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Monthly Archives: 9月 2016

親が嫌い。そんな自分をゆるすことから始まる新しい関係

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コーチングのセッションでは、親との関係について話題になることも多いです。

親だけではなく、兄弟、姉妹、親戚、それから自分の子どものこと。

 

肉親との関係って、勝手に切れないものがあるので、よりこんがらがりやすいのでしょうね。

「好きでないといけない」「好きで当たり前」

仲が良いということがデフォルトであって、それがテレビドラマや映画で理想の状態として描かれて。

どうして、ウチはこうじゃないのだろう…と辛くなる。

自分はなぜ彼らが愛せないのだろうと、自分を裁いてしまう。

 

我が家も、別に問題という問題があったわけではないのですが、たいして仲が良い家庭ではありませんでした。

親がきっと愛情の表現が「不器用」だったんでしょうね。

 

子どもも含めて、全員が「内向性」が強い家族です。

全員、本が大好き、テレビも大好き(笑)。

そういう「受け身」な情報摂取を好むので、自分から他人に働きかけるとか、なかなか面倒くさいんです。

 

話すこと、そのものが面倒くさい、って言ってしまうと、どんなヒドイ家族かと思うでしょうが、いたって普通だし、たぶん、とても健全な部類に入るんじゃないかなあとも思います。

今は、そうわかります。

父親が嫌い!クライアントからの突然のメール

親については、それほど語ってこなかったクライアントさんが、ある日、長いメールを送ってきました。

そこには、いかに父親が独裁的で、頭ごなしに怒ったり、娘を侮蔑するような言葉を投げて傷つけてきたか。

号泣させられたばかり、という最新のホットなトピックスも含めて、ヴィヴィッドに書かれていました。

 

「苦手、というより、嫌いに近いです」

そんな本音のつぶやきと共に。

 

自分はそこまで親と対立したことはないなあ、と思い起こすのですが、やっぱりないですね。

ゲイであることが幸い(あるいは災い)して、すごく距離を持って接してきたというか、家族という制度にも疑問だったし、家族だからベタベタしなくてはいけないということが理解できないまま育ってきた背景があります。

やりたいことは勝手に相談せずにやってきたし(笑)、大学出た時に、家を離れて一人暮らしも始めて、親のありがたさもそれなりには分かったし。

 

 

彼女は、孫の顔を見せたら喜んでくれるだろうと思って、それなりに近くでもあるので、月に1~2度は子連れで戻っていたようですが、それももっと間を開けようと決心をした様子。

やりたいことがたくさんある中、何もこのことに時間を吸い取られて、しかもこんな辛い思いまでする必要はないだろう、と。

 

「愚痴メールですみません…」

そう言って締めくくってありましたが、私には、彼女がそこまで心を開いて、自分の中のしあわせ感を阻害しているひとつの要素と向き合ったことが嬉しかったし、立派だなと思い、そう告げました。

返信:親は別に友達じゃないから(笑)

それに対して、私なりにポッと浮かんだ言葉をつらつらと長い返信にしたためました。

メールサポート無制限。

時に、セッションで話をするよりも、クライアントに深く刺さり、効果を表すことがあります。

ひとりでじっくりと向き合って、言葉を噛み締めてくれるからかもしれません。

もちろん、文章がいいからですけどね(自画自賛・笑)。

 

さて、こちらが私の返信、そのまんまです。

 

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=

愚痴、というよりも、自分の「今」を形作るにいたった重要な要因のひとつですよね。

いろーんな要因が複雑に絡み合って、今の自分というのはできているのね。

その今の自分を、愛しく思えることができるようになったら、過去でさえも、無条件に感謝できたりするものです。

そこへたどり着くには、向き合うべきことに向き合う、とかいろいろプロセスは必要だけれど。

でも、今までよりも、一歩踏み込んで、自分の「見たくないこと」「触れたくないこと」「望ましくないこと」について、書いてくれたことはとても意味が大きいと思いますよ。

 

自分も親は苦手でしたが、ハワイに移住して、遠く離れた瞬間、突然、大切な存在に変わりました。

日本、という国も、離れた瞬間、天国に見えてきた。

パートナーも、一度、別れてから、ああ、やっぱり一緒にいれば良かった、と思って、復活…

 

なくなって、初めて見えるものって多いよね。

 

親は親。

別に「好きだから一緒にいる」間柄じゃないので、好きでいる必要はないよね。

 

ということが、妹もワタシも、親に対して思えるようになって、それで、適切な距離感を持てるようになった気がします。

親は別に友達じゃないしね(笑)。

そういう友達家族を見ても、羨ましいとは別に思わないので、自分は。

 

でも、好きとか嫌いとかを超越して、命を授けてくれたことや、大きくなるまで、とくに不自由もせずに育ててくれたことについては、無条件で感謝ができるようにはなりました。

 

「鏡の法則」って、読んだことがありますか?

人間関係、親と子の関係についても、とても参考になる良い本です。

なんというか、違う世界観が見えてくる、というか…。

まだだったら、ぜひ読んでみるといいかも、です。
こういう「ホンネ」をどんどん自分の中から見つけ出して、アウトプットしていくの、大事です。

我慢せず、そういうものかな、とか納得せず。

好き、嫌い。イヤなこと。やりたくないこと。

そういうものに「正直」になることから、ワクワクする未来は見えてきます。

今日は、メールありがとう~

「ライフ」全般、テーマは何でもOK

これに対して、とても丁寧な感想メールをまた送ってくださいました。

最後の方では、こんな風に書いてくださっていました。

「なんか、上野さんの返信がとっても新鮮でした。私はいつも意見を投げかけながら
相手の反応を予測してしまってるんですが、まったく違くて。

上野さんがコーチで本当良かった〜と思ったメールでした」

 

あ~、良かった、良かった。

とりあえず、気持ちに染みていったようですね。

 

なんか悩み相談とか、してはいけないのでは? もっと強くならなくてはいけない?

と勝手に思い込んでいる人もいるのですが、「ライフ」のコーチなのですから、目の前にあるすべてのことがトピックであり、テーマなのです。

その中で、今、何にフォーカスしたいのか。

それは、クライアント自身が自分で決めること。

まん丸の丸いしあわせバランスを創るために、大きく欠けて、尖ってしまっているところはどこなのか。

それがわかるのは、本人しかいないのです。

 

あなたは人の「セカンドチャンス」を応援できますか?

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皆さんは、アメリカの水泳選手ライアン・ロクテ氏をご存知ですよね。

あの、リオ・オリンピックの期間中、ブラジルで事件を起こしたお騒がせ金メダリストです。

 

銃をつきつけられた、強盗にあった、と会見までしたのに、それは実はウソで、酔っ払って器物破損して、警備員に追い出されただけだったと。

明け方にお酒の影響で事件を起こしたこと、国を代表しての重要イベントで、ホスト国の名誉を毀損するような「ウソ」をついたことが、当事国以外でも大きく報道されました。

 

結局、10カ月の試合出場停止となった彼。

ホワイトハウスでメダリストを労う儀式にも参加を許されず。

メディアで釈明するも、説得力に乏しく、あちこちでさんざんボコボコに叩かれました。

 

さて、ここで日本ならば、不祥事を起こした恥ずべき存在として罰せられ、しばらく干され、さんざん叩かれ続け、本人は「自粛」をして、外には出ない空白の期間をおきますよね。

アメリカだって、程度の差こそあれ、今までは、ある程度、そうだったかな、とも思います。

 

が、なんとロクテ選手。先週から新シリーズが始まった国民的人気番組「ダンシング・ウイズ・ザ・スターズ」に、出場してるんですね。

15人の有名無名のスターやスポーツ選手が、プロのダンサーとペアを組んで、毎週の
勝ち抜き戦を戦っていく番組。

ディズニーが所有するABCという局の放送です。

 

ファミリー番組でもありますが、そのキャスティングは話題性をしっかりととらえて、時に「ダーティ」なイメージの人も見つけてきます。

純粋にダンスの練習に精を出して、見違えるほど成長していく姿に、視聴者は感動するわけですが、その過程で、ダーティな人たちも、人間性まで磨かれて、人気が急上昇するという性質もあります。

やはり、身体を使って、何かに集中して極めようとすることって、精神を高めていく効果があるのでしょう。

 

という意味では、ロクテ選手の起用は「おお、なるほど」というところもあるのですが、常識はずれが大好きな私も、さすがに最初に出演者発表のニュースを見た時は、あまりにも急過ぎて目を疑いました。

TVは視聴率取れればいいんだから、という甘い話ではなく、一度、倫理観が問われれば、番組の好意的なブランド力だって失います。

スポンサーだって嫌がるのが筋。

でも、まあ、事件の性質もあったでしょうし(凶悪犯とか、人身、人命に支障があるものでは
なかったので)TVに何度も出演して、さんざん謝ってはいて、ある程度は落ち着いていたのは確かです。

 

そもそも2大会連続でメダルを取るほどの偉大な功績もあったので、彼がどんな風にメディアに出てくるのか、好奇心が勝っていたかもしれません。

ダーティなヒーローが、どうイメージを奪回するのかと。

番組の中では、何度も「誰もがセカンドチャンスに挑戦する資格がある」、「あなたの再起への挑戦を見守り、応援する」という言葉が聞かれました。

 

そして、番組後半、彼の出番が終わって、審査員の講評を聞いている時、なんと侵入者が彼をめがけてスタジオに入ってきたのです。

(下記のビデオに一部始終が映っています。)

彼らは、ロクテ選手に危害を加えるというよりも、抗議のためのもののようでした。

会場には、お揃いのアンチ・ロクテのTシャツを来た人が幾人かいて、何やら叫んでいました。

彼らはすぐに警備員に押さえつけられ、グループは会場外に出されました。

 

ロクテ選手本人も、ペアを組んだプロのダンサーも、すべての観客も、ショックを受けていたようですが、最後は逆に、ロクテ選手を応援するムードが高まりました。

他の出場者も含めて、いろんな人がコメントを求められていますが、皆がそろって口にするのはこの言葉です。

「人間は誰しも、一度や二度の間違いは犯す。そのことで人間そのものを否定せず、反省をして立ち直ろうとする者は、精一杯、応援しよう」

 

 

ロクテ選手本人も、批判を覚悟の上の出演です。

ある意味、これは「みそぎ」であり、「更生」の手段でもあります。

大衆の面前で、恥をかいて、門外漢の新しいことに挑戦する。さらしものになって批判も浴びる。

そのことが、本人を人間的にも成長させます。

 

ライアン・ロクテ選手で言えば、実際、彼は、ここまで人が事件のことに憤慨していて、早すぎるお祭りのようなTV出演に気分を害していているとは思っても見なかったようで、そこは本当に「甘い」「お坊ちゃん」という彼のイメージを再び浮き上がらせてしまうのですが。

でもまあ、だからこそ、彼の精神力の向上、人間的な成長には、役立つ、ということですよね。

翌週は、抗議Tシャツを逆のモチーフとして、I love ロクテのTシャツを出場者たちが着て、彼を応援していました。

 

 

アメリカは、失敗しても、何度でも次のチャンスを求めて立ち上がり、挑戦する人が大好きです。

映画「ロッキー」はその象徴みたいなものですね。

アメリカン・ドリームの本質です。

トランプ氏だって、破産したりしていますが、すぐに立ち直って、再び億万長者になったことで、評価されていますし、ドラッグ中毒で一時期を悲惨な状態で過ごすスターたちも後をたたないのですが、それでもリハビリを経験して、スターダムに戻ってくれば、暖かく迎えてくれますし、その「立ち直りのための尋常ではない努力」に惜しみない拍手をおくってくれます。

 

 

さて、日本なら、これ、どうでしょうね。

 

事件から、一カ月も経たない内に、出演が発表され、レッスンが始まる。

そして、お金をもらって、スター扱いされて、華やかにテレビ出演して、大衆に応援される。

 

「あまりにも早過ぎ」

「まったく反省してない」

「恥も良識もないのか?」

「TVは視聴率のために何でもやるのか」

「(傷ついた)ブラジルへの配慮に欠ける」

「芸能人や有名人を甘やかしてる」

 

そんな言葉があちこちで聞かれそうです。

まあ、まず世間からの批判を恐れて、メディアの方がこういう風には出演させないでしょうね。

それはそれで、別に間違いではないと思います。期限つきのことなのであれば。

 

ただ、どちらの社会が、「失敗しやすいか」というと、セカンドチャンスを奨励し、応援する社会の方が、やりやすいだろうとは思います。

幅のない社会、人の間違いに容赦ない社会にいると、自分自身の失敗にも、同じように厳しく
なりがちです。

時には、自身の戒めが怖くて、二度目のチャレンジができない。

見えない何かに縛られて、がんじがらめになって、身動きが取れない、なんてケースもあります。

 

アメリカは、あまりにもなんでもアリ、が過ぎて、倫理観が崩れていて、度量とかそういうことじゃない、という側面も、もちろんあります(苦笑)。

もっときちんとしようぜ、と言いたくなる場面もいっぱいあります。

でも、こうやって大衆がセカンドチャンスを応援する姿を何度も見せられると、それって、やっぱりいいなと思うのです。

 

今回は、ただ、こんな風に、価値観やら、ものごとへの対処がこんなにも違う社会もあるんだよ、という一例として、お伝えしたかっただけなのですが、皆さんはどう感じられますか?

どちらがいい、悪い、では全然ありませんが、この話から何か、感じていただけるものがあったら嬉しいです。

 

 

前進とはまっすぐ進むことではなくジグザグに壁にぶち当たり続けること

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コーチングのクライアントさんとのセッションは、月に1~2回。

一回が60分~90分ではありますが、FacebookのメッセンジャーやLINE、メールなどを通じて、週に一度、あるいは二週に一度くらいの割合で、コミュニケーションを図っています。

 

彼らに参考になることを、私から個別に連絡することもありますし、セッションで伝えきれなかったことの参考資料をフォローアップでお送りすることもあります。

が、ほとんどは、彼らの方から、課題としていたことの進捗を報告してくれるもの。

それに対して、私がフィードバックとなるコメントを返す、というのが「メールサポート無制限」と言う表現で、私が提供しているサービスの実際です。

 

時折、コーチやコンサルタントさんで、「メールサポートは週に1回まで」とか制限つけている方もいるようですが、私は「無制限」としています。

でも、アップアップして困るほどの量を送ってこられる方は、皆無に等しいです。

(まったくいない、とは言いません……苦笑)

逆に、もっともっとセッションとセッションの間に行動を起こして、報告できること、相談できることを増やしてくれたらいいのに、と願うことの方が多いですね。

 

時に、セッションの日時を引き延ばそうとする方もいます。

何も話すべきことがない、報告できる成果がない、という理由からなのですが、そういう方こそ、もっと日程を詰めてセッションをして、徹底的に行動することや、自分を変えるためのメンタルな部分のワークをやっていく必要があるのに、残念だな、と思いますね。

だからこそ、今、このような状態にあるわけだし、だからこそ、プロの手に委ねて、道筋を一緒に辿ってもらおうとお金を払っているのに、もったいない。

 

かと思うと、「まったく進んでいません」と言いながら、実はすごくたくさんの試行錯誤をして、結果として、ちゃんと前に進めている方もいます。

「失敗ばかりで…」と泣きそうになっているのですが、実はそれが、大事な試行錯誤であり、学びなのです。

 

「前進」という言葉を、一直線に、最短距離を、全速力で走り抜ける、というイメージでとらえていて、トライアル&エラーの本当の必要性を理解されていない人、案外、多いようです。

前に進むって、実は、「ジグザグ」にあっち行ったり、こっち行ったりして、学んで、方向を見極めながら、最終的に行くべき方向性を見極める、ということだったりしますよね。

 

ロールプレイングゲームで、あちこちの手がかりを訪ね歩いて、一つのネタから、次のネタへとつなぎ、またヒントを得て、新しい場所を訪ね、時に闘い、武器を手に入れ、いつのまにやらレベルアップしていく。

そんなイメージが人生における「前進」なのではないでしょうか。

 

私の中では、自動掃除ロボットの「ルンバ」が、壁や家具や人の足にぶつかりながら、くるくると方向を変え、それでもミッションを達成しようと床を走り回る、そんな姿が本物の「前進」なような気がするのです。

 

何かにぶつかること、ひとつひとつが失敗なのではなくて、最終的にたどり着きたい場所へ到達するための、単なるステップに過ぎません。

やってみて、現実世界からの「フィードバック」を得ていくことは、必須条件。

成果がなかなか出ない人は、その試行錯誤が怖くてできていないのです。

 

まずは最初の一歩を踏み出すこと。

あっち行って、こっち行って、ぶつかって、方向転換して、だんだんと核心に近づいていくこと。

そしていよいよ核心が見えた時に、心身共にちゃんと準備ができていて、思い切ってジャンプできること。

 

そのプロセス全体が「前進」なんですね。

だから、きっと、何かにぶつかったら、「しめた!」と思えばいいんです。

そこに「行き止まり」があることが学べたわけですから。

今こそ、「前に進む力」を鍛えるチャンスです。

 

 

秋からUCLAで「マインドフルネス」の勉強を始めました

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6月に講師として参加した「The Life School」の中で、マインドフルネスを体験できるミニ講座があって、参加しました。

そこで講師として教えてくれたのは、スクールの主催者のひとりである清水ハン栄治氏。

その時の模様は、こちらで記事にもまとめています。

参考 マインドフルで静かな刺激に満ちた体験「The Life School」in 軽井沢

 

静かな森の朝。新鮮な空気をいっぱいに吸い込みながら、マインドを空っぽにしてリセットする時間を持つことは、なんとも贅沢な体験でした。

深く静かな呼吸を必要とするヨガを習ったり、セルフケア系のセミナーなどで瞑想の真似事はしてきたものの、「マインドフルネス」というキーワードで、もう少し体系的に学んでみたいな、という気持ちがむくむくと湧いてきました。

 

私が提供するコーチングやコンサルティングの中でも、マインドセットは重要な位置を占めます。

心を整え、創造性の高いパフォーマンスを発揮し、かつ「幸せ度」を最大化することにつながる「マインドフルネス」の要素は、ぜひともプログラムに取り入れていきたいところです。

 

8月にたまたま清水氏とメッセージを交わす機会があった時に、ふと軽井沢でそう感じたことを思い出し、本場カルフォルニアならば、きっとどこかで学ぶ機会が提供されているに違いない、と調べてみました。

すると、ご近所のUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で、なんとこんなプログラムを提供しているではありませんか。

簡単に見つかる一般向けのプログラムがそれほどあるわけではない中で、最もきちんとした体裁を整えたものが、こんな身近にあるとは…。

 

UCLA Mindfullness Awareness Research Center(マインドフル・アウェアネス・リサーチ・センター)の提供する「マインドフル・アウェアネス・プラクティス」プログラム

 

1回2時間 x 6週間の短期コース。しかも、わずか168ドル!(18000円くらい)。

でも、週一でとはいえ、同じ曜日の同じ時間に、激しい渋滞をくぐり抜けて教室へ通うのは、かなり難儀だな、しかも一部のスケジュールは出張時期にかぶってる…

と思ったら、自分のペースで学べるオンライン講座もありました。

内容はまったく同じようなので、迷わず、そちらを申し込み。

 

このプログラムでは、まずは基礎を学び、その上に、あと2つほど講座が用意されているようです。

科学や技術の進歩によって、置いてきぼりにされてきた心や、充足感や、しあわせ、というものに焦点をあて、マインドフル・アウェアネスによって、「今ここ」に意識を集中。

そのことで、潜在意識の奥深い場所と「コネクト」する体験を実現しよう、ということが目的です。

 

成熟社会では、人の意識は、どんどんと内側へ向かいます。

心、幸せ、生きがい。

決してお金では買えないからこそ、より貴重で大切なもの。

 

たぶん学期ごとに、同じプログラムが提供されていくと思いますので、またあらためて体験してみた感想などをご報告したいと思います。

英語力はある程度いるかとは思いますが、オンライン講座は、自分のペースで学べるので本当に便利です。

 

9月16日がスタートの日だったのですが、アクセスした瞬間、講座の全部の内容を見ることができました。

集中してやりたければ、2日くらいで終えることもできるボリュームです。

新しいことを学ぶのは、本当にウキウキと楽しいものですね。

 

※清水ハン栄治氏の初めての著書が出ました!

↓ ↓ ↓

ノンママはアメリカでも話題。「チャイルドフリー」という生き方

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先日書いた「ノンママ」に関する記事は、ロサンゼルス在住のアメブロ公式トップブロガー「さとみるく」さんの記事とシンクロしたことで、思いがけずたくさんの方にご覧いただきました。

参考 「ノンママ白書」アラフィフの多様な生き方。どんな選択も個人の自由

参考 さとみるくのロサンゼルス日記「ゲイとノンママ」 ← なんというタイトル!(笑)

 

ドラマの質はこの際、置いておくとして、毎回どこかに「チクリ」とするシーンがが挟み込まれていて、その着眼点とかを面白く拝見しています。

でも、部長役の鈴木保奈美さんが「次はやはり男子社員がほしいです」とか堂々と言う場面でドキドキしちゃう、小心者経営者の私です(苦笑)。

日本って、そうやって「女性が女性を」差別したり、ジャッジメントしたりする場面を、ものすごく多く見かけるんですよね。

これはまた別な機会で書きたいことではあります。

 

さて、そう言えばアメリカはもっとこのことで先に言ってるはずだよなあ、と、何でもオープンに意見を闘わせて2分割する国のことを思い、調べてみたら、やはり、ありました。

「チャイルドフリー」という生き方についての、さまざまな議論や主張が。

このブログは、生き方を考えるためのブログなので、少しこのトピックについてもフォローしておきましょう。

「チャイルドフリー」という選択

正式な場面では、「Voluntary childlessness(自発的な子なし=チャイルドレス)」という表現が使われたりもするようです。

が、自分は単に子どもがいない、というのではなく、そういう生き方を選んだのだという主体的な意味合いを強めて、最近では「Childfree=チャイルドフリー」という表現を使うのが、ポリティカリー・コレクトなようです。

アメリカでは、40~44歳女性の19%がチャイルドフリーな状態にあるとか。

 

ハフィントン・ポストにもたくさんの関連記事があり、中でもこちらは8月の記事。

この話題、議論は、今まさに語られている新しいトピックであるということです。

参考 「チャイルドフリーの人々があなたに知ってほしい5つのこと」
5 Things ‘Childfree’ People Want You To Know

 

ここで言う5つのこととは、1)簡単に決めたわけではないこと、2)ちゃんと「親」の役割を間近で見た上で「自分向きではない」と判断していること、3)社会的、環境的な問題を真剣に考えると、子を持つことは適切ではないと考えること、4)男性側の決断も手伝っていること、5)親になるという責任を深刻に捉えたこと。

 

そして、ページトップに掲載した写真は、2013年8月のTIMES誌です。

なんと「The Childfree Life」という特集記事が表紙を飾っています。

チャイルドフリーは、そのくらい盛り上がりのあるトレンドワードなんですね。

 

中の記事をウエブ版で見ると、とても興味深いです。(英語記事)

チャイルドフリーの大人は決して「身勝手」なのではない
(Childfree Adults Are Not “Selfish”)

子どもは「しあわせ」を運んでくるのか?それとも「悲惨な暮らし」か?
(Do Children Bring Happiness—or Misery?)

「私はただ子どもがほしくないのです」 −− 子どもを持たない選択をすることは、100万のイエスに、たった1つの大きなノーを言うようなこと
(I Just Don’t Want A Child
Deciding not to have a kid is like saying one big no and a million little yeses)

出生率の低下が、大災害を及ぼすことにはならない
(The Declining Birthrate Doesn’t Spell Disaster)

 

これらのメディアの記事は、「産まない」「持たない」選択をした人たちを理解しようと提唱しているようです。

いろいろなことが、はるかに「進んでいる」感があるアメリカで、今なぜ、このことが新しい議論となっているのか、疑問に思う方もいるかもしれませんが、そこにはいろいろと背景があるかと思います。

背景にある根強い宗教的価値観

私がアメリカに移住したのが1994年8月。

22年前のことですが、その時から、アメリカ国内は、2つのことの議論で、まっぷたつに別れている感がありました。

それは、1)同性間結婚、2)人工中絶の合法化の是非。

 

1はわかりやすいかもしれませんが、どちらも、敬虔なクリスチャンにとっては許せないことのようで、2の方も、中絶クリニックが反対派に襲われたり、ピケットを持った人々がデモを繰り広げたり。

大統領選挙でも、必ず焦点になるのが、この2点。

 

何しろ国民が2分されているのですから、Yesと言っても票を失うし、Noと言っても票を失います。

でも基本的に、民主党はYes、共和党はNo、という立場で闘ってきたのが歴史です。

1の同性間結婚はついに連邦政府で合法化されましたが、2はまだ議論の途中で州によって対処が異なります。

 

子どもは社会の宝ものであり、産めるのに産まないのは、半宗教的である、とするのは、キリスト教だけでなく、ユダヤ教やイスラム教もそうだとWikipediaにはあります。

もちろんこのことは、宗教を超えて、重要な文化的思想として、長い歴史を通じて人々の中に埋め込まれてきた「価値観」であるわけです。

小さな頃から、それが当たり前、と教え込まれて育ってきた人々には、選択の余地のない話だったりもするのでしょう。

スターに対する「なぜ、産まない」批判

アメリカでよく世間からはばかりなく批判されるのが、40歳前後になっても子どもを産もうとしないスターたちです。

キャメロン・ディアズやジェニファー・アニストンなど、何度もゴシップ誌を中心に詮索され、そのたびに反論させられ、繰り返しメディアを賑わせていたりもします。

参考 ジェニファー・アニストン「まだママにならないの?という質問はもううんざり」
(Jennifer Aniston Is Really, Truly Over Questions About Becoming a Mom)

 

「個人の自由」を尊重するアメリカで、ましてや日本のように少子化が進んでいるわけでもない状況下で、ここまで執拗に子どもを産まないことについて興味本位で語られてしまうと、うんざりでしょう。

「同年代の男性スターには絶対に言わないのに」とジェニファー・アニストンが憤って語った記事もありましたが、例え事情で産めないとしても、養子縁組が比較的容易な国であることも、余計に面倒な状況をうんでしまうのかもしれません。

お金もたっぷりあるし、相手なんて選び放題じゃないか、とか…、そこには少しばかり妬みもあったりするかもしれません。

 

私のクライアントさんにも、子どもを産んだはいいけれど、「可愛く思えない」ことで悩んで深刻だった、という方がいます。

今も「子どもがいなければ、もっと時間が自由になって夢へと進めるのに…」などと思い巡らしてしまう自分自身に、自己嫌悪してしまう、という本音も聞かれたり。

 

かと言って後悔しているわけではないのでしょうが、子どもは生むべきもの、子どもは無条件で可愛いはずのもの。

そういう決め込みが、人を追い込んでしまいます。

 

別なクライアントさんは、「孫の顔を見せてあげられなかったことが、親には申し訳ないですね」と、やむを得ず、そう考えてしまう自分を認めていました。

そこ、私も実はそうなんです。

うちは、妹もチャイルドフリーですから、親にとっては孫がひとりもいません。

「長生きしたってしょうがないわ~」とため息をつく母の顔を思い浮かべつつ、もし頻繁に孫を連れて帰省してあげられたりしたら、彼女の生きる歓びのひとつもプレゼントしてあげられたのだろうか、とか考えてしまうことはあります。

 

 

「ノンママ白書」は、9月24日で最終回のようですが、さて、どこに結論を持ってくるのでしょう。

 

アメリカという特殊な場所で、養子だって可能な私自身も、いつどこで「やっぱりないね」という最終結論を下すのか。

自分ごとながら、同じくらい興味深いです(笑)。

 

 

人生をどう見るかで生き方も変わる。3つの「T」の内、あなたにフィットするのはどれ?

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リオ・オリンピックの余韻冷めやらぬ頃、マイケル・フェルプ選手が自殺の危機から立ち直るきっかけになった、という貴重な一冊の本をブログで紹介したところ、たくさんの反応をいただきました。

参考 マイケル・フェルプス 記録の秘密。自殺の危機から救った一冊とは?

 

北京、ロンドンと快調にメダルを獲得して、一躍トップスターとなり、富も名声も手に入れた彼は一時、引退します。

でも、今度は「生きる意味」を失ってしまい、アルコール、ドラッグ(軽いもののようですが)、酒酔い運転、ギャンブルなど、逮捕までされるほど坂を転げ落ちていきました。

こんなんだったら生きている意味はない、と一度は、本気で自殺も頭をよぎったようです。

 

幸い、アメリカにはすばらしいリハビリ施設がありますし、金銭的な余裕さえあれば、単に身体的な部分ではなく、マインドの徹底修復をはかるためのプログラムが充実しています。

彼は、友人にすすめられた一冊をそこで読み、人生の本当の意味にめざめていったということです。

その本とは、こちら。

 

キリスト教の教えをもとにした啓発書ですが、Godを好きな言葉に置き換えれば、誰の心にも染みていく言葉が連なっています。

宇宙の意志、ハイヤーセルフ、天、いろいろな言い方が選べると思います。

人生は、あなたにとって「どんな意味」を持っているか?

私は原書で読んでみたのですが、その中で、人生をどう例えるかで、人生の見え方が変わる、ゆえに生き方も変わっていくのだという節がありました。

例えば、聖書が教えるのは、こちらの3つのTです。

  1. Test(試練、試される場所、学びを得る場所)
  2. Trust(信託、預かりもの、返すべきもの)
  3. Temporary Assignment(一時の任務、任地)

 

それぞれについて、詳しく例を交えながら、聖書も引用しつつ、語っているのですが、実に、どれも切実に、心の奥底に響くんですね。

 

仏教をベースにお話になる稲盛和夫さんや、世界中の知恵を平易な言葉で語り継ぐ斎藤一人さんらの言葉と、見事に重なることばかり。

 

ただ、不思議に思うのは、この本の出自国でもあり、大多数がクリスチャンのアメリカという国が、ここで教えるようなこととは真逆の「利己的な」特徴が際立つ社会である、ということです。

子どもの頃から教会へ通い、こんな話を刷り込まれてきたら、全員がマザーテレサみたいに育ちそうなものだけど、そうじゃないのが現実で…。

 

私のもとには、成功したい、もっと稼ぎたい、もっと幸せになりたい、と願う、多種多様な方が訪れますが、どうしても多くの人の目は、即効性のある「テクニック」や「手法」「ノウハウ」に吸い寄せられがち。

でも、名声を得ても、お金を得ても、「自分なんかこの世にいないほうがいい」と死を考えるようなことにもなりうるわけです。

 

今回のマイケル・フェルプス氏の活躍は、そういう意味で、何重にも意味が深いんですね。

オリンピックは、こういうドラマをたくさん見せてくれるので、目が離せません。

 

まだの方は、ぜひこちらのブログも参考にされてみてください。ご紹介しているマイケル・フェルプス氏の苦悩と再起を語るビデオが秀逸です。(英語)

 

 

参考 マイケル・フェルプス 記録の秘密。自殺の危機から救った一冊とは?

 

 

お金の意識を変えて豊かさを引き寄せるオススメ読書12冊

これまであまりお金について真剣に考えたことがなかった、本気で向き合ってこなかった、という大人世代向けに、「お金にまつわる」オススメの読書リストをまとめてみました。

随時アップデートしていますので、時折、チェックしてみてください。

経済的な安定があってこその自分らしい生き方追求

アメリカのインターネット・マーケティングの第一人者が提供するオンライン講座を年末から受けているのですが、ビデオも資料も膨大な量があるし、まだまだ半分に到達したばかり。とても高価なプログラムだったので、少しでも見逃すまい、聞き逃すまい、と資料にハイライトしながらビデオ素材とにらめっこしています。

Continue reading

地球はこれ以上、成功者を必要としていない。ダライ・ラマが説く地球に必要な人たち

ダライ・ラマの言葉は、多くの人の心の琴線に触れ、穏やかながらも力強い音を共鳴させている。英語でも日本語でも、名言集がウェブにはたくさん掲載されているが、Facebookでシェアされていたこの言葉がふと飛び込んできた。

 

地球はこれ以上、成功者を必要としていない。地球が切に望んでいるのは、平和を実現する人や、人を癒やす人、修復をする人、物語る人、そしてすべてのものを愛する人たちだ。

 

英語でも探してみたら、実はその続きもあった。(後半部分が日本語にはない部分)

“The planet does not need more ‘successful people. The planet desperately needs more peacemakers, healers, restorers, storytellers and lovers of all kinds.

It needs people to live well in their places. It needs people with moral courage willing to join the struggle to make the world habitable and humane and these qualities have little to do with success as our culture is the set.

この星は、世界をより住みやすく、人間的な場所にするための難行・闘いに進んで加わろうという倫理的勇気を持った人々を必要としている。

H.H.The Dalai Lama

 

これまでのカルチャーの中では、成功とはより多くの富を得ることに集約されていたのかもしれないけれど、そのことと、ここでいう「倫理的勇気」は直接的には関係がない、と最後に結んでいる。

 

Peacemaker、Healer、Restorer、Storyteller、Lover。

この中で僕がなれるものは何だろう。

 

 

全部。

 

なろうと思えば、全部なれる。なりたいと思えば、誰もがなれる。

これからのまだまだ長い人生のことを思いながら、しっかりと刻まれた言葉となった。

 

 

 

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思い込みは、人間関係を壊すだけでなく自分の可能性もがんじがらめにしてしまう

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先日、クライアントとの対話の中で、こんな言葉が出てきました。

とある海外のある国をターゲットにビジネスをしてはどうかという話をしている最中のこと。

価格設定の話になって、「ある程度、高額設定しないと自分が辛くなるかもしれないですね」とアドバイスしたところ、彼女の口から出たのは、この言葉でした。

 

「でも、日本人は金払いがいいけれど、◯◯◯◯人はお金にケチなんです」

 

この場面で、「やった、来た来た」と心の中でニンマリと嬉しくなってしまうのが、ライフコーチの性かもしれません。

なぜかというと、このような言葉というのは、「一般化(Generalization)」と言って、便利に使える反面、偏見や先入観を生み、人間関係を壊したり、コミュニケーションを阻害したり、自分の可能性を限定してブロックしたりすることになるのです。

 

「いや、私の知っている例では、日本人は決して金払いがいいとは思えないし、世界的に見て、もはや裕福な国ではなくなってますよね。例えば、こんな実例もありますが、どういう風に考えますか…?」なんていう風に、「思い込み」に対する逆の説を投げたりして、その正体をばらしていきます。

日本人って言っても、いったい何人いますか? その全員が金払いがいいですか?

中国人は爆買いするけれど、全員がお金持ちなわけではありませんよね?

 

確かに教育や宗教や歴史的背景によって、ある種の傾向というのは生まれることもあるでしょうが、ひとつの国の国民全員に共通する特徴など、そうそうあるものではないはずです。

グルーピングすると確かに便利なのですが、逆に大いなる限界を作ります。

 

コーチングの現場でよく出てくる「一般化」ワードには、こういうのがあります。

 

日本だと、それって無理じゃないですか」

子どもがいると、どうしても時間がなくてたいへんで」

成功した人って、なんか冷たいじゃないですか」

「お金持ちって、やっぱり信用できない

に言われたことには、逆らえないので」

「私って怠け者なんですよ」

「パソコンが苦手で」

「私って感覚人間なので」

「私ももう◯歳なので」

「だって、皆がそう言ってます」

「旦那は、いつも◯◯で」

 

専門的に分類すると、1)必要性、2)可能性、3)普遍性という、主に3タイプの一般化があるのですが、まあ、そんなことはどうでも良いです。

上記を見て、なんとなくフィーリングはつかめるでしょうか?

 

常に、例外はある。

だけど、その人の中では、なぜかしら「真実」として揺るぎないものになってしまっている。

そのことの発見が大事だし、それを、根っこから疑い、崩していくことも大事です。

どうして、そういう思考ができあがったのかを見つけることより、「例外を指摘してあげる」ことの方が、パターン崩しにははるかに有効です。

 

私は怠け者で…と、未来への計画がひとりではなかなか進まないことを自己卑下して言うクライアントさんが、でも実は朝7時に電車に乗って、1時間半かかるオフィスまで毎日通っている。

そこでは責任ある立場でチームを率いて、皆に先に帰らせるために、自分が深夜まで仕事を引き受けていたりする。

土曜は病気のお父さんを見舞いに1時間半かけて病院に行き、合間を見て語学の勉強をして、ちゃんと検定試験に受かったりもしている。

 

おいおい、どこが怠け者なんじゃい、とツッコミのひとつも入れたくなりますよね(笑)。

 

そうやって「ツッコミ」をあの手この手で入れていくことで、クライアントの限定思考パターンは、崩れていくものなのです。

でも、これを自分ひとりでやるのは困難です。

なぜなら、「そんなことを言っている」なんて、自分では気が付いていないのですから。

自分の中では、あまりにも固定化した常識であって、技術のあるプロにさんざん突っ込まれてはじめて、あれ、これって本当じゃないかも、って気がついていくのです。

 

今回は、「一般化」について見てみましたが、その他にも、「歪曲」「省略」というふたつの思考パターンがあります。またあらためて、お話したいと思います。

 

★ちなみに、この「一般化」や「歪曲」「省略」については、NLPを学ぶ中で必ず出てくるメタモデルという概念です。

 

時間がない!と嘆いている人もきっと解決できる4つの質問

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日本在住のクライアントさんとお話していると、そもそもにおいて、「時間が足りない」方がほとんどです。

長時間の通勤時間、長時間労働、おつきあいの飲み会、習い事、家族の面倒、親の介護…。

それらの組み合わせで、何か新しいことを始めたくても、未来の為にリサーチをしたくても、まったく時間が取れない人が多くいます。

 

でも、これができないと、未来へ向けての新しい動きなど、起こせるはずがないのです。

ではどうするか、というと、結局は、今やっていることを「止める」という、「引き算」を一度しておかないとなりません。

 

すでにグラスから水が溢れかえっているのに、さらに注ぎ足しても、あふれるばかりで、何も入ってはいきません。

まずは、今グラスに入っている水を、空けなければ、新しい水を入れることは不可能です。

では何を引くのか。

 

いっそ、先に退職してしまって、それから考える、というのもありますが、ちょっとリスクが大きいですよね。

残業があまりにも激しい場合は、一度、就労時間が短い職場に転職してクッションを置く、というのもなくはないかもしれません。

 

「今やっていることを止めるなんてことが簡単にできれば苦労はしないですよ~」と言われそうですが、いくつかの違う角度から見直せば、きっと新しいアイディアも出てきます。

今回は、「時間の作り方」について参考になる、4つの質問をご紹介します。

考え方の整理に役立ちますので、ぜひ、今、とくに不満がない方も、やってみてください。

時間創造のための、3つの方法論

まず、時間を創るための前提条件として、次の3つの方法論があるということを覚えておきましょう。

時間(あるいは予定・行動)を断捨離する感覚を持つこと

断捨離とは、ものと向き合って、自分軸で「必要かどうか」を見極めるための、ひとつの考え方です。

あふれかえったものをこれ以上増やさないために、まずは「断つ」。

今あるものから、不要なものを、とにかく「捨てる」。

捨てられない、もしかしたら必要かもという執着から「離れ」て自由になる。

 

時間についても、これと同じ理論が成り立ちます。

まずは、新しい予定を極力、入れないこと。(断つ)

今やっていることを見直して、「必要ない」ことを止めること。(捨てる)

どうしてもしなくてはいけないのでは?と思っていること、やるべき、と決めてしまっていることを見直して、あえて「止める」。「べき」の執着から解放されること。(離れる)

なかなか言うほど簡単ではなく、ここにすべてが集約されているのですが、またあらためて詳しく話すことにいたします。

人を使うこと

何もかもを自分でやらなくては、と勝手に思っている節がありますが、言い方は悪いですが、人を上手に使うことで、自分の時間を空けることは可能です。

旦那を使う、親を使う、友人を使う。

罪悪感なしに、人に頼む。人を利用する。

どうしても止められないけれど、でも人に頼んでも大丈夫という範囲を、常識にとらわれず、どんどん広げていくことで、思いがけず、時間は作り出せます。

お金で時間を買うこと

プロのサービスを頼むことで、お金を時間で買う、ということが可能なケースもあります。

子どもをベビーシッターに預けて、必ず週に1回、月に2-3回は、平日の夜にデートする、というような、アメリカ人夫婦の努力は、お金を使ってこそ成り立つ話です。

そこまで、強いコミットメントをして、「夫婦関係」を優先させ、フレッシュに保ち、家族の永続的な幸せのために「努力」を尽くして、関係を育んでいるわけです。

時間を創るヒントが続々出てくる4つの質問

上質な質問は、上質な答えを呼んできます。

悩んだり、諦めたりしていないで、まずは自分自身に対して、「どうしたらできるようになるんだろう?」と、無の境地で問いかけをしてみることが、解決の糸口を見つけてくれます。

答えは、常に自分の中にあります。

創意工夫をして、自分の心の奥底と対話をはかってみてください。

質問1 日々の行動の中で、やめてもいいな、と思えることは何ですか?

毎日、あるいは毎週、習慣としてやっていることで、やらなくても誰も死んだりしないこと。困らないかもしれないこと。

小さなことから大きなこと、何でもいいので徹底的に洗い出してください。

時間を無意識に蝕んでいることが、毎日の暮らしの中に、驚くほどあります。

無理やり10個くらい、ひねり出してみましょう。

質問2 やり方を少し変えたら、時間がずいぶん浮くかもと思えることは何ですか?

洗濯物を外に干しているのを、乾燥機を使ったら、時間は大幅に浮きます。

贅沢かもしれないけれど、食器洗浄機を導入したら、自分の手を煩わせずにすみます。

転職して、家の近くの職場に移ったら、通勤時間が大幅に減ります。

 

そんな風に、今当たり前のようにやっていることも、やり方や、ちょっとした前提条件を変えるだけで、大きな時間を生んでいく可能性があります。

こちらも10個、1とは別に考えてみてください。

質問3.日々、自分が時間を割いているものごとの中で、これは人に頼めるなということはありますか?

自分のわがまま放題で構わないので、相手の都合はおかまいなしにして、10個ひねり出してみてください。

感情は入りませんし、相手の顔色は、この段階でうかがう必要はありません。

100%自分本位になって考えてください。

奥さんだから、お母さんだから、という社会の通例に溺れないで、家庭内での役割分担もゼロベースで考えてみることです。

質問4.お金を払えば、自分の時間を使わずにできるな、と思えることは何ですか?

ワーママを支えるために、忙しく働く人をサポートするために、新しいサービスはどんどんできてます。

「お金は十分にあったとして」という前提でいいので、自由な発想で考えてみることが重要です。

人の目は気にせず、これも100%自分本位で考えてみましょう。

意志を強く持って「NO」ということも必要

時間を創るのだ!と覚悟を決めたなら、思い切って「No」を人に対しても、自分に対しても、言っていかないとなりません。

今までの常識に背を向けて、大いなる罪悪感とも闘わねばなりません。

 

子育てをしていると、いろんな方がいろんなことを言いますよね。

小さい時くらいずっとついていてあげないと、とか。

自分の勝手な都合で人に預けるなんてとんでもない、とか。

 

ワーキングママさんの場合は、それに振り回されて、ヘタしたらご主人よりもはるかに仕事で忙しいかもしれなくても、家事や子育てにも完璧を求められて、苦しい思いをしてしまっているかもしれません。

感情ははさんじゃダメですよ、と前置きしたのですが、やはり「私って、なんて自分勝手な母親なんだろう」と責める気持ちが湧いてきてしまうのですね。

 

私の子どもの頃は、土曜も半日は学校あったし、親はそれで助かっていたと思います。

夏休みの長いアメリカは、必ずサマースクールというのに子どもを参加させて、自分が働けるように都合をつけます。

もちろん、より良いプログラムを選んで、子どもたちの教育に役立つ機会として、参加させるのは当たり前のことです。

限られた選択の中で、最大公約数のWin-Winを願って、心を尽くしていくのは、当然の努力ですよね。

クライアントに伝えるメッセージ

私がいつもしつこいほどクライアントに伝えているのは、このことです。

とあるクライアントに出したメールの文面を、そのままコピペ掲載します。

 

「コーチングをいくら受けても、毎日の生活習慣を変えていかない限り、あまり変化はないのです。

時間のない人には、勉強もできない。トライアルもできない。考える時間すらない。

としたら、夢へのチャレンジなんて、とんでもないです。

まずは、そこに深くコミットメントを置いて、なんとしてでも自分の時間を作る。

そこにチャレンジしてみませんか?」

 

「当たり前、と思っていることを疑ってみて、戦略的に手抜きをすることも大事です。

自分がまず第一番目にあること。そこに罪悪感を持たないこと。

自分が幸せじゃないのに、人を幸せになどできません。

自分がどうしたら満たされるのか、まずは自分のことを一番に考えて、ケアしてあげてください。」

 

「変な我慢は、美徳じゃなくて、すべての元凶になりえます。

今までの常識から解放されて、『やりたいことを実現するにはどうしたら?」』という質問を、常に自分に対して問いただしてみてください。

そして、何でもいいから、小さなことでもいいから、ひとつでも新しいことを始めること。

そのためには、今まで当たり前と思ってきたことを、ひとつやめること。

誰か次第、じゃなくて、『すべては自分次第』であることを実感して、人生の主導権を握ってください

流されていては何も実現できないです。

この繰り返しが、いつしか、とっても大きな変化を生んでいきます」

行動なくして成長なし。ドラスティックな変化を恐れない

コーチングのクライアントは、セッションにお金を払っているのではありません。

セッションやこういうメールで聞くことを、実際に、行動に移してみて、現実世界からの反応を受けつつ、「生活を変える」 ⇒ 「その結果、自分が成長する」 ⇒ 「成長した自分が、さらに大きなことに挑戦する」 ⇒ 「そして、その結果、コーチングを受ける前よりも、とんでもなく成長し、大きくなり、可能性が広がり、びっくりするほど夢が叶って、
思い通りの人生が送れているようになる

コーチングの価値とは、そういう壮大なものなわけです。

 

その後の収入は、今よりも何倍にもなっている可能性があります。

生きる満足度は100倍にもなって、比べられなほど充実しているはずです。

今と、その状態の「差」に、コーチングの価値、フィーの意味があります。

単なるセッション代ではないのです。

 

セッションとセッションの間、何もできないのであれば、結果もそれなりです。

そこを十分に理解して、投資効果を最大限にするために、試行錯誤して戦略的に時間を作って、「自分のための投資」として、その時間を有効利用する、ということをぜひ覚悟して、コミットした方だけが、成果を楽しむことができます。

 

コーチングの効果は、未来永劫、ずっと続きます。

生き方、考え方を、実体験から学ばせてくれる、自分の中にすでにある答えを引き出して、答えの見つけ方を学ばせてくれる体験です。

鍵は「行動」です。

 

完璧主義は、どれもを中途半端にするかもしれません。

思い切った行動の断捨離は、瞬間、いろんな歪みを生むかもしれませんが、ドラスティックな変化を恐れずに、試行錯誤を始めてみましょう。

 

★時間に対する意識を変えることが、未来を変える秘訣です。まずはこんな本の読書が楽しめる時間を創り出しましょう。読んでる人は学んでいます。学んでいる人は、伸びています。

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