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Monthly Archives: 2月 2015
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子供の頃から、ずっと「個性的な人」に憧れていました。
先生や他の学年の生徒からも、すぐに名前を覚えてもらえるようなスター生徒が、いつの時代にもいたと思います。自分が目立つことは、死ぬほど恥ずかしいことだったくせに、キラキラと華やかに輝く彼らの姿は、眩しくて、羨ましかった。
そんな彼らに共通するのは、「個性がある」ということだと思っていました。
どことなく人とは違う「彼ららしさ」があり、それは嫌味でも奇妙でもなく、彼らの好感度を一層アップさせる好条件となっていたように思います。
3月8日のLAマラソンに備えて、1月は250キロ、2月は日数も少ないのに260キロ以上、走りました。そして、気がついたら体重もシュルシュルと落ち、ついに64キロ台に突入しました。
これって多分、就職する前の大学生の時の体重です。長距離走って激しくエネルギーを消耗するので食べる量もスゴイのですが、それでもこれだけ走っていると、どんどん体重が落ちていくんですね。今なら毎食もれなくデザートつけても太る心配ゼロです(笑)。
子どもの頃から肩の骨が張っていて、どうしてもカリカリに見えがちな身体が嫌で、大学生の頃からジムに通い始めていました。
働き始めた頃は景気の良い時代で、手軽に行けるジムが流行り始めた時期。エグザス、ティップネス、ノーティラスなど、あちこち転々と試しました。周りにも、ボディコンシャスな友人が多々いましたので、身体を鍛えるのは自分にとっては当たり前の日課のひとつでした。
だんだんと食べ物が贅沢になって体重も増えていき、同時に筋トレの強度も増していったので、21年前のハワイ移住時には、体重も70キロになっていました。
ハワイに行ってからは、とにかく普通の人のガタイがやたらと大きいし、とんでもなく子どもに見られてしまいがちなので、一時は強烈にマッチョ願望が芽生えて、ムッキムキになっていたこともあります。筋肉がつきやすい体質のようで、簡単に大きくなっていくのです。
心身のバランスが少し乱れたのが経営者になってからで、日々のイライラを食で発散させていた時期もあったようです。マラソンやってるから大丈夫、って安心して食べ放題やっていたら、いつの間にか体重も80キロに…。
ある年、ホノルルマラソンのゴールの瞬間をスタッフが写真に収めてくれたのですが、ピタピタのウエアからタプンタプンとはみ出そうなお腹の肉が揺れているのが見て取れました。タイムも当然のことながら良くなくて、激しく自己嫌悪。
その後、心を高める努力をして精神的な落ち着きを取り戻し、食の改善と継続的な有酸素運動とヨガやストレッチを習慣にして体重を再び73キロ前後に戻すことができました。
ロサンゼルスに越してからは、食のコントロールがさらにうまくいくようになって70キロ前後に安定し、昨年トライアスロンのために水泳の特訓をした頃から3キロ落ちて67キロに。
しばらくはそのまま維持してきましたが、ここへ来てのランニングが功を奏して、一時的にではあるにしても、64キロまで絞れてきたというわけです。何となく、動く時は3キロ単位くらいで動くものですね。
ただ、現在、上半身の筋肉は落ちすぎて、いささか「貧相」な身体になっています。どうしてもランニングだけしていると、そうなってくるのです。不要な筋肉は落ちて、足にはしっかりと細くしなやかな筋肉がついていく。見た目としては好きな身体ではありませんが、今回は記録狙いなので、余計なことはせずに体重が落ちるにまかせています。
レースが終わったら、またがっちり筋トレしまくって、ロサンゼルスにふさわしい(?)細マッチョな身体づくりに励みます。ここは年中、薄着なので、Tシャツやシンプルなシャツと、スリム系のパンツが定番。ごまかし効かないんですよね。見た目が重要なコミュニティです。
ということと健康志向とが相まって、この辺には大小、ありとあらゆるタイプのジムがあります。クロスフィット専門ジムもあり、ヨガスタジオも豊富。バイクのスピニングスタジオも複数あり。その多くが24時間か、早朝から深夜までの運営。住民も多いですが、フィットネス愛好者人口密度が高いんだろうなと想像します。
さて、先日、Amazonでふと目について、大人の筋トレの本を購入しました。「50歳を過ぎても身体が10歳若返る筋トレ」。
以前、日本の近所のジムに通っていた時に疑問に思っていたことが、ここにも書かれていました。ズンバとかヨガとか、スタジオでのワークアウトクラスはいっぱいになるのに、ジムはいつも閑散としてウエイトトレーニングをしているのは、ごく一部の限られた人でもったいない、と。
ああ、今でもそうなのかあ、とちょっと意外に思いました。
自分がアメリカ的マッチョ志向なのもあり、筋トレは当たり前にすべきもの、というか、してないと、鏡に写る自分にガッカリしてしまうので、ちゃんと歯止めが効いて習慣化させられるのですが、筋トレというものを、まったくやらない人もいっぱいいるんですよね。
50代という時期の設定について、同書ではこんな風に記述しています。年齢について深く考えることのないアメリカ暮らしですが、なるほど、と思いました。
50代はとてもセンシティブです。「まだまだ若い」という気概があるくせ、一方では「もうトシだ」と嘆いてしまうことも。
「第2の思春期」というわけで、気持ちと体力がとてもアンバランスなのです。
かくいう私も、50歳の誕生日を複雑な想いで迎えました。
50代というのは、人生を四季になぞらえれば晩夏から初秋。
仕事、家庭、社会的存在のいずれの面でも実りの時期を迎えます。
子どもが大きくなり、父母の老後という切実な問題などを抱えています。
私たちは現役として、大いにがんばらなければなりません。
この本にも書かれていますが、僕が感じる筋トレの効用は、こんな感じです。
とくに今まで筋トレなどしたことがない方にとっては、効果は絶大だと思います。一番最後の項目とか、僕があまりブログや表の世界で触れることのないトピックではございますが(苦笑)、正しく筋トレを続けてみると、必ずや実感できることだと思います。
50代なのに筋トレ?ではなくて、50代だからこそ、筋トレ。
身体に良い物を摂り入れて、現代生活の中でなまってしまった「生物としての人間の野生」を呼び起こすことで、免疫力も高まり、身体のあらゆる機能が、本来あるべき力を取り戻していくのだと信じています。
内容は初心者向けですが、筋トレ未経験者や初心者の方には、オススメの一冊です。効果を体感したことがあるのに、今やってない人にも、リマインダーとして良いのではないでしょうか。Kindleだと、今ならなんと360円です。
累計130万部突破というベストセラー「流星ワゴン」が今、テレビドラマとして放映されていますね。
Kindle化されていたので、早速、原作を読んでみました。人生や、家族との関係、夢、希望などを深く考えさせられる作品で、とても読みやすくエンターテインメント要素も高い中に、ずっしりと残るものがありました。
実はタイムトラベル的な要素が入った物語は大好きで、それが馬鹿げたおふざけものでなく、真剣に人生の意味について考える機会を提供しているものであったりすると、飛びついてしまいます。
ライフコーチのセッションを受ける方の大半は、経済的な成功も視野に入れながら、自分らしい人生のビジョン構築をしたいと願って依頼をしてこられます。
もちろん、お金がすべてではなく、どちらかと言うと、その部分を心配しないでいい状態を作っておいて、本来のミッションに集中したり、生活をゆったりと楽しむことができたらと願っている、というのが近いかと思います。
結局は、必ず仕事や起業の話、お金にまつわる話になっていくので、セッション前に記入をお願いする「ライフコーチ・セッション事前問診票」 には、ご自分で、自身のビジネススキルについて採点していただくコーナーを設けています。こちらが今、使っている最新バージョンです。
一昨日は、年に一度の映画の祭典「アカデミー賞」の授賞式がハリウッドで行われる日でした。渋滞さえなければ、車で10分くらいのところにあるドルビー・シアターを舞台に、授賞式が行われるって、なんかやっぱり感激なんですよね。ミーハー魂がふつふつと蘇り、飛んで行きたくなりました(笑)。
その2日前、ハワイから友人が訪ねてきてくれたのをきっかけに、ドルビー・シアターまで案内したのですが、すでにレッドカーペットはきれいに敷き詰められて、その上にカバーがかかり、インタビューをするための各種ステージが設営され、巨大なオスカー像が道路にそびえ立っていました。
アメリカの各地から訪れている観光客も、偶然通りかかったロサンゼルス市民たちも、一様にカメラを構えて、その様子を興奮して撮影していました。国中が注目するイベントだけあるなあと、他の賞との格の違いを如実に感じます。
32歳でハワイに移住し、MBAプログラムに進学してからは、インターンとして働きながらも、早く卒業してフルに働ける日を夢に見る毎日でした。かなり長い時間働いていたので、一度に取得できる科目数もいつもミニマムの3つ位。詰めればもっと早く修了できるところを、2年かかっての卒業となりました。
大人になってからの学生生活だったので、授業料も自分持ち。となると現金なもので、このお金に見合う「何か」をきっちり身につけなくてはと必死になるものです。親のお金で行った大学でも、同じような心構えができていれば、とは、後の祭り…。
大学の専攻は文学部で心理学・社会学関係だったので、初めて正式に学ぶ経済や経理、財務の話は新鮮で、とても楽しいものでした。日本ではまったく興味の持てない分野だったはずなのに、取り組んでみたら決して苦手ではない自分も発見して驚きの連続でした。
誰しも一年のはじめに、いろんな目標を立てたりするものですが、まずは書きものにすることで実現する確率はだいぶあがると言われています。タイプするより手書きがいいとか、それを公表してしまうともっと良いとか、いろいろな説がありますが、何よりもやはり目標に「日付」が入っているかどうかが大事です。
目標設定の極意は、よく「SMART(スマート)」という言葉で表されます。いくつかのバージョンがあるのですが、ここではアメリカで一般的に使われている表記を使って説明します。
最近、時折「ありのまま」批判をお見受けします。
僕は、「ありのまま」信奉者であり、「ありのまま」布教活動をしたいくらい大事なことだと思っているので、はて、なぜだろう?と思って、よーく聞いてみると、案の定、言葉の定義していることが違いました。
こういうことって、よくあります。人と人の行き違いって、言葉の意味の捉え方がまったく違うところから始まったりするんですよね。ある人は良い意味で使い、ある人は悪い意味で使う。そもそも違うことをさして使っていたりする。それじゃあ、話も咬み合わないし、心も通わない。そこをしっかりと見極めてからお話するのは大事ですね。
僕は子どもの頃から本が友だちみたいなところがあって、大量に本を必要とする子どもでした。
親も、本だけは何も言わずに買ってくれたのですが、好きな本は何度も読み返したので、経済的だったように思います。お話の世界の中で、たくさんのことを教わりました。おかげで、ちょっとませた子どもに育ったかもしれません。
ずっと小説やエッセイばかり読んで育ちましたが、40歳過ぎてからは、徹底してビジネス書しか読まなくなりました。
僕がハワイに移住する直前にブレイクしたMr.Children。当時はカラオケ大好きな時代だったので、難しいのによく歌っていました。(今も好きですが、行かなくなった、というだけです。車の中で歌いまくっています・笑。)
移住後も、日本帰国の度にTSUTAYAへ行ってはCDを大量に借りまくっていました。和洋新旧、音楽については幅は広い方かなと思います。最近、洋楽は最新を追いかけて聴いていますが、さすがに和の方は決まったアーティストだけになりましたね。
アイポッドミニが普及し始めてからは、ジョギング中に音楽が聴きやすくなりました。毎朝、ワイキキの山側にあるアラワイ運河沿いを走る時、今日は誰の歌を聴こうかと選ぶのが楽しみでした。
仕事の上でいろいろと消化されない思いが常時あった頃でも、朝のランニングがはけ口となり、あまり溜め過ぎないで済んでいました。同時に、歌に癒やされたのもあったと思います。
なんとなくモヤモヤっと自分の暮らしについて考えながら走っていたある朝、ランダムに設定していたプレイリストから、Mr.Childrenの「Any」という曲がかかりました。
そして、サビのこの歌詞がズシンと胸に飛び込んできたのです。
♫ 今、僕のいる場所が、探していたのと違っても
間違いじゃない。きっと答えはひとつじゃない。♫ 今、僕のいる場所が、望んだものと違っても
悪くはない。きっと答えはひとつじゃない。
「きっと答えはひとつじゃない。」
この言葉は、その後も何度も繰り返し、自分の胸に蘇ってきました。
僕らは皆、世間や親や先生や上司が示す「正解」を求めて生きているようです。学校のテストでも、正解は常にひとつであり、社会の模範とされる生き方も、幅のないパターン化されたものばかり。
アメリカに来たら、人それぞれ生き方にもバラエティがあって、色彩豊かなことに刺激されまくり。同時に、選択がある分、迷いも生まれます。それまで正解だと思っていたことが、ずいぶんとズレているかもしれないとも思うようになりました。そんなフラフラっとした心の状態で聞いた言葉は、なかなかに衝撃的でした。
そうだよね、きっと答えはひとつじゃない。こんな小さな島の、小さなコミュニティの中での暮らしにも、たくさんの学びがあるし、豊かな愉しみにあふれている。間違いじゃない。悪くはない。今いる場所、今あるもの。それらを当たり前と思わずに感謝することができれば、すべては「有り難い」価値あるものとなっていくはず…。
毎朝、東の山の端から登る朝日を正面に見据えて走りながら、僕は今を受け入れることを学んでいました。
下ばかり向いて走っていた自分が、ふと目線を前に向けると、道路沿いに咲くプルメリアの花に気づき、公園に茂る濃淡の緑のグラデーションが目に写り、朝日を反射してキラキラと輝く水面が眩しくて、思わず目を細めていました。振り向けば、マノアの山にはきれいな虹がかかっていました。そして、自分が今まさにパラダイスにいることを知るのです。ああ、この世界はなんて豊かなんだろう、と。たどり着きたかった場所に、自分はちゃんと着いていた。
不思議なことに、その瞬間、「自分はもうこの場所を出ても大丈夫だ」と思えるようになっていったのです。
この曲、「Any」は2002年の発表。アイポッドミニは2004年の発売のようですが、僕がこんな心境になれたのは、実はもっとずっと後。ライフコーチ体験をひと通り終え、稲盛和夫さん主宰の経営塾「盛和塾」に参加させていただくようになった2009年以降のことだと思います。