拗ねないってことが実はとても難しい

とあることに申し込んでいたのですが、

いろいろあって、ちょっと焦らされていて、

なんだかだんだんと、「いいよ、じゃあ、要らないよ」と

興味を失ったふりをして、逆にアラ探しなどしている自分を発見。

そもそも、たいして欲しくもなかったしね。

ま、別な道を選ぶ人生は、もっと楽しいかもしれないんだ。

な〜んて、これじゃあまるで「酸っぱい葡萄」の童話みたいです。

仲良かった人が、急に別な人と接近してるのを知ると、

自分が軽視されたみたいで、不機嫌になったり、怒ったり。

そこで素直に「私、寂しいの」って言えばいいのに、

彼らのことを悪く言ったり、自分から逆に冷たくしてみたり。

拗ね拗ね病は、症状としていろんな出方をするから始末が悪いですね。

でも、これって、なんというか、自覚が難しいときもあるし、

自分を正当化しまくってるから人からも見えにくい場合があるし、

でも、ものすごい自然に出てくる防御本能でもあったりで、

やめるのが難しかったりもします。

正直に、さみしい、つらい、くるしい、かなしい

そう言えればいいのに、隠そうとするから、結果も曲がる。

大人だから、自分のことくらい、なんとかしたいのに。

自分の問題を、他人の問題にすり替えて、

解決したふりをしてみても、何も事実は変わらない。

ほしいものを隠しても、欲望の種はそこにある。

すでに持ってる人を悪く言ってみても、

自分の手元に移ってくるわけもなく、

欲しくないふりをしてみても、心の中では知っている。

手に入れられてない自分が、残念すぎて、

なぜ、自分じゃないのかと悲しく思っていることを。

選ばれた、あの人。

選ばれなかった、私。

うまくやった、あの人。

うまくできなかった、私。

モテモテな、あの人。

孤独な、私。

心の闇を見ることは、ときにとても怖いのですが、

そこで膝を抱えてうつむいている「自分」を見つけて、

悲しかったね、さみしかったね、って頭を撫でてあげるのが、

一番必要なことだったりもするのですよね。

この本がこの辺のことを良くまとめて書いてくれています。

キンドルのアンリミテッドがあれば、「無料」で読めます。

先月は、980円で20冊ほど本をダウンロードして読みました。

もう、手放せないサービス…

ってのが、どんどん増えて困ります(涙