に受けて、
まず、飼い主が正しく教育されて、
その後、数ヶ月して、子犬もしつけが行き届きました。
今は、互いが楽になる暮らし方を覚えて、たいした手間もなく、
善きバディとして、家族の一員、となっています。
一昨日ご紹介したおすすめ本リストにある
「日本で老いて死ぬということ」にも書かれていたのですが、
やはり子どもが巣立った後の大人(高齢者の話ですが)にとって、
ペットがいるのは、メンタルにとっても良いことなのだそうです。
もちろん、体力が必要なアクティブな種類の子犬は難しいでしょうし、
自分が先に死んだときのことも考えておかねばなりませんが、
ペットが飼える施設も出てきているそうだし、
クオリティ・オブ・ライフを最期まで諦めず、
尊厳を持って、旅立っていけるのだとしたら、何よりです。
尊厳、って、大事ですよね。
死の瞬間まで、凛々しくありたい。
長い気が当たり前だからこそ、
さまざまな不都合と一緒に生きなければならない時間も長いかもしれない。
けど、けど…
いろいろ考えさせられる本でした。
日本じゃなくて、アメリカで老いて死ぬ場合は、どうなんだ?
興味がわいたので、調べてみたいと思います。
今日はクリスマス。
ということで、昨日、たくさんホールフーズとかで甘いものを買いまくり、
昨日と今日で、がんがん食べまくり(笑)。
天気が抜群に良いし、ランニングにでも出て、エネルギー消化するか〜
とコミュニティ内をスロージョグしていたら、
プレゼントもらって、ブレックファストも終えたキッズたちが
通りに出て遊んでいて、口々に声をかけてくるのです。
「メリークリスマス〜」って。
おお、本当にこの街のキッズはお行儀良くて、明るくて、
屈託なくて、伸び伸び育ってて、いいなあ〜って、
あらためて思いました。
大人がそうだから、子どもも自然にそうなるのですよね。
お金持ちとかそういうこととは全然関係なく、
品性が良い街に来れてよかったな、と嬉しく思います。
よくグラウンディングしなくっちゃ、と、旅先で裸足になったり
している様子をFBやブログで拝見しますが、
ここには、揺るぎなく広がる、果てしない大地があります。
その揺るぎなさ感やら、雄大さやら、無限大の空の高さやらが、
なんだかこれまでいたどこよりも圧巻でして、
毎日、犬の散歩やジョギングのときに、
ナチュラル・グラウンディングしている感じ。
文字通り、精神まで「地に足着いた」感じで、
日々、ちゃんとセンタリングさせてもらえてるようなんですね。
状況的にはあわあわしても良いことはたくさんあるのですが(あるのですよ)
まあ、なんとか乗り切れてきたのは、
この土地の恩恵が大きいなあとつくづく思います。
最初の写真は、昨日、5時半頃の夕焼け。
窓ガラスに映る光がきれいでした。
下の写真は、朝7時の、朝焼けの様子。
あと、2日で新月、というときのものですが(つまり昨日)
細い意図のような月が正面に出ていて、思わず、レイキの儀式。
ダイアリープロジェクトが無事、披露できたお礼も込められて、
ああ、スッキリ。
写真撮ったり、秘密のおまじないしたりしている間、
犬はじっと待っててくれるんですよね。
こいつも、いろいろ都合あんだろな、って感じで(笑)
おとなしく座ってる。
だから、彼女が留まって匂いを嗅ぎたいものがあるならば、
存分に楽しませてやるわいって感じで、
朝晩の散歩、かけがえのない時間を一緒に楽しんでいます。
明後日で、うちに来てから1年目。
すっかり家族になりました。
相方も私も、今、スマホの待受けは、そろってコレです(笑)。
Happy Holiday and Merry Christmas~!
才能っていうと、なんだか特別なものを指すようだけれど、
実は、「あなたにとって何でもないけど、
他の人には結構、たいへんなこと」
みたいなのも、才能、だったりするのです。
自分を押し殺して我慢してやるのは辛いが、
さくさく平気でできちゃうことなら、どんどんやればいい。
そして、人の役に立てばいい。
できちゃう人が、できない人を、助ける。
できること、できないこと、というのは、それこそ人の数だけ違うわけで、
だから、Aさんのできることで、Bさんのできないことを補足し、
Bさんのできることで、Cさんのできないことを助けていれば、
世の中、とてもきれいな「輪」ができますよね。
そこにお金、という感謝の印が伴っている場合も多い。
「これからも頑張ってね」という応援の気持ちが込められてることもある。
こんなことでお金もらったら、罪悪感が…って言ってないで、
気持ちなんだから、差し出されたものを
ありがたく受け取れる素直さが、ほしいもの。
経営哲学を教えていただいた稲盛和夫さんは、
「才能を私物化しない」という言葉で、それを伝えます。
あなたに与えられた才能は、「皆のもの」なんですよ、
これで社会の役に立て、と言われたのだということです。
今日は日本はクリスマス。
心のこもったプレゼントをさしあげるのもいいけれど、
あなたにできることで、人を笑顔にしてあげるのもいいですね。
2020年は、そんな風にして、笑顔の輪を広げていきましょう。
↓
私のこれも、そういう意味で作ったりしています。
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最近、よく本のタイトルでも見ると思うのですが、
HSP = 敏感すぎる人々
Highly Sensitive Peopleの略ですが、
新種の発達障害か?と思っている人もいるようです。
病気というより、その人の「傾向」というのに近くて、
内向型、外向型、というのと、並べて用いられたりもします。
判断材料となるチェック項目とか見ていると、
「内向的」というのと、かなり被っているのもわかります。
100%内向型に振れきった私ではございますが、
実は自分、昔は相当、HSPの傾向が強かったかも…?
でも、どこでどう、「鈍感さ」を身につけたのか(笑)
思えば、本当に図々しくなったもんだ、と感心します。
それもまた、処世術、のひとつなのでしょうか。
そうやって、多少、折り合いをつけていくことは可能でも、
ただ、その「傾向」そのものを根っこから変えようとすると、
自己否定につながるし、ただただ無理が溜まって、
それこそ精神の源が疲れ、病んでいきそうな気もしますね。
傾向を知るのは、悪くないと思います。
そっか、自分が悪いわけじゃない。
自分がダメな人間なわけじゃない。
そういう傾向があるだけ。
それが、集団でいたり、同調を暗に強要されたり、
関わりを求められたり、刺激が強すぎたりすると、
激しく、疲れる。
だから、自分が自分であるために、
人と少し距離を置いたり、週末閉じこもったり、
皆、そうやって「対処」しているんですよね。
その傾向だって、0から100まで目盛りを付けたら、
きっと全員、微妙に違う点数になって散らばるはずで、
それが「個体」というものだろうし、
違って、当たり前、なんだと思います。
HSP関連の本を読むと、当てはまることが多くてドキドキし、
オイラ、よく会社員やってたな〜と遠い目になってきます(苦笑)。
もう、戻れない。
明日は、そんな自分が、自分と重ね合わせて見てしまうような、
HSP + 内向型のクライアントからいただいた
コーチング体験談をお届けしたいと思います。
「生きづらいを変えたい」という私の最初の漠然とした目標が、
上野さんと出会って過ごした1年で、こんなにも変わるのか…
と実感した変化です。
長いコメントの途中に、こんな一節がありました。
アラフォーの彼女に、いったい何が起きたのか?
私はいったい、何をしてしまったのだろう?(笑)
こちらから、全文をどうぞ。
何かが思うように進まない。
なぜか、気分や体調がすぐれない。
人生が、あれほど輝いて見えたのに、いったい何が変わってしまったのだろう?
順調に行っていた頃がウソのように、目の前に大きな暗雲が立ち込めて、
見上げてもテッペンが見えないほどの壁が立ちはだかり、
気持ちがすくむ。
動けない。
そんな感じで、スランプ状態に陥ることは、誰にもあるようです。
毎月、コンスタントにお話をしていると、クライアントにも
漏れなくアップダウンはつきもので、
ないと期待する方がおかしいよね、とわかるのです。
が、渦中の人には、もがいてももがいても、
目の前の濃い霧が晴れなくて、
まるで一生出れないかのように思えてしまうものなんですよね。
そんなときの解決法は
1.なにもしない
2.趣味に没頭する
3.旅に出る
4.ひたすら寝る
5.瞑想する
とか、本を紐解くと書いてあったりしますが、
まあ、効くと思ったら何でもやるがよし。
だけど、「その状態、悪くないのでは?」と、
そもそもの、スランプを否定しいる自分から見直すのもありですよね。
人間、一生、回転し続けるわけにもいかないし、
ジャンプし続けて、階段登り続けて、走り続けてって、できる人もいない。
だから、「少し息抜きせい」と、
強制休養させられてるのかもしれない。
少し、違うことしてみたら?
少し、違うもの、見てみたら?
少し、違う音を聞いてみたら?
そんな風に、視点やら視座やら視軸やらの転換を
迫られている時期かもしれないのです。
自分をジャッジメントしていじめても、
それではまったくの逆効果でしょう。
もがくことで解決してきた昔、かもしれないけど、
でも、スランプは、必ずしも「退行」じゃないと知るのも、
未来の自分にとって、大事なレッスン。
元に戻ったように見えても、実は、成長の一プロセスで、
次の大きなジャンプのために、しゃがみこんで、
力を蓄えている、だけなのかもしれません。
私も、なんだかそんな時期が段階的に訪れて、
そのたびに焦ったり、不安になったりするわけですが、
意外に長は続かない。
淡々と、粛々と、平々凡々と、
日々の地味なルーティンを繰り返しているうちに、
気がついたら、目の前の明るさが、ふと違っていることに気づくもの。
幸せを、急がない。
結果を、形あるものに求めすぎない。
楽に息して、鷹揚に生きる術を覚えるのも、
「成長」やら「進化」やらの過程で必要なことかもしれないのです。
そんなときは、やっぱりコレかな。
↓
たくさんの知り合いがホノルルマラソンを走ってて(歩いてて)
完走した達成感をFacebookでがんがん見せられている頃、
犬の散歩に出かけた私は、車の往来がある交差点を通り抜ける時、
犬を率いて、小走りになったのですが、その瞬間。
身体がフワッと浮きました。
あ、こけた
と思った次の瞬間、アスファルトにガツンと体当たり。
両手の平がすりむけ、肘がすりむけ、
スエットの膝もすりむけ、
なんだか全身打撲のような痛みで事態もつかめぬまま
フラフラと起き上がって、車のドライバーに手を上げてヘラヘラとご挨拶。
情けね〜(号泣)
傷はまあ、かすり傷なんですが、ちょいとどうやら膝をひねった様子で、
いまだに右膝がまっすぐ伸びない、そして曲がらない。
おトイレも、パンツ履くのも、靴下履くのも、苦労してます。
最後のロングランを月曜にして〜とか、いろいろ考えてたけど、
もう無理っすね〜(苦笑)。
諦めの早い方なので、15日のダラスマラソン出場は取りやめ。
次の機会に頑張ります。
3カ月で、でもここまで体調戻せて、走る力もぐんぐん戻り、
体脂肪もキリッと減った。
それが何よりのはずで、レースはまあいつでもあるし。
それに、それに、今、ものすごいやること溜まってて、
一秒でも惜しいのですよ。
ああ、これで、あれができる、これができる〜と、
なんだかホッとしている自分がいて、切り替えの早さに驚いています。
七転び八起き、っていうか、お前、わざと転んだろと言われそうなほど
絶妙なタイミングではありましたが、
いや、青あざが今も残るほど、痛いんですよ、あちこち(笑)。
ひょこひょこと歩けるくらいには、まあ回復したので、
気温2度の中、犬を連れて散歩は楽しんでおります。
思えば、いつだって七転び八起きの繰り返しで来たよな。
これからもきっと転びまくるけど、でも、そのたびに起き上がる。
起き上がって、ひょこひょこしながら歩き始めて、また走る。
それを繰り返しながら、いつか、
朝、起きることなく、眠りながら死ねたらいいな。
一生走り、一生転ぶ。
一生起き上がり、一生笑う。
転びたくないから、走らない人生は、つまらない。
何年ぶりかで飲んだ痛み止めがやたらと魔法のようにきいて、
良い気持ちになりながら、そんなことを思いましたとさ。
皆さんは、転ばないように気をつけてね(笑)。
まったくもって類は友を呼ぶというのは本当で、
うちの相方と私は、なんとなくモノを見る時の
斜に構えた感がそっくりです(笑)。
昨夜もダラスのローカルニュースを見ていたら、
お決まりのごとく、「感謝祭最終日の空港は賑わいと混雑で…」
なんてキャスターさんがしゃべってるのですが、
背後で映る空港の様子は、
ガランガラン(笑)。
レポーターが一所懸命に疲れ切った人たちを探すものの、
インタビューする人、すべてが、
「いやあ、遅れもなくスムーズで楽しい旅でした〜」
みたいな、爽快な顔で明るく答えているのでございます。
「明日から仕事ですね〜」なんて、無理に辛そうな顔を引き出そうとしても、
「そうですね、楽しいホリデーシーズンを過ごせそうです」
と誘導に引っかからず、ポジティブな態度のままで答える面々。
実際、悪天候や事故による乱れもなかったようで、
「予想外に」平穏無事な休日だったのでしょう。
ニュースネタを求めていたメディアには、「残念」な話。
で、締めのキャスターの言葉に、またぶったまげました。
「Another busy day starts tomorrow」
(明日からまた忙しい日々が始まりますね)
皆さん、ほんとにお気の毒さまってなトーンなんですが、
いやいや、だから、休日は楽しく過ごせたんだって、
Busyでもたいへんでもなかったって皆が言ってたじゃん。
明日からの仕事も全然、イヤそうじゃなかったじゃん。
嘘つき〜
相方と二人で、同時に呆れて叫んでました(笑)。
本当に、ネットもテレビも、こういう予定調和に落とし込もうとする
フェイクニュースが多すぎです。
あらかじめ決められたストーリーにはまりそうなエビデンスを探し、
見つからなくても、強引に押し込む力技のパフォーマンス。
なんとなーく見ていると、なんとなーく洗脳されて、
「やっぱり感謝祭みたいな大型の休日は空港は混雑するんだなあ」
と、思う壺に印象操作されがちです。
テレビが言うんだから、きっと本当なんだよ。
そう信じ込む世代からは、ずいぶんと遠いはずなのに、
普段から、自分のアタマで考える癖づけをしていないと、
フラフラと巷に流れる声に揺さぶられて、簡単に自分を見失います。
大事なのは、地に足着いた判断力。
略して、「地足力」(笑)。
いや、略す必要はないですね。
親がなんと言おうと、
テレビがなんと言おうと、
コンサルやコーチがなんと言おうと、
「私はこう思う」
「私はこれでいい」
そんな頑固さも、ときには必要。
それが、自分のアタマで考えた末の結論ならば、
大いに結構。
ただ、柔らかさや知識や教養を伴わない頭の固い頑固さは、
フェイクニュースの食い物にされますので、要注意です。
フェイクニュースだけならいいけど、簡単に詐欺にも合うからね。
↓
とあることに申し込んでいたのですが、
いろいろあって、ちょっと焦らされていて、
なんだかだんだんと、「いいよ、じゃあ、要らないよ」と
興味を失ったふりをして、逆にアラ探しなどしている自分を発見。
そもそも、たいして欲しくもなかったしね。
ま、別な道を選ぶ人生は、もっと楽しいかもしれないんだ。
な〜んて、これじゃあまるで「酸っぱい葡萄」の童話みたいです。
仲良かった人が、急に別な人と接近してるのを知ると、
自分が軽視されたみたいで、不機嫌になったり、怒ったり。
そこで素直に「私、寂しいの」って言えばいいのに、
彼らのことを悪く言ったり、自分から逆に冷たくしてみたり。
拗ね拗ね病は、症状としていろんな出方をするから始末が悪いですね。
でも、これって、なんというか、自覚が難しいときもあるし、
自分を正当化しまくってるから人からも見えにくい場合があるし、
でも、ものすごい自然に出てくる防御本能でもあったりで、
やめるのが難しかったりもします。
正直に、さみしい、つらい、くるしい、かなしい
そう言えればいいのに、隠そうとするから、結果も曲がる。
大人だから、自分のことくらい、なんとかしたいのに。
自分の問題を、他人の問題にすり替えて、
解決したふりをしてみても、何も事実は変わらない。
ほしいものを隠しても、欲望の種はそこにある。
すでに持ってる人を悪く言ってみても、
自分の手元に移ってくるわけもなく、
欲しくないふりをしてみても、心の中では知っている。
手に入れられてない自分が、残念すぎて、
なぜ、自分じゃないのかと悲しく思っていることを。
選ばれた、あの人。
選ばれなかった、私。
うまくやった、あの人。
うまくできなかった、私。
モテモテな、あの人。
孤独な、私。
心の闇を見ることは、ときにとても怖いのですが、
そこで膝を抱えてうつむいている「自分」を見つけて、
悲しかったね、さみしかったね、って頭を撫でてあげるのが、
一番必要なことだったりもするのですよね。
この本がこの辺のことを良くまとめて書いてくれています。
キンドルのアンリミテッドがあれば、「無料」で読めます。
先月は、980円で20冊ほど本をダウンロードして読みました。
もう、手放せないサービス…
ってのが、どんどん増えて困ります(涙