何かが思うように進まない。
なぜか、気分や体調がすぐれない。
人生が、あれほど輝いて見えたのに、いったい何が変わってしまったのだろう?
順調に行っていた頃がウソのように、目の前に大きな暗雲が立ち込めて、
見上げてもテッペンが見えないほどの壁が立ちはだかり、
気持ちがすくむ。
動けない。
そんな感じで、スランプ状態に陥ることは、誰にもあるようです。
毎月、コンスタントにお話をしていると、クライアントにも
漏れなくアップダウンはつきもので、
ないと期待する方がおかしいよね、とわかるのです。
が、渦中の人には、もがいてももがいても、
目の前の濃い霧が晴れなくて、
まるで一生出れないかのように思えてしまうものなんですよね。
そんなときの解決法は
1.なにもしない
2.趣味に没頭する
3.旅に出る
4.ひたすら寝る
5.瞑想する
とか、本を紐解くと書いてあったりしますが、
まあ、効くと思ったら何でもやるがよし。
だけど、「その状態、悪くないのでは?」と、
そもそもの、スランプを否定しいる自分から見直すのもありですよね。
人間、一生、回転し続けるわけにもいかないし、
ジャンプし続けて、階段登り続けて、走り続けてって、できる人もいない。
だから、「少し息抜きせい」と、
強制休養させられてるのかもしれない。
少し、違うことしてみたら?
少し、違うもの、見てみたら?
少し、違う音を聞いてみたら?
そんな風に、視点やら視座やら視軸やらの転換を
迫られている時期かもしれないのです。
自分をジャッジメントしていじめても、
それではまったくの逆効果でしょう。
もがくことで解決してきた昔、かもしれないけど、
でも、スランプは、必ずしも「退行」じゃないと知るのも、
未来の自分にとって、大事なレッスン。
元に戻ったように見えても、実は、成長の一プロセスで、
次の大きなジャンプのために、しゃがみこんで、
力を蓄えている、だけなのかもしれません。
私も、なんだかそんな時期が段階的に訪れて、
そのたびに焦ったり、不安になったりするわけですが、
意外に長は続かない。
淡々と、粛々と、平々凡々と、
日々の地味なルーティンを繰り返しているうちに、
気がついたら、目の前の明るさが、ふと違っていることに気づくもの。
幸せを、急がない。
結果を、形あるものに求めすぎない。
楽に息して、鷹揚に生きる術を覚えるのも、
「成長」やら「進化」やらの過程で必要なことかもしれないのです。
そんなときは、やっぱりコレかな。
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