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Monthly Archives: 11月 2018

感受性が強いって自慢じゃない。人生で勝つのは鈍感力

やや昭和の時代の響きがする「感受性が強い」って言葉。

よく聞く割に、それってどういう意味?って聞かれても答えられなかったりする。

そういうの、私の中では「思考停止言葉」として位置づけています。

 

きっと自分はこうに違いない、だから仕方ないんだって型にはめるために便利に使っている言葉。

仕方ないって諦めたら、苦手なこともやらなくて済むしね、って、またいつものそこに結びつきます(笑)。

 

感受性が強い人は、精度が良すぎるアンテナを持っているがために、感情の機微や空気感を読みすぎて生きづらい、というマイナスな文脈で使われますよね。

要はアレルギーと一緒で、単に「過敏」なんです。

 

杉の花粉だって自然界に普通にあって、それ自体は何の問題もないはずなのに、身体が過剰反応を示してしまう。

ピーナッツとか、大豆とか、小麦とかも、甲殻類とかも同じこと。

確かに農薬や品種改良の影響で、昔とは違うものになっているからかもしれないけれど、それにしても、影響がある人と、ない人がいるのは、不思議ですよね。

体質、って決め込んでいるものも、実は「意識」の問題であることもあるのです。

 

NLPのスキルを使うと、実はアレルギーも克服できてしまったりするんですが、先生いわく

「アレルギーという体の反応も、すべて脳でコントロールしているわけだよ。

だから、神経のプログラムに働きかけるNLPは、アレルギーもコントロールできるんだ」

 

で、実際、目の前で、ピーナッツアレルギーの人を治してしまったのです(驚)。

 

病は気から、というけれど、自分を何らかの型にはめてしまうことで、そこからかえって抜け出られなくなることってありますよね。

心の問題もきっとそうなんです。

 

私は感受性が強い人って勝手に思っているけれど、それって、単に心の壁が弱くて、免疫反応が過剰に反応しているだけ。

防御システムが過剰反応すると、怖くて人を避けたり、逆に人を「攻撃」したりもしてしまいます。

弱い人ほど、吠える。傷つきやすい人ほど、人を疑い、言葉尻を捉えて攻撃したりする。

 

誤解が多いのも、過敏さゆえにフィルターが歪んでいるせいです。

 

渡辺淳一さんの「鈍感力」という本を勧められて読んだときは、本当に衝撃でした。

鈍感ってスキルなんだ~と知ったことが、何よりも収穫だったのです。

 

人は過敏状態から、ノーマルを通り越して、図太いくらいに鈍感になれるものなんだ。

そして、そのことによって、こんなにメリットがあるものなんだ。

こんなに楽で、生きやすくなれるものなんだ!

 

それを知ったときの、青天の霹靂的な喜びといったらありませんでした。

12年くらい前のことです。

 

この記事で詳しく説明しています。

今、あらためて「鈍感力」。
自意識過剰な自分を癒やす魔法の力

 

「私、感受性が強くて…」なんて、繊細ぶって、弱い人の振りしてないで、鈍感な人の真似して、お手本として生きるくらいが、実はちょうどいい。

生きるのが、本当に楽になるし、新しいことへの挑戦が軽く感じられるようになります。

人との出会い、人とのふれあいも、心から楽しめるようになります。

 

人との距離感をはかったり、人の言葉の裏を読んだり、空気感を意識したり、そんなの、ムダな努力。

自分が自分に貼ってるレッテルって、他にもいっぱいあると思いますが、ネガティブなレッテルは、未来志向の生き方にはすべて不要。

今すぐ、ゴシゴシと全部タワシではがしてしまいましょう。

 

結局は、ここにつながります。

一生、不幸を背負って生きる人。
絶対に不幸にならない人

私はなぜこの親を選んで生まれてきたのだろう?

(10月の東京出張時に書いたメルマガより)

東京生まれで、都内に行ったことのない場所はない気がしていましたが、田端という駅は、おそらく初めて降りました。

小さな映画館で素敵なフィルムを見るために。

いるのかな?と思いながら予約しておいたのですが、25席くらいが満員になっていたので危なかった…

 

このドキュメンタリー映画「かみさまとのやくそく」は、胎内記憶、前世、生前の記憶を持って生まれる子どもたちのお話。

彼らの生の声がいっぱい。あまりにもリアルで、皆がほとんど同じことを言うので驚きます。

 

微妙に違う部分は、きっと彼らの言う違う国にいたからなのか。

彼らの言葉を信じるとするならば(信じない理由はどこにもない)

 

どうやら私も自分の母親を選んで生まれてきたようです。

 

よく使命感がわからないというクライアントも多いのですが、これを見たら、とてもシンプルな真実に気づいて目がさめるのではないかと思います。

 

今日の東京、冷たい雨がシトシト降っています。

田端の駅前がかなり大きくて、自分の想像とは違いました。

山手線の駅なのだから、そりゃそうだろうけれど、いかに馴染みがなかったかということですね。

雨煙る水辺の景色を高層ホテルから眺めつつ、最後のセッションです。

急激に成長する彼女の秘密を探ってみたら

いつも、すぐに返事が来るクライアントから、しばらく連絡がなくて、何か、考えることでもあるのかな〜と、ちょっとこちらも催促せずに、時間を置いていました。

アラフォーの彼女からは、ほどなくメールが届いて、別に何事もなかった様子。

でも、ちょっと気になったので、間が空いた理由を尋ねたのですが、そのときの彼女の返答に、うなりました。

 

これまで何も考えず即決してたり、相手に喜んでもらいたいと、自分のことを考えず、無意識に体が動いていて、

後から、何でこんなことしてたんだろ、と思うことも多かったと、最近、気づいたのです。

なので、一度考えてから動くとどうなるのか、実験しています。

 

うーむ、なるほど〜(納得)。

彼女は、忙しい仕事をしている割には、すいすいといろんなことに手を出していて、その動きが軽やかなので、驚かされることが多いです。

で、ここでのキーワードは、「実験」

 

この半年くらいのセッションを通じて、こんなのはどう? こういう風に考えてみたら? こんな風に変えてみたら?

と、彼女の刺激になるような提案をいくつもしているのですが、速攻で試してみるのですよね。

「ああ、それ、いいかもですね」と、好奇心をくすぐられると、すぐにとりあえずやってみる。

 

アウトプットを変えたら、視点を変えたら、新しい現実が待っているかもしれない、と期待して。

で、ひとつ、ふたつ、そういうことをしてみると、「あ、確かに何かが変わった…」という体験ができる。

すると、面白くなって、またひとつ、ふたつ、と試してみたくなるのです。

 

一度ではうまくいかないことも多いわけですが、でも、すべてはゲーム感覚。

瞬間、落ち込むことがあっても、よし次はこうやってみようかな〜と視点を移すスピードが速い。

今まで出かけなかった場所にも出かけ、仲間も広げ、自分がリーダーとなって会を催す機会も増やしている。

 

その背後にある考え方が、「実験」ということなんですよね。

 

人生は、実験場。

 

うまくいかないことは、違う角度から見てやり方を変えてみる。

望んでいないことにフォーカスをせず、楽しいことを追求してみる。

 

ちなみに、彼女は、「家族とは○年も会ってません」というくらい育った環境は辛かったそうです。

まあ今の時代なら、虐待、と言われそうな状況もあり。

最初は、そのことで人との距離感や、親密さの作り方がわからないと悩んで相談に来たのですが、なんだかはるか遠い昔のよう。

 

実験なんだから、うまくいく時もあれば、望み通りの結果がでないこともありますよね。

だけど、「失敗」じゃないのです。

こうやると、こうなるんだ、という、ある種の公式を発見したのだから、すべては学びなんです。

 

そこにいちいちネガティブな感情をかぶせることはない。

淡々と、粛々と、そしてワクワクと。

 

私も毎日、実験しては、打たれています(笑)。

でも、100発パンチを繰り出せば、ひとつくらい当たったりもして、おー、ラッキーと喜べる。

99通りの、「うまくいかないやり方」を見つけたなんて、スゴイこと!

 

もちろん、その過程で、思わぬ学びを山ほどしているわけですしね。

そうやって、知識が「使える知恵」に変わっていくのでしょう。

 

さあ、じゃあそろそろ、次の1発を当てるために、また100発打たないと(笑)。

 

だから、せめて体力つけて、周波数上げて、自分を最高のコンディションに整えて、マックスまで奮い立たせるのです。

だって、何十年か経って後悔するのは一番、悲しいものね。

「後悔しない生き方」を意識すれば、
今日はより豊かで有意義なものになる

私ってブスだったの?

(10月、日本出張時のメルマガより)

昨日は、予報に反して、小雨がぱらついた東京。

気温はぐっと低くなったのですが、自分にとっては、そのくらいの方がちょうどよく。

ジャケット来て、がんがん歩いても、身体が熱くなることはない。

駅で汗を怖れてエスカレータを探すこともなく、すたすた2段抜かしで階段を登れます。

 

そんな中、午後遅くに、新しいプロフィール写真用の撮影を行いました。

今回は、これまでなかった屋外のセッティングで、動きのある全身写真に挑戦です。

 

とある庭園で、31歳の若手アーティストさんに、お前モデル気取りかよ、って写真をいっぱい撮っていただきました。

4パターンくらい変えた衣装の担当は、私です。

 

こういう写真撮影って、最初は恥ずかしいけれど、そこは個人として活躍したいと願うなら、突き抜けなくてはならない軽いハードルです。

軽いです、あくまでも(笑)。

自分で勝手に高くしちゃわないほうが得策です。

 

皆、プロによる撮影が始まってしまうと、結構大丈夫なんです。

恥ずかしい~って、クネクネしてる方が、よっぽどカッコ悪くて恥ずかしいことに、すぐに気がつくからなんでしょう。

 

で、できあがった写真を見て、「え、これ自分?」と嬉しい驚きが待っているもの。

自分の姿なんて、思い切り歪んだ心のレンズを通してしか見ていないのですよね。

 

多くの人が、人の前に自分を晒すことを怖れたりするわけですが、自分を隠す、イコール、私は存在しなくていい的なマインドが刻まれがち。

そのくせ、そういう人に限って「誰も見てくれない」「私なんて」と、すねたり、ひがんだり(苦笑)。

おーい、どっちなんだい、はっきりせい~、と宇宙の法則さんも戸惑っていることでしょう(笑)。

 

怖い、を押しのけて、本当に望んでいることにちゃんとフォーカスしないと、何やっても空滑り。

不安や怖れのエネルギーは強大だから、気をつけないと、真逆の方向へとまっしぐらになってしまうのです。

 

「私はブスだから」
「○○さんみたいにキレイじゃないから」

そんな言葉がスッと出てくるようならご用心。

 

ブスってなーに?ってのを、まずは考えてみたほうがいいし、誰も定義などできないはずです。(心のブスは別)

 

○○さんのような容姿など、誰もあなたに求めていない。

だって、○○さんがいるんだから、もういいの(笑)。

あなたは、唯一無二のあなたの容姿そのままを磨けばいい。

 

自分が持っているものを、愛し、慈しみ、手をかけ、自信を持ち、最大限に活かしてあげる。

モデルだって、女優だって、自分の容姿に自信がなくて、摂食障害起こしたりとか、いろいろ悩むわけです。

どんなパーツやバランスを持っているか、ではないのです。

 

単に心の問題なだけなのです。

 

だから、とにかく自分否定を今すぐ止めること。

そこからすべてが好転していきます。

小さな頃、可愛くないと言われたり、心無い人からからかわれた過去があったとしても、それはその時代に起きたことで、今じゃない。

 

アメリカ的に言うと、何が何でも「I am beautiful!」(私は美しい)の精神が大切です。

「I am sexy」(私はセクシー)
「I am gorgeous」(私はゴージャス)
「I look fabulous」(私は最高に素敵!)

彼らは口々にアファメーションの言葉を唱えます。

 

持って生まれた自分らしさに誇りを持ち、受け入れることだけが問われています。

 

今日の標題の「私ってブスだったの?」は、はるか昔の、松田聖子さん主演のドラマのタイトルですが、「え、私って、実は美人だったの?」って、自己を再評価してみてください。

 

私はきれい。
私はかわいい。
私はセクシー。
私は魅力的。

 

誰も何も言わなくても、自分だけは鏡に向かって毎朝毎晩、唱えなくてはいけないのです。

 

あら探しをしていては、一生、自分に自信など持てません。

それは、セルフイメージを根底から下げてしまう、最悪の自分いじめ、自分虐待。

人にしてはいけないことは、自分にもしてはいけないのです。

同じ結果が待っていますから。

 

外国人観光客の方がが逆に恥ずかしそうに避けて通る中(苦笑)、堂々とポーズを変えて自分写真を撮っていただく体験は、とっても気持ち良かったです。

これからのプロモーションなどに、大切に使っていこうと思います。

 

今回、撮影をお願いしたフォトグラファーさんは、池田康一郎さん。

場所も構図も、彼の若い感性におまかせして、思い切り好きなように撮っていただきました。

今ならまだ、手の届きやすいお値段で引き受けていただけます。

⇒ 池田康一郎氏 動画・写真撮影メニュー

手が届かない存在になる前に、ぜひお願いしておきましょう(笑)。

 

今回の旅も、本当に新しい出会い、新しい体験で満ち溢れ、充実しました。

年内にもう一度、サクッと来る予定。

 

大きなうねりの中にいる気がするので、来年は、もっともっとたくさん日本に来る予定です。

以前にも書いたように、たくさんの人からエネルギーをいただいて自分との化学反応が起き、どんどん新しいエネルギーがわいています。


自分をパワースポット化する方法

11/21/2018

本やセミナーで「安心」を買うだけで、ずっと同じ場所にいる人にすすめたいマンガセラピー

(最新版として内容を付け加え、再投稿しています。)

片づけられなかった人が、片づけが上手になる。

お金が貯められなかった人が、貯金上手になる。

ダイエットがうまくいかなかった人が、理想の体型になる。

 

そんな「魔法」があったら、すぐにでも飛びつきたい、という方も多いかと思います。

部屋が片づけられなくて…というクライアントさんと、いろいろと解決策について検討をしている際に見つけた「やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方」という本を手にしたことがきっかけで、著者の「わたなべぽん」さんを発見。

次々に、著書を制覇していきました。

 

ダイエット、節約・貯金、片付け、断捨離…

テーマはさまざまでも、すべては「悩み解決」のリアルなストーリー。

著者自身のストーリーがほとんどですが、原案をもとに作画を担当したものも。

 

以下に、それぞれを簡単にご紹介します。

下手なセミナー行くより、よっぽど多くの学びがありますよ~。

全部、Kindle対応です。が、Kindleデバイスでは見にくいので、iPadなど、タブレットをお餅の方にのみ、電子版はオススメします。

生活の根本的改革に「やめてみた。」

↓ この一冊は、自分の中の「当たり前』をひとつひとつ見直し、「これって、やめてもいいんじゃない?」と軽く実験。

すると、どうでしょう。(劇的ビフォア・アフター風)

世界が驚くほどに変わっていくのです。

それは、それは、清々しいほどの効果。「断捨離」というのは、単なるお片付けではなく、執着を手放すことです。

その辺が、見事にストーリーとして描かれていて、ストン、とお腹に収まるのです。

 

 

無理のないダイエットには「スリム美人の生活習慣を真似したら」の2冊が強力な助っ人に

ダイエットに関しては、この2冊をセットで読むと、ものすごい説得力。

1冊目も素晴らしかったのですが、2冊めでは、さらに「心」の問題に大きく踏み込み、清々しいくらいにマインドセットが整って、理想の自分になれているのが感慨深いです。

 

貯金ができない夫婦が年間100万円まt「隠すだけ貯金術」

お金編は、お金のプロが、お金を貯めたい夫婦について、コンサル指導をしながら一年に100万円、無理なく貯めていくストーリー。

無理なく、ではあるのですが、もちろん、やっていることをやめる、やってないことを始める、という意味で、最初は少しだけ負荷はあります。

でも、それが無理なくできて続くから、この方法は良いのでしょう。

だめな自分と向き合うと、部屋も心もきれいになる。

最後に、足の踏み場もなく、ほこりが積もる、いわゆる汚部屋と向き合いながら、自分自身と深く向き合うプロセスを通じて、心までもがきれいに磨かれていく、という、なかなかの感動ストーリー、「ダメな自分を認めたら、部屋がキレイになりました」。

いくつかのステップを経て、劇的に変化を見せていくのですが、その間、捨てる、捨てる…。

気持ち良いくらいに捨てていきます。

そのくらい、捨てられるものに囲まれて暮らしていたんですね。

 

私も、「断捨離」を学んだときに、巨大ゴミ袋が部屋を埋め尽くしても、まだ足りないくらいの服や本やCDや古いカバンやらを捨てた記憶が蘇ります。

本棚には、「いつか読もう」「いつか取り組もう」と思って、取ってあった本やCD教材がずらり。

ああ、まさにこの著者と同じ状態だった…と、懐かしく思い出しました。

 

 

秀逸な気づきは、この紹介文の中にもある一節です。

累計30万部突破! 『スリ真似』シリーズの著者・わたなべぽん最新刊!

生まれてこのかた、ほこりだらけの部屋に住み続けてきた著者・わたなべぽん。

一念発起して片付けを決心するのものの、モノが多すぎて部屋がまったくキレイにならない!

まずは捨てるところから汚部屋脱出をスタートするが
「使ってないのに、持っているだけでなんとなく安心」なモノにあふれている我が家に茫然…。

そんな自分の欲望に向き合いながら、思い切ってモノを捨てたら心の中の棚卸しまで出来ちゃいました。

捨てるべきはモノだけじゃなく、モノさえあれば大丈夫と思っていた自分の気持ちだったんです!

本書はそんな心身ともに片付け体質になるまでを描いた実録コミックエッセイです。

(アマゾンの紹介文より)

 

そう、捨てるべきはものじゃなくて、これさえあれば「大丈夫」「安心」と思っていた、自分の気持ち。

本も教材も、「買って安心」していた。

当時のコンサルタントも、採用して安心していた。

提携先も、いるだけで、安心していた。

 

もちろん、心理的効果もあったことはあったけれど、自分がやるべき本来のことが、疎かになっていなかったか…。

そして、「効果がない」「たいしたことない」と、人のせいにばかり、していなかったか…。

そして結局、同じ場所を、グルグル回ってばかりいなかったか…(フラッシュバック・涙)

 

胸にグサーっときつつ、性懲りもなく、また本やら教材やらが本棚やパソコンに置きっぱなしになっている自分に気づき、「反省の色なし」と反省。

大事なのは、行動、行動、と、実行に移行する勇気までいただきました。

マンガだから、ではなく、マンガだからこそ、直球で胸に飛び込んでくるものがあります。

自分の恥ずかしいところを、惜しげもなく公開し、それらを克服する過程を赤裸々に見せてくれるからこそセラピー級に効いてくる、わたなべぽんさんのシリーズ。

おすすめです。

 

最新版追加「自分を好きになりたい」

わたなべぽんさんが、またやってくれました。

コーチングのセッションでも、とにかく需要が激しく大きい「自己肯定感を上げる」というリクエスト。

日本の親の育て方の標準がどこか間違っているのか、どうにもこうにも自己肯定感が低いままおとなになってしまった人が多数。

皆、自分にダメ出しばかりして、セルフイメージをどんどん下げながら暮らしています。

そのままでは、本当にネガティブループ。

人間、いろんな可能性を持って生まれてきたというのに、自分が自分を卑下して、批評家になって、ときにダメ出しまでしまくって。

それでは、せっかくの人生、楽しむことなんてとてもできません。

 

で、この本を絶賛おすすめしたい。

ぽんさんの素晴らしいところは、自分を実験台にして、とにかくやってみる、を自分に課して、観察し続けること。

小さな変化にも敏感になり、自分をほめ、少しずつ回復をしていく様は、感動的ですらあります。

 

私も多くのクライアントにおおすめして、「感激しました!」「とても響きました!」とのメッセージをいただいています。

ぜひ、お手に取っていただきたい一冊が、また増えました。

 

人生はまさに鏡の法則。一瞬で現実を変える方法

 

さて、先日、容姿コンプレックスみたいなことを少し書いたのですが、機内で、まさにそれをテーマにした映画「I feel pretty」を観ました。

日本でも年末に公開です。

アイ・フィール・プリティ
人生最高のハプニング

※英語版はすでにDVD化されています

 

ストーリーは予告でも説明されているのですが、展開がわかっていても、関係なく楽しめます。

最後の方で主人公が繰り広げるスピーチなんか、自己啓発セミナーそのもので、笑いながらも興奮してしまう。

 

タイトルの「フィール」(感じる)というところがキーポイントで、実際の外見なんかではなく、あくまでも「自己肯定感」が大事なのだと訴えているんですよね。

それも暗に、じゃなくて、とってもベタにやってくれているので、娯楽としてわかりやすく楽しめる。

 

同じ自分なのに、セルフイメージが変わっただけで、すべての「結果」が変わっていく。

 

まさに、人生は「鏡の法則」

 

あなたの心の中の世界が、現実に映し出されているだけなのだというメッセージ。

でも、自己肯定感なんて、どうやって上げていくの?という質問はたくさん受けるのですけれど、

まずは「言葉」と「姿勢」から変えるとわかりやすいです。

 

言葉は自分では聴こえてないことがほとんどなので、プロが指摘してあげる必要あり。

でも姿勢は、自分でもわかりやすいですよね。

 

鏡でしょっちゅう自分を見てみてください。

 

顔は下むいていませんか?

背中は丸まっていませんか?

瞳はぱきっと大きく開いていますか?

きりっと口角を上げて、思い切り歯を見せて笑っていますか?

 

人の動作と感情は連動しています。

笑いながら落ち込めないし、楽しいことを考えながら泣くことができない。

 

自己肯定感を上げたければ、自己肯定感が高そうな人の真似をしてれば良いのです。

 

映画の中のヒロインも、「勘違い」した後はすっかり態度が違います。

背筋は伸び、堂々と大股で歩き、明るく大きな声で、迷いなく話す。

人の反応など気にせず人をリードし、その揺るぎない自信が人を惹きつけていく。

 

見る人に勇気を与えてくれる楽しい映画、おすすめです。
(評論家のレイティングは無視しましょう~)

 

アイ・フィール・プリティ
人生最高のハプニング

※英語版はiTunesなどでレンタルできます。

新時代の大人世代だから、やっぱり筋肉(笑)

Tシャツ姿ですが、秋色の写真です。

筋トレの成果あり、上腕にいくばくかの存在感が出ていますね。

長距離ランナーはどうしても上体がカリカリになってしまって、加齢と共に、貧相な印象になりがちなんです。

だからこそ、服の似合う身体をデザインしよう、テキサス人たちに負けない体格を作ろうと意識し、本格的に筋トレしている次第です。

 

しかし、やればやるほど脂肪も落ちて締まっていくので、かえって痩せて見えたりもして。

テキサスの人は、男性は胸と背中を鍛えて分厚く、女性はスクワットで足をスラリと形良く整える。

そんなエクササイズに夢中な感じ。

 

え、筋トレすると、筋肉太くなってゴツくならない?と思うのは、やったことない人ですね、きっと。

筋肉は、自然のコルセットみたいなものなので、しっかり締まって、着痩せ効果抜群なんです。

脂肪燃焼も単にダラダラとジョギングしてるよりも、はるかに効率良いですし。

 

集中力も増すし、瞬発力も出るし、疲れても回復が早くなる。

単純に、「力がつく」ことで、セルフイメージもグンと上がっていきますしね。

 

新時代の大人世代だからこそ、筋トレは絶賛オススメです!

見逃した方は、この記事、必見です!

「50歳を過ぎても身体が10歳若返る筋トレ」
若さのセルフ・アップグレード

最強アウトレットが最高につまらなかった理由

アウトレットは、なんだか空振りでした。

簡単に行けて、施設もブランドのラインナップも素晴らしいし、駐車場もほどよく空いてて、確かに、買い物はしやすい。

だけど、何かが変だ…。

めぼしい店に片っ端から入るものの、そそられない。

 

なんだろう、と考えていたのですが、きっと「自分が買い物をしたい環境ではないからだ」だということに行きあたりました。

 

アウトレットって、昔は売れ残りをさばく場所としてスタートしたのかもしれませんが、それがまんまとうまくいって、今となっては、単なる普通のお店化してますよね。

これは、とあるブランドのアウトレットで働く人から聞いたので、たぶん他も似たり寄ったりだと思うのですが店にあるのは、アウトレット専用に安く作った「似て非なるもの」。

 

コーチ、っていう名前がついていれば、それで構わない。

私にも憧れのブランドが手に入る!っていう消費者心理を満たすための、ハリボテの夢実現工場。

 

みたいなもの、だったりしますよね。

 

平日ということもあって空いていて、店員さんがやる気なくて(笑)、そのカラクリがあまりにも透けて見えすぎて、興ざめしちゃったってところなんでしょうね、きっと。

いつも混んでるハワイのワイケレ・プレミアム・アウトレット行くと、それなりに大人買いしちゃいますからね(笑)。

 

雰囲気って、大事だな。

 

でも、冷静になれば、私も外に出かけないので、服はいっぱい必要じゃないんですよね。

だったらば、どうせ買うなら、正規の店で、一番キラキラ輝いている最高に旬のものを買いたい。

 

まるで畑から収穫したばかりの、まだ土の香りが残る瑞々しい有機野菜を買うかのように、今、この瞬間、世に出たばかりの新しい色、新しい形に身を包んで、最も旬な自分を感じたい。

なんてことを望んでしまうわけですね。

 

でないと、買い物の醍醐味があんまりない気がして。

過去に、そんな買い物したときの高揚ったらなかったなあ~と思い出すのです。

 

大好きなブランドだと、たとえアウトレット店だろうと、確かに他の店よりは気分が上がるのですが、それでも、正規店と同じだけの輝きはありません。

ダンボールから出して、そのままハンガーにかけたでしょ、と思われる皺の目立つジャケットは、いくら50%オフと言われても、その価値すら感じないほど、残念に萎れていました。

 

ああ、もうこういうところで買い物できない体質になったのかもなあ、と、

歳取ることの弊害か?と少しだけ寂しくも感じるわけですが、でもそれはきっと悪いことじゃない。

 

成熟して、目も肥えて、自分の当たり前が変わってきただけなんだろうと思うのです。

 

どうせなら、上質な場で、上質なサービスを受けながら、上質なエクスペリエンスをしたい。

それでこそ、その服に身を包んだ時に、上質な芳香が自分から仄かに漂っていくものなのではないか。

 

なんて思ったりしながらも、ユニクロの機能性と破壊的な値付けには、いつもやられっぱなしですが(笑)、今回も、ダウンやフリースだと、ついつい比較している自分がいるのも、否めませんでした(苦笑)。

 

本格的な冬が始まったら、もっともっと冬服ショッピングも気分が高まっていくのでしょう。

今度は、好きなブランドたちの正規店が集まるモールに行くことにします。

 

お金の価値。時間の価値。エクスペリエンスの価値。人生の価値。

 

いろんなことにつながっているなと思って、興味深かったです。

これと一緒だな、きっと。

1万円は高い?安い?
200円高いワインが買えない病にかかったら

先延ばしして何かいいことあるの?

東京での食事会は、あっという間に埋まってしまったのですが、ちょうど最後のおひとり、というときに、昨日、アラフォー女性とのセッションがありました。

つくづく感じたのですが、30代とか、40前後とかって、結構、危険な年齢だなあとも思うのですよね。

 

何がって、「まだ時間がありそう」と変な勘違いしがちだから。

 

え、上野さん、いつも年齢なんか関係ないって言ってるじゃない〜!といわれそうですが、

 

あれはリップサービスです(爆)。

 

いや、うそうそ(笑)、そう信じているのは事実で、実際、何歳でも関係ないよ、と思うのですが、選択が変わったり、早いペースが求められたり、条件はずいぶんと変わっていったりするんですよね。

それを自覚してか、50代の人は、もう後がない、時間がない、今すぐ結果出さねば!と動きも早い。

真剣度もそれなりに高い方が多いです。

ある意味、焦り、というファクターが有利に働いています。

 

だけど、30代半ばとか、40前後とかだと、まだまだ大丈夫〜という安心感が漂っていて、意識の底ではやりたいと思っているのに、ずるずると先延ばししたりするんですよね。

長年の訓練が行き届いて、自分を納得させる技には長けていて、もっともらしく今じゃない理由を並べて、人を説得しようとする。

その技で自分自身をも騙しているし、一番危険なのは、潜在意識はそれを見抜いているので、自己肯定感がどんどん下がっていることです。

 

「リスクを避ける」ことを最優先に生きてきた結果が今で、それが嫌だから、コーチを頼んでいる。

なのにまあ、言い訳上手なアナタたち(涙)。

いつまでも親の育て方のせいにしちゃったりして、でも、もうとっくに親とは一緒に住んでない。

親が日々、行動を縛っているわけでも、監視してるわけでもない。

 

今、アナタを縛っているのは、アナタ自身だけなんです。

 

毒親育ちのトラウマ気質はよく理解していますが、社会できちんと機能できているのだから、

アラフォーにもなったら親離れして、自分の足でスクッと立ってもいいですよね。

 

「先延ばしして、何か良いことあるの?」

 

最近、いろんなクライアントによく聞く質問です。

 

条件が、少しでも良くなるんですか?

何かの能力がグレードアップされて、今できないことが急にできるようになるんですか?

 

未来の人生において、「今が一番、若い」とよく言います。

それ、単なる言葉の綾、ではなく、事実そのものなんです。

 

あとになって、ああ、あのとき、やっておけば良かったなあ…

そう後悔したくないのなら、「今がタイミングじゃない」とか言っていないで、今すぐ、行動を起こしましょう。

生活の習慣や、選択のひとつひとつを変えましょう。

 

しまった、こういうのを「ゆでガエル」と言うのだったか…と実感してから準備を始めるのでは、さすがにちょっと遅すぎます。

少なくとも、その頃には、今と同じ条件では、いろんなことができなくなってしまっています。

周囲はどんどん先に行っています。

で、ドツボにはまります。

 

年内にはきっとやるぞ!と目標にしていたことは、できてますか?

あと2ヶ月もしないうちに、今年も終わりますよね。

 

年内には、とかいう言葉をつい言ってしまう自分がいるなら、それは危険信号です。

それはなぜ「年内には」なのか?
無意識に締め切りを延ばしている
自分に気づいて行動を加速する

関係を長続きさせるのに必要なたったひとつのもの

このところの相談で多いのは、パートナーシップのこと。

私も、まさかの24年間、同じ人と暮らし続ける、ということを成し遂げてしまったわけですが、「ひとり」が大好きでしょうがない自分としては、とんでもなく不思議な出来事。

成し遂げる、という言い方が大げさではないくらい、それまでの関係が短すぎました(笑)。

 

私は飽きっぽいし、自分勝手だし、その勝手さは好奇心の現れでもあって、それを抑えられると苦しくなるし。

何度もこの辺でやめたい!と思いましたが(苦笑)、でもアメリカに来て良かったのは、

 

「関係とは共に育んでいくものだ」

 

という考え方を教えていただけたことです。

 

 

はじめから完璧な関係などない、というか、そもそも「関係」という言葉の定義に反します。

はじめに見えているのは、関係じゃなくて、たかが「相性」程度のもの。

で、相性が良かったら一緒に暮らせるのかというと、そんな甘い話ですらないですよね(笑)。

大人世代の皆さんは、よーくご存知だと思います。

 

逆に、相性なんて最低~というカップルが、長い間、一緒に暮らし、幸せな内に生涯を閉じるケースも多々ある。

育った環境の違う者同士がめぐりあい、惹かれ合い、一緒に暮らし始めるとき、最初は恋愛感情だったり、性愛だったりが強いものの、しばらくすると、それは薄れて、人と人が共同生活を円滑に営む「パートナーシップ」に質を変えていきます。

 

寮とかで、ルームメイトと一緒に暮らすのと、さほど変わらないのに、そもそもが親密な関係として始まっただけに、ささいな違いが目についたり、遠慮なく相手の傷に触ったり、感情で接してしまったりしがちです。

 

相談の内容を紐解いてみると、どんなケースにも共通するのが、相手に「期待し過ぎ」ということ。

 

こういう場合は、こうするべき。
きっと私を見てくれているはず。
まさか、そんなことするはずない。

 

いろんな自分だけの当たり前がそこにはあって、それに照らし合わせて、少しでもズレがあると、

 

「信じられない!」「ありえない!」「もうやっていけない!」

 

と、感情が沸き返り、時にはそこでリセットボタンを押してしまいがちです。

 

 

だいたいいつもパターンが同じかな、というときは、原因は「自分」です。

共通するファクターは、唯一、それだけだものね(笑)。

 

だから、自分が変われば、相手も変わる。関係もきっと変わります。

 

それは、「折れる」とか「我慢する」とか、一方的に負けを認めて服従するような感覚ではなく、もう少し上位の精神状態で、言うならば、

「受け入れる」

ということになるのかなあ、と思うわけですね。

 

それは一見、失望ゆえの深い諦めに似ているけれど、実はもっと穏やな希望に満ちたものです。

 

 

アメリカのTVや映画を見ていると、カップルセラピーの場面がよく出てきます。

そこで行われる対話をじっくり観察していると、結局のところ目指しているのは、深いレベルでの「受容」だとわかります。

 

互いをリスペクトし、自分自身もリスペクトし、自分を受け入れ、相手を受け入れ。

価値観なんて、違って当たり前。

その「違い」をこそ、尊重できる関係。

違うからこそ、ダイナミックでユニークで、豊かな暮らしが実現できるのだと、感謝すらできる関係

 

それが理解できたときに初めて、関係性は次のステージに向かって成長していける。

そう、関係だって成長する生き物みたいなものなんだと思います。

 

まるで子どもを育てるみたいに、その壊れやすい存在を慈しみ、試練を乗り越えながら守っていく覚悟が「双方に」あれば、その関係は、きっと長く続いていくのでしょう。

あるいは、互いをリスペクトする前提で、あえて離れて別な人生を生きるのも、成熟した大人の取るべき選択なのだと思います。

 

アメリカ人は、口頭でとにかく表現してくれますから、わかりやすくてありがたい。

だから自分も精一杯、言葉で表現をすることを、怠らないように気をつけています。

 

内向的だからこそ、内に溜めやすい。

自分世界で起こっていることと、現実世界を混同しやすい。

だから、外に出して、相手の反応を見て、軌道修正していかないと、と肝に銘じています。

 

そこにはちょっとばかりの、覚悟もあります。

 

何しろ、一緒に家買っちゃったし(笑)、つまんないことでケンカして気まずくなるより、話し合いで解決して、気持ちよく暮らした方が、自分にとって得。

なんか、二人して、やっと「ここまでたどり着いた」という印象なんですよね。

 

結局、これが基本にないと、ダメなんだろうなぁ…

長い道のりだったなあと遠い目になりながら。

言いたいことが言える自分になるには?