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Monthly Archives: 9月 2014

日本はどこへ行っても店員が多い印象。効率化が図れるビジネスは多いのかも

uniqlo

成田空港へ入る直前に、パスポートチェック、という儀式があります。

バスで行くと、2-3名の係の方が乗って来られて、形だけパスポートや身分証明書をチラッと見て、そして出て行かれます。

それは単に「儀式」とでも言うべきもので、そのパスポートが偽物であって、気づくことはないだろうなと思える程度の確認の仕方です。

そして驚くのは、実にたくさんの方が周辺に待機していることです。ぱっと見、必要そうな人数の3倍はいるように見えます。実際、じっと観察していると、何もしてない方がほとんどですし、ほとんどの時間、手持ち無沙汰なように思われます。ちょっと気の毒なくらいです。

 

そもそも、あのパスポートチェックの意味はなんでしょう。あれがあるから防げることって何でしょう?

以前、父親の車で送ってもらっていたこともありましたが、その時のチェックもかなりおざなりです。トランクは開けるものの、爆弾を積んでいても気づかないのではないかといつも思っていました。挙動不審になる人を察知する能力はもちろんあるのだと思いますが、上手にポーカーフェイスできれば、とくに問題なく空港に近づくことは可能です。

という程度の検査のために、いったい何人雇用しているのでしょう? 経営者的感覚からすれば無駄なコストとしか映りません。もっと他に経費を有効に使う用途はないものなのでしょうか。

 

気づいてみれば、空港の航空会社のカウンターもそんな感じです。今どき珍しく、ご案内係風に入り口で誘導する人までいます。カウンターにも十分な人がいつもいて、5分と待つことはありません。

待たせないで処理するのがサービス、という精神は評価されて良いと思いますが、とくにいなくても大勢に支障がなさそうな人も何人も見受けられます。

このポジションには、この人数が必要、と勝手に決めて配置し、状況を見て微調整したりすることもないかのように映ります。ゲートの最終段階でのチェックでも、日本の空港はアメリカの空港と比べると、はるかに人数が多いですね。アメリカの方が人数が多いのは、TSA、セキュリティチェックの部分だけです。

 

近所のスーパーに言っても、病院に行っても、似たような印象を受けます。

それほどアメリカがぎりぎりの人数しか雇わない、超効率重視なビジネス社会となっているからなのでしょう。ちょっとしたお店に行けば、レジにかなりの人が並ぶのは当たり前。待つのが苦手な人は、どんどんAmazonのようなネットショップへと移行していきます。そして売上げが下がると、効率が悪っていくので、またさらに人を減らします。そして撤退、と…

日本にもセルフチェックアウトができる無人レジが登場していますね。几帳面は日本の方のこと、イライラと並ぶくらいなら、そちらを選ぶ方も多いかもしれません。が、日本のレジ係は猛烈に早いですからね~(笑)。あれは本当に気持ち良いです。いちいち確認するのは要らないサービスですが。

 

MBAを取得した時のクラスのひとつで、面白く学ばせていただいたもののひとつに「Quantitative Managment」という科目がありました。工場の工程とか、レジの配置の効率とか、すべてを計算式で表して分析し、マネージメントの判断にしていく手法のことでした。

ファストフードのレジの問題などもありました。人が待ってくれる平均時間と、ひとりひとりの処理時間、そして時給コスト。これらをガシャっと計算式に乗せて、能力高い人間をひとり配置するのと、そこそこをふたり配置するのと、人が待ちきれずに帰ってしまうリスクファクターと、それらを計算して、どれが一番利益が大きくなる選択なのかを計算します。

待たせたら帰る人数と、ちょっと待たせても減らない人数とをきちんと見極めて、最初からあえて「人を待たせる戦略」であることが新鮮でした。

 

コンビニで入れてくれる小さなレジ袋にも共通することですが、日本のビジネスはもっと効率化できそうな場面が多く見られます。でもまあ、これで十分に利益が出ているんだから、いいのかもしれませんけど、サービス、ということを勘違いしてないか? おもてなし、ってそういうことなのか? 時折、疑問に思わざるをえない場面に出くわします。

もちろん人のぬくもりを感じるサービスは僕も大好きです。前回も今回も、日本のサービスの素晴らしい部分を体感させていただいたりして、感激していますが、時に過剰。時に勘違い。時に鬱陶しい(すみません)。

人をスポイルするのがサービスということでもないと思うので、もっと「本質」とは何かを追求することに、コストや人力を使っても良いのではないかと思ったりします。

それはきっと良い発見だと思うのです。利益を簡単に上げることができるのですから。だけど、雇用という点から言うと、今の方がもちろん良いでしょうけれどね。

 

日本的サービスだけど、これは自分では嬉しいなと思うのが、ユニクロの袋のシール折り返し(写真上)。他で買ったものも入れられるし、外袋を再利用しやすくなりますよね。アメリカだと、万引き促進要素なので、不要というか、やっちゃいけない気がしますけどね。

掃除の効用。書籍「お坊さんが教える、こころが整う掃除」を読んで心の鍛錬中

お坊さんが教えるこころが整う掃除の本

断捨離とか、ハワイ式風水に出会って以来、ずいぶんとお片づけは上手にできるようになってきたのです。

ハワイからロサンゼルスに引っ越した時点でかなりの見直しをしなくてはならず、せっかくの新天地なのだから、と、服も家具も車もパソコンも、全部新しくしたし、その効用たるや、言葉に言い表すことが難しいほど劇的でした。

 

が、「掃除」という観点で見ると、自分は全然やってこなかったな、ということに気づいたのが、今の部屋に移ってきてからのことです。

何が違うのかというと、

  1. ひとりになった
  2. 新築同様にリフォームされた部屋に移った

という2点です。

 

今までは、家族だったりパートナーだったり、常に誰かが一緒にいる状態だったのに、今度は完全にひとり。しかも、新品同様の部屋に移ったわけなので、どこかが汚れていたら、それは100%「自分のせい」なわけです。

入居した時の綺麗さを知っているので、ほんのちょっとの汚れも気になるのですね。流しもバスルームも、使っているだけで水アカがついてきます。90%くらい自炊生活なので、コンロもしょっちゅう使います。吹きこぼしや、フライパンからこぼれて焦げた素材が落ちたりして、週に一度の掃除でも驚くほど汚れています。

全室フローリングになったので、逆にカーペットよりもホコリが目立ちます。だから週に2回、Swifferというモップで乾拭きし、週に1度はウエットタイプのもので濡れ拭きします。

別に何もしてないし、常に網戸を閉めているのに、ホコリはたくさん溜まります。なんでやねん、と関西弁になってしまう位、不思議で仕方ないのですが、吹くたびに、ちゃんとホコリがいっぱいくっついてきますし、濡れ拭きでも黒くなります。不思議。

 

 

最近、その掃除についても、実家の大掃除のこともあったりするのですが、もう一段階、極めて以降ではないかとチャレンジしているところです。実家がそういう状態なわけなので、決して、掃除マニアな家で育ったわけではありません。自分の部屋をピカピカにするなんてことも、かつてしたことがないくらい。

掃除は基本、嫌いでした。ホコリが苦手。吹いても吹いても、きれいに仕切れない、そしてやってもすぐにまた汚れる。あの徒労感に虚しさを感じていました。

でも、オフィスはきれいに保っていました。それはやはり、きれいなオフィスは、きれいな心を育むと感じていたからです。レストランでも、汚れた店には行きたくないですよね。トイレに心がこもっていないレストランって、嫌ですよね。オフィスも同じだろう、と思っていたのです。

 

なのに、自宅は結構、放ったらかし? というか、前はそれほど家にいなかったんでしょうねえ。早朝に起きて1-2時間、読書をしたら、もうランニングに行って、仕事に行く支度して、仕事に行って、帰ってきたら、ご飯食べてテレビ見て練るだけ。家との関わりなんて、ほんの一瞬。少なくとも、気持ち的には一瞬。そして出ていることが多いので、部屋にいる時くらい休ませろや、っていう意識が強くて、労働になりそうな掃除には拒否反応だったのです。

 

でも、そんなわけで、今、急速に変わりつつあります。手をかければかけるほど、部屋は輝きを増し、愛着も湧いてきますし、居心地レベルがグンと上がります。

要らないものはどんどん増える。好きなもので埋めたい空間も生まれる。なによりキレイに保っていると、心が明るくなる気がします。

 

よく金運と、掃除との関連、とくにトイレをきれいに保ったり、蓋をしたりする習慣との関連について書かれていますが、掃除もそうだけど、トイレの蓋を閉めるとか、キレイで丁寧に物や場所を使うということには、かなりの「注意力」が必要です。それは、わさわさした心には難しいことなんです。

人はでも24時間、ずっと注意力を保っていろって言われてもなかなか難しいですよね。トイレに入って用を済ませた瞬間には、もう次のことをするための思考に移っている。だから、使いっぱなしで出てしまう。

トイレをキレイにしてから出なさい、蓋を必ずしなさい、と言う言い伝えは、「今に集中しなさい」ということなのかな、と僕は最近、意訳するようになりました。

 

稲盛和夫さんもよくおっしゃるのですが、「有意注意」ということです。意を注いでものごとを見る、する。散漫な意識でなんとなくするのではなく、意識を集中し、心をこめて行うことで、今まで見えなかったことが急に見えてくるものなんです。

社長時代、オフィスでよく床にものが落ちているのを拾っていました。社員も同じ場所を通っているのですが、見てないんですね。かなり大きな白い紙のかけらが落ちているのに、それが目に入らない。それだけ、注意が他に行っているということです。

使ったものをきれいにする、夜寝るときには必ず机や台所をきれいに整頓してから寝る、トイレはいつもピカピカでに磨かれ蓋も閉まっている状態にする。それらを実践しようと努力してみると、いかに自分の注意力が散漫で、常に先走っていて、ひとつのことを完了したかしないかの内に、すぐに次に気が移っているか、思い知らされます。

 

時間がないと焦るのが常となってきたせいか、よく忘れ物もするようになりました。パートナーからもいつも指摘されてきました。その度に頭に来るのですが(苦笑)、本当だからしょうがない…。

書籍「お坊さんが教える こころが整う掃除の本」は、掃除とこころとの関係について説いていて秀作です。とても自分にはそこまでできません…ということもいっぱい書かれていますが、それでも「そこまでやってもいいんだ」と思えるのは良いことです。そこまでやっても偏執狂なわけじゃなくて、それは修行なんだ、心の鍛錬のために良いのだ、と思えるのは、良いこと。

 

そんな状態でまた訪れた実家は、気が狂うほどにダメダメです(笑)。精神の平静を保つのがとても難しいほど、こころが整わない部屋です…。嗚呼…。

これもまた、何かの修行なのでしょうか。毎日、一箇所ずつ、きれいに整えるのをこれから1カ月近く、日課にしていきましょう。これまでの人生分の掃除をしなさい、と、課されているのかもしれません。頑張ります。

 

 

振込め詐欺に騙されるタイプな母(泣)

 

明日から日本、という状況の中で、あれもこれもと急ピッチで片付けようとしている最中、ついついマインドが日本モードになっていって、いつしか辿り着いたYouTubeの「天城越え」を堪能している最中、日本の妹から電話が鳴りました。

普段はLINEでチャットするだけなので、電話なんて、いったい何があったんだろう、父親の様態がまさか…。

 

妹 「まだロサンゼルスだよね?」

僕 「うん、そうだけど、何で?」(内心、ドキドキ)

妹 「なんかお母さんのところに電話がかかってきたらしいよ、事故にあったから振り込めって」

僕 「なーんだ、そんなことか」

妹 「でも、本当にロサンゼルスにいるのかどうか、確認してって、心配してるのよ」

 

え、心配しちゃうんだ。

というのが、自分にとっては、やたらと衝撃的な事実でした。

だってさぁ、明日行くっていうのはもう何度も何度も言ってあるじゃない。新幹線じゃないんだから、そんな簡単に日付変えて、何も言わずに前日入りしたりしないって。だいたい家に泊まることになってるんだし、事前に電話くらいするよ、日本に行くんだったら…。

と、普通なら考える。はず。

 

でも、そういう電話があると、本気にしちゃうんだ、で、何度も確認しちゃいたくなるくらいに心配するんだ、ヘ〜、そうなんだ、っていうのが、しつこいですけど一番の衝撃でした。

オレオレ詐欺や振り込め詐欺については、社会問題になって久しくて、何度も何度も何度も何度もマスコミやあらゆる場所で注意をされているはず。でも、実際に自分のところに、そういう電話が来ると、「もしかして…」と心配になっちゃうものなんですねえ。

それほど巧みな電話なのかしら…。別にぼけてるわけでもないんだけどな…。

 

先日、1週間だけ滞在した日本では、自宅の周辺の街で、何度か振り込め詐欺に注意してください、という張り紙を見ました。タクシーの中や銀行の張り紙は鮮明に覚えています。それだけ被害が多いんですね、今にして思えば。気持ち悪いくらいに見ましたからね。

シニア率の高い埋立地の公団住宅の街。子どもはすでに巣立って別な場所に住んでいる家庭が多いのでしょう。

かつては、高校や大学の名簿が簡単に出回り、名前と住所と電話番号とが明記されて、申し込んでもないのに配布されてきました。それを買い取る業者も現れ、被害が劇的に増えてからは、個人情報を保護する目的でなくなりましたが、以前のまま電話も住所も変えていない家は、こうやって簡単にターゲットにされてしまうのですね。

 

いやあ、少なくとも母が妹に確認してくれて、妹が電話してくれて、それで事なきをえて良かったです。オレオレ詐欺の場合は、本人かどうかを試すために、「合言葉を決めておきましょう」ということになっているようですね。でも今回のような手口はどうしたらいいんでしょう。というか、どんな手口だったのかな。しっかり聞いて、家族で対策練らなくては。

皆さんもどうぞお気をつけを~。

日本びいきの韓国人にロサンゼルスで髪を切ってもらっています

yama

韓国で行われているアジア大会。聞きたくないトーンのニュースも聞こえてきて、それらが事実であるのならば、本当に残念に思います。

先週の土曜に、ロサンゼルスで友人らが開催する日韓合同イベントが行われて、私はやむを得ず行けなかったのですが、盛況だったようです。こういう活動、本当に貴重だし、今後もどんどん草の根的に行われて、社会を変えていく原動力になればいいと願っています。そんな最中でのことなので、より残念ですね。

 

今日は3週間に一度のヘアカット。この3年ほど、必ず韓国系移民の同年輩女性リズさんにお願いして切ってもらっています。ちょうど僕がロサンゼルスに移住してきた頃、『ライトハウス』に広告をいただいていたのですが、もっと日本人が英語でコミュニケーションできると勘違いして広告しちゃったとか。その直前に僕は電話をかけたようでした。

彼女は留学したわけでもないし、旦那さんも韓国人なのに、相当英語が話せます。大人になって移住してきた人にしては、見事なくらい。でも韓国にいる時からかなりできたと言う話でした。韓国人は英語を真剣に勉強し、TOEICの点数を上げることはもちろん、「話せる」ことに重きを置くようです。「日本人はなぜ英語が話せないの?」と素朴な質問をされて、うまく答えられず…(汗)。

 

彼女も子ども3人を育て上げ、すでに孫もできていて、50代の人生を謳歌しようとしているところ。ヨガをやったり、マリブでトレッキングしたり、若々しい女性。

車も僕の乗っていったレクサスのIS250を見て、「スポーツカーみたい!」といろいろ聞いてきて興味津々。スピードが大好きなんだそうです。今日行ったら、早速もう試乗を済ませていて、大のお気に入り。次は絶対これにするわ、とキラキラ話してました。

韓国人だから、Hyundaiじゃないのか?と思うのですが、彼女はやたらと日本贔屓です。彼女の周りは皆そうだ、というのですが、日本のものはやっぱり優れている、日本人は働きながらも生活をエンジョイしていてうらやましい、韓国人はギスギスしててダメだ…。そんなことを話してくれます。レクサスは憧れの車。絶対に次は乗るから!と今日も何度も言っていましたね。

それは決してリップサービスではなく、心底、そう思っている風です。そんなことしてひとりの客を喜ばしても意味ないですしね。

 

だから今、国同士が仲が悪くなっていて、それを煽動したり、利用したりする人たちがいる状況を彼女も憂えています。一度国を出て、こうやって混じり合えば、移民同士。共通点の方がはるかに多いし、互いの食べ物は満喫しちゃうし、歌やドラマなど、エンターテインメントの世界を共有しあって楽しむこともできるのに。

そもそも、韓国人オーナーが経営するビジネスは、日本人にもたくさん来てほしいと願っています。だから『ライトハウス』にも広告がたくさん掲載されています。上記の写真は、僕も大好きなガーデナの韓国家庭料理の店の広告です。

 

美容の面では韓国ははるかに進んでいるし、関心度の高さはものすごいものがあるわけですが、こと髪に限っては、「日本製のプロダクツの方がまだまだいいのよ」だそうです。実際、彼女が働くサロンでは、ヘアカラーも何もかも、日本のメーカーのもので揃えています。

そうやって、良いものは良いと、互いが冷静にそう認め合ってこそ、成熟した大人の関係。

いったいなんでまたこんなことになっているんでしょうね。

アメリカ食品産業の底知れぬパワー。ドキュメンタリー映画「Fed Up」は人の意識を変えるきっかけになるか

 

2014年春に公開されて、ようやく先ごろ(注:2014年9月の記事です)アメリカでDVDが発売されたドキュメンタリー映画「Fed Up」を、時差ボケで眠れない夜中にゴソゴソ起きだして見ました。

アメリカの食品産業は、以前のタバコ産業と同じだと感じていました。その内、人々への悪影響がピークに達し、あらゆる手段で法規制され、人々が購買を拒否するようになり、消費が激減。産業として衰退していくか、それとも変質していくか、いずれかを選ばねば生き残れないように追い込まれていくはずだと。

Fed Up」の中でも同様のことが語られていてホッとしました。それだけが、この映画から感じられた希望です。

 

室内でタバコが吸える環境はなくなったし、外で吸うにも、人がいる場所では吸いにくい状況があります。税金が重くかけられて経済的にも圧迫される。モラル、健康、経済、ファッション、いずれの面からもマイナスだと社会的に広く認知され、喫煙者もどんどん減少してきました。

アメリカが主導だったのかもしれませんが、今や日本でもどんどんこの傾向は進んでいます。JTが発表している喫煙者率のトレンドを見ると、この4年間だけでも、男性の喫煙者は6.3%減って30.3%に、女性も2.3%減って9.8%に減少しています。日本は右へならえの国なので、皆が吸えば吸う、止める人がマジョリティになると一緒に止める。なかなか変化に時間がかかりますが、変化し始めた途端、マスとしての傾向が変わりやすい社会ですよね。だから、食べ物も早くそうなってくれないかなと期待しています。

 

アメリカは、企業が巨大化し、小さなビジネスをどんどん飲み込んで、まるで生き物のように肥大化していきます。肥大化すると、今度は、サバイバルのために独自の生命維持装置が働き始め、「マーケティング」という名の下、人々の需要が継続するように様々なゲームを展開していきます。

大量のお金を使って政治を動かし、団体を動かし、反対する者には圧力をかけ、強力な力で環境をコントロールしようとする。中にいるものも止めることができない。大統領でさえも、その構造を知るのに数年もかかり、どうにもこうにも手の出しようがない状態が生まれます。

肥大化した産業は、人々に幸せをもたらすのか。だと良いのですが、そこが問題です。

 

このドキュメンタリーには、それほど新しいことが描かれているわけではありません。こういう話に関心を持って自分なりに追求してきた僕としては、とくに真新しい情報はありませんでしたが、おそらく大多数の人にとっては初めて聞く話も多いでしょう、信じがたい話がたくさん展開されているに違いありません。

映画の効用は、そういうところにあるのだと思います。分かりやすく警鐘を鳴らし、人々の関心を集め、ソリューションに向けての草の根運動を展開するきっかけを作っていくことです。

 

アメリカの子どもの3分の1は肥満。あるいは内蔵脂肪が多い隠れ肥満。さらにその内の3分の1は糖尿病か予備軍だと言います。

その原因が、よく言われているように食べ過ぎと運動不足にあるのか、というと、そうばかりでもないんだよ、ということをこの映画は説いています。加工食品に潜んでいる糖質のせいで人は中毒症状を起こし、どうしようもなく過食になっていく。でも実際には栄養が足りていなくて飢餓感は取り除けない。だからもっと食べる。肥満の連鎖が止められず、苦しむ人が後を絶たない。その原因を作っているのが、肥大化して誰が何をどうコントロールしているのかも見えない、まるで生き物のような食品産業です。

 

救いようのない状況をいっぱい見せながらも、最後は多少の希望感も演出しています。人間の良識を信じ、人が変わることで社会が変わり、タバコ産業が人々に悪影響を及ぼす流れを変えたように、食品産業をも変えていけるはずだとするビジョンです。

 

ロサンゼルスの都心部に移ってきて思うのは、多少お金に余裕があったり、意識がしっかりとしている人たちは、自分がどう生きたいかを主体的に選択していて、「何を食べるか」「何を食べないか」も、それに関連づけて選択している人が多いということです。

郊外の街に住んでいた時には全然見かけなかったベジタリアン・レストランがあちこちにあったり、普通のスーパーよりも、自然食品の大型スーパー「ホールフーズ」や良識あるプライベートブランドをそろえた「トレーダージョーズ」ばかりが近所に何軒も固まって存在していたり。

 

もちろんそうじゃないものもたくさんあるでしょう。自分の視界にはもう入りにくくなっているだけで、ファストフードもたくさんあるし、普通のスーパーもドラッグストアもある。マジョリティは、まだ無意識に「美味しそうだから」という基準で身体に摂り入れるものを選択しているかもしれません。

しかし、変化の兆しはちゃんと見えているように思います。こういう状況は、地道に展開し続けていけば、ある時、ターニングポイントを迎えて大きく状況が変わっていくことがあります。今やコスコやウォルマートでもオーガニック素材を扱う時代。それほど需要が多くなっているということです。

人々がもっと食に関しての知識を得て、自らが人生のハンドルを握ってコントロールするようになれば、自然と「何を食べてはいけないか」もわかってくるはずだと思います。

 

この映画は、日本では公開予定がないとのことですが、内容について語っているウェブサイトがあったので、ご紹介させていただきます。アメリカ在住の方は、Amazon のインスタントビデオやiTunesでレンタル視聴も可能です。

⇒ 町山智浩 映画『Fed Up』が描くアメリカの飢餓・肥満問題を語る

まずは願う。あとは流れに任せてほしいものを引き寄せよう

8月後半はどっぷりハワイに浸って、戻ってから1カ月後には日本に行く予定にしていたので、この1カ月で、あれもこれもやってしまうぞー!と意気込んで計画立てていたのですが、父親の突然の入院で、あっけなく予定変更。

行かなくても大丈夫なのか、行った方が良いのか、人がいつ死ぬかの予知などできるわけもないので、行けるなら行っちゃえと、2日後のフライトを調べていたら、行けちゃったと。しかも普通と同じかそれよりちょっと安いくらいの料金で、そして大好きなエアラインで。

 

でも行って良かったんです。いや、親は今のところ大丈夫なのですが、両親といろいろ話す機会も持てたし、家の状況とかもやっと本当の意味で見えてきたし、自分の居場所づくりもできました。

25日からまた行くわけですが、その時のための下地作りとしてできることをいっぱいしたので、今度は逆に自分のことにももっと時間が使えそうです。もし行ってなかったら、久しぶりの日本で、とてもじゃないけれどスタートダッシュを切ることなどできなかったでしょう。

 

そんなこんなしている間に、福岡でセミナーをやらせていただくお話をいただいたり、京都でお話させていただく機会がまとまったりしました。そして今度は、福岡の帰り道に大阪に寄って、以前、ロサンゼルスでインターンをしていた元部下がアレンジしてくれるミニ談話会的なものに参加させていただくことが決まりました。

日本でたくさんの方にお会いする機会創出プロジェクト」とか、自分がブログで発言したのを見て連絡をくれたのですが、とんとんっと話が進んでいきました。こういうこともあります。


僕はどうも平坦な毎日を淡々と生きるのが得意すぎて、放っておくとどうしてもそうなってしまうので、意識してアップダウンを創出していかないとダメなんですね。心の中ではそういうドラマにあふれた人生を望んでいるわけなので。

ほしいものがあるのなら、心の中の願いを正しく認識して、実現したいと言語化して天に願をかけ、宇宙に満ち溢れる善きエネルギーの流れを信じ、降ってきたものをスッと大きな心で受け取る。

まさに「ザ・シークレット」の中で語られていた「Ask, Believe, Receive」そのまんまをやっていくことなんだろうなと思うわけです。

 

自分から仕掛けていって、大きな海に釣り竿を投げて、じっと待っていると、クイクイっと釣り竿の糸がしなって、何かが引っかかってくる。狙った場所から来るのではなくて、思いもかけないところからグイッと引っ張られて、え、そんなところに糸が流れていっていたの?と思うような不意打ちをつかれることもある。

でもそういう想定外のことを楽しみながら実行していくと、また次にどんどんつながっていくものです。だから不意打ちは大好きだし、最初に描いていたものと少し違ったとしても、それを間違いとして拒絶するのではなくて、一度、受け取って試してみると良いと思っています。


福岡は、とくに今回、行っちゃおうかな、と思うくらいの用事が実はあったのです。スカイプで打ち合わせをしている人がいて、東京から6時間で行けちゃうなら、行って打ち合わせしてもいいなあ、でも交通費とか考えると、どうかなあとか躊躇していたら、まったく関係のない方向から「福岡でセミナーやりたいですか?」というお話が飛んできて、むち打ち症になるかと思いました(笑)。

やるだけやったら、あとは流れに任せるのみ。まずはそこまでやり尽くすことですね。

09/22/2014

旅の合間に「時間旅行」。80年代が蘇る松田聖子さんのバラード・ライブ

ずっと買おうかどうしようか迷っていましたが、せっかく日本に行ったのだし、と思って、やっぱり買ってしまいました。

松田聖子さんのコンサートDVD「Seiko Ballad 2012」。

 

聖子さんと僕とは同い年で、誕生日も近いんです。自慢でもなんでもないのですが(苦笑)、つまり彼女も52歳ということです。18歳になる前、僕らが高校3年の時に深夜放送で先行デビューしていて、卒業してすぐの18歳の春にレコードデビュー。それからもうすぐ35年になろうとしています。

僕の大学生活の思い出の随所に彼女の歌が染みこんでいて、あんなに暗かったはずの時代が、そうでもなく懐かしく思い出せるのは、彼女のおかげだと思っています。

 

94年にアメリカに移住してしまってからは、ほとんど聞くこともなかった聖子さんですが、6年くらい前だったか、ふとAmazonで見つけてしまったのが2005年に暮れに行われたカウントダウン・コンサートのDVD。25周年記念ということもあって80年代の曲を中心に選んでいて、その演目リストを見た瞬間、1クリックで衝動買い。出張の合間に自宅で見て、我慢できずに馬鹿みたいに号泣しました(苦笑)。

 

当時、43歳くらいだった聖子さん。でも歌声があまりにも以前のままで高音も素晴らしく、衣装も派手派手のミニで、なんだこりゃと驚愕でした。その影には、ものすごい努力と節制があるんだろうなとも思いました。歌がうまいなあ~、前よりさらにうまくなって、良い曲が研ぎ澄まされて聞こえる。大人の情感が加わって、20代の思い出が蘇って、深く深く感動…。

それから遅れを取り戻すべく、数年間分のライブDVDを大人買い(笑)。2005年暮れのは秋冬の名曲ぞろい、翌年のカウントダウンは夏の名曲を集めて秀逸でした。この2枚は、ファンにはたまらないはずです。

 

その後は、割りとマンネリっぽくなってしまって深い感動がないままだったのですが、今度はバラードだけのコンサートと趣向を変えた企画だったので気になってました。2012年暮れのものですが、かつてより成熟してるし、声も低く厚めになってきてはいますが、輝きは相変わらずです。

80年代の曲はとくにひねりも加えず、ファンの中に息づく思い出のまんまの状態で歌ってくれるのが嬉しいです。しかし「あなたに逢いたくて」は、それより時期が外れているし、自作だし、遠慮なく好きなように歌っています。タメもすごくて、ちょっと天城越えみたいにキメキメで演歌な印象(笑)。

今回良かったのは、「赤い靴のバレリーナ」かな。少女の声の「時間旅行」「水色の朝」も素敵でした。自分が重なる「Star」もアンコールで歌ってくれて、思わずほろり。途中のMCも最高に楽しく、35年近く第一線のエンターテイナーとして活躍してきた年季と自信と、そしてこれからもずっとやっていくんだという覚悟とが入り混じって、何とも感慨深いのでした。

 

1週間だけロサンゼルスに帰ってきて、いろいろと処理すべきことをして、すぐまた日本です。旅の間に、時差ボケで眠れない夜中にDVDでリラックス。感謝のひとときです。

 

ブログ開始から半年が過ぎて。そろそろ次のステージへ

ブログを始めたのが4月の下旬。アッという間に半年経ったんですね。ビックリです。

メディアの編集長として、そして社長として、10数年間のブログ歴はあるわけですが、今度はまったくの個人としてのブログで、それもそれで生計を立てていくプロブロガーを目指してのスタートで、試行錯誤の半年でした。

フェイスブックとツイッターでの告知のみですが、徐々にアクセスというのは伸びるもので、毎月、倍、倍とビューが増えていきました。

爆発的に増えたのは、8月の「ハワイの台風」関連の記事をアップした時。ちょうどお盆前だったので、ハワイ+台風で検索をかける人が多かった様子。なぜかGoogleさんに上位に取り上げていただいたおかげで、たくさんの方がブログに訪れるきっかけにはなったようです。

そしてそれが収まった頃にアップした「嵐ハワイコンサート」の記事がまたGoogleで上位になりました。ずっと会場が隠されていたのが、ようやく発表された時。それを日本語でタイムリーに紹介できたことが良かったようです。

その後も嵐+ハワイ+コンサートなどで検索すると1ページ目に結果が出るようになりまして、コンスタントに数千人の方が毎日訪問くださるようになりました。おかげで人気記事のトップ10は、嵐関係の記事ばかり…。

Facebookには、友人らがどんどん嵐のハワイコンサートの情報をアップしてくれているので、それを細かく拾ってアップし続ければ、サーチエンジン対策としても有効だろうし、アクセスも継続的に増え続けていくに違いありません。そういう確信が持てるほどに、何がどう「効くのか」という実験が少しずつできてきたようには思います。

が、それでいいのか?という疑問があって(笑)、やっていません。

検索で来る方は、その情報「だけ」を目的に来るので、自分のサイトやビジネスの趣旨と違う内容だったりすると、アクセスが増えても何にもならなかったりします。その情報がタイムリーであればあるほど、アクセスの継続性もなくて、シュルシュルシュル…とまた収束して元の数字に戻ってしまうのではないだろうか、と思います。

台風の後はそうでした。

友人は、「それでも中に1%でもブログの内容に興味を持ってファンになってくれる人がいたら、めっけものではないか」と言ってくれましたが、まだそこは実感できていないところです。

そもそも「アクセスが増えるだけでは何にもならない」の、何にもならない、とはどういうことなのか。逆の言い方をすると、何かになる、とはどういうことを意味するのか。自分がブログをやっているのはなんでなんだっけ? その答えがすでnちゃんと見えているのに、上手に仕組みとして結びつけていないので、もどかしくてしょうがないんだろうな、と思います。

 

ということをもろもろ考えていまして、そろそろブログも次のステージに上げていこうかなと考えています。限られた時間、「何かになる」ためのメインの作業に時間を集中しないでどうするんだ、と気づいた次第。この数週間で、ブログの見た目とかも少し変わっていくかもしれません。たくさんの実験をして、自分でもまだ完全には分かっていない、この先の行方を考えていきたいと思います。

いつもご覧いただき、ありがとうございます。本当に嬉しいことです。

09/21/2014

嵐のハワイコンサート情報はこちらにおまかせ!

相変わらずたくさんの嵐ファンの方がハワイコンサート情報を求めてアクセスしてくださいます。が、こちらもちょっと日本にいたり、またロサンゼルスに戻ってきたり、すぐにまた日本にとんぼ返りしないといけなかったりで、情報を拾ってお伝えしにくい状況です。

っていうか、そもそもそういうブログじゃないし(笑)。

フェイスブックでハワイの友だちがたっくさん情報を載せてくれているのですが、そっか、皆が皆、そうやってハワイに友だちがいて、タイムリーに情報をアップしてくれる状況にあるわけじゃないもんね、と納得。

そこが、ソーシャルメディアとブログの影響力の違いなんでしょうね。やっぱりブログはブログの存在意義、価値があるのです。

さて、では誰もがご覧いただけるブログで、現地から生の嵐ハワイコンサート情報をお伝えしている方をご紹介します。人気ブロガーで、実際にコンサートにも行って、演目も含めてブログにアップしてくれているのが、友人のチエコさん。こちらのブログから、リアルな情報、受け取ってください。なんと2日目も行くそうです。直接、徹底レポートをお願いしておきました~(笑)。

⇒ 「大人のハワイライフ」 

言葉遣いはおじさんですが、酸いも甘いも経験した優しいお姉さんなので、怖がらなくて大丈夫です(笑)。

あと、自分が見つけた限りでは、こちらのツイッターまとめサイトが楽しく拝見できました。もちろん嵐ファンの方々はあちこちご覧になってご存知とは思いますが、余計なお世話でご紹介しておきますね。

⇒  【嵐ハワイコンサート】行った気になれるTwitter現地レポ♡

アメリカ人が大切にする13の価値観。まじめに特集記事を作ってみました

『ライトハウス』ロサンゼルス版の9月16日号が、ロサンゼルス~オレンジカウンティ界隈の日系スーパーを中心に配布されています。電子版も準備が整いました。

今回担当した特集は、言ってみれば、アメリカ人は何でアメリカ人なのか、っていうようなことなのですが、アメリカ社会の価値観がどうやって形作られていったのかを短いスペースの中で可能な限り掘り下げてみました。

 

イラストは、人気ブログ「4コマ漫画『アメリカは今日もアレだった』」の明子さんのオリジナル描きおろし。編集企画は私が担当。イラストのディレクションも好き勝手にやらせていただいています。上のイラストは扉ページのタイトル部分。昭和育ちの皆さんにはおなじみの「なるほど!ザ・ワールド」をパロディのモチーフとし、初代大統領のジョージ・ワシントンと自由の女神がおなじみのポーズをしているところを描いていただきました。

最初、パームツリーがややハワイっぽかったのをロサンゼルスっぽくしていただいたのですが、その違いを説明するのに、自分でも初めて言語化したりして、面白い気づきもありました。「高さが一緒で整然と2列に並んでいる」のがロサンゼルス風です。

 

いろいろリサーチをしていたら、アメリカ人が生活の中で重んじている13の価値観があるとのこと。それらを見るだけでも、「あるある!」な世界。そしてそれらがどうやって形作られて入ったのかを、「建国当時の歴史」「差別との闘い」「アメリカン・ドリーム」「宗教と暮らし」という観点から見ていった読み物です。

いやあ、我ながらよくやった~と思うんですけど(自画自賛)、今までで一番時間はかからなかった企画でした。池上彰さんの「そうだったのか!アメリカ」を初めて読んだ時から、このエッセンスをエンターテインメント要素を加えつつ、『ライトハウス』でも載せていきたいなと思っていたので、骨子が頭の中にできていたんですね。

 

最初はもう少しカジュアルな内容を想定していましたが、やってみたら、意外に固めに落ち着きました。でもまあ、ひとつの社会を語るのですから、おちゃらけでやってはいけないし。突っ込めば突っ込むほどに、本当に真面目な社会なんだよなあと実感してきました。

ただ、日本とは違う。あまりにも違う。だから戸惑うし、惹かれるし、憧れもする。

 

ともすれば堅くて読みづらくなりがちな特集を、楽しく明るいイラストで華やかに飾ってくれた明子さん、ありがとうございました! 今、見返してみても、イラストが醸し出す背景にあるストーリーに感動しちゃいますねえ~。

さらにモチーフを上手に使ってモノクロなのにアメリカンな雰囲気いっぱいにしてくれたデザイナーの丸山くん、ありがとう!

⇒ こちらからぜひ一度、電子版をご覧ください。

 

いや、それにしても、表紙のラーメン特集、引きが強そうっすね。便乗して僕の第二特集もたくさんの方に読んでいただけると嬉しいな。