金髪にするのが個性的の勘違い。奇抜と個性は別物なのだ

あんた、つまんないから金髪にでもしたら?

久々に日本で会った友人(ほぼ同年代)が、金髪になっていました。

いつやったの?と聞いたら、昨日。

その日はイベントがあって、彼も人前に出る立場で。

なんか、エイ、やっちゃえ! と、タイミングがあって思いきれたようです。

前からそうだったよね〜?くらいな感じで、少ししたら、全然違和感なく、とても似合ってて、カッコよかった。

前々から、実はやってみたかったそうなんですよね。

だったら、いいよね、50過ぎだろうが、なんだろうが、やりたいならやったらいい。

で、突然、思い出しました。

以前、コーチとして仕事を始めた頃に、ある方にアドバイスされたことがあったのです。

「なんか真面目過ぎてつまんないから、金髪にでもしたら?」と。

今、思うと、すごいこと言われてる?って感じなのですが(苦笑)

へ〜、金髪にすることが、何かを変えると思ってるんだ。

そんな感じで不思議に冷めて捉えていた気がします。

うーん、アドバイスの意図はわからなくないし、ありがたかったのですが、

自分の中では、いろいろ違和感、ありました。

真面目過ぎ、と見えるのは、その彼女が私の潜在顧客層ではないからなのだろうし、

彼女も、私の何を知ってるか、というと、別に本質的なことは何も知らなかっただろうしね。

目立つためなら、何だってする?

確かにイメージというものは、ブランド作りには大事ですよね。

マドンナも、レディガガも、

「目立つためなら何だってしたわ」と告白しています。

レディガガは生肉のドレスを来てグラミー賞に来ましたからね(笑)。

今見るとゲロって感じかもしれませんが、怖いもの見たさで思い出したい方はこちら

英語で「Over the top」という言葉がありますが、

まさに、当時の彼女のためにある言葉と言っても過言ではないでしょう。

実際、「有名」にはなるのかもしれない。

でも、それ、自分なの?

本当にほしい形の名声なの?

どんな風に知られるかってことも、大事じゃないの?

そうも思うのです。

彼らだって、結果、自分が作り上げてしまったモンスターに苦しんだ。

虚像が世間の実像となり、長いこと、ギャップに苦しんでしまったわけです。

急いでみても、仕方ない

私はただ、急いでみても仕方がないかな、と思ってました。

一部のYouTuberや、タレントさんみたいに、

外見で目立っても、実力じゃないし、とか思ってた。

私の場合、そのときは、ただ実力を上げたかった。

実力で、人に評価してほしかった。

だから、アドバイスには感謝したけど、

金髪にはなりませんでした(笑)。

いろいろ、言われて悟ったこともあります。

ナチュラリストとしてのイメージの方が、はるかに自分らしい。

今は、かすかに増え続ける白髪を、昆布ベースのジェルで簡易的に時々、染める程度。

数日すれば落ちちゃうような、そんな感じで、全然OK。

基本、化学薬品は自分に振りかけたくない。

そこが重要なのが、自分。

何が大事って、人それぞれ、違うんだろうなあ、と、そんなことにも気づきます。

奇抜で長くは続かない。本質を鍛えることが大事

でも、それでも、自分が「してみたい!」とドキドキ思うのならば、別にすればいいと思うのです。

そんなの、きっと違う色のTシャツ着るみたいなものかもしれなくて、

新しい自分を発見して、硬い殻を敗って、次のステージに行けるかもしれなくて。

大げさに考えるほどのことでもないですよね。

唯一、大切なのは、本質を忘れないこと。

苦しんだ末にレディガガがまたメインストリームに戻ってこれたのは、

歌や演技を磨きに磨いて、「表現者」として一流であることを証明し続けたから。

その努力や実力が、多くの人の心を捉えるものだったから。

奇抜、で、一瞬、人の目は捉えられるかもしれません。

でも、それは長くは続かない。

コイズミさんも、前面に出た瞬間、途端に叩かれていますが、

人は世間に試されて、試されて、打たれて、また立ち上がって、

そこで残った本物だけが、長く生き続けられるのだと思うのです。

やりたいことは、思いついたことは、何だってやってみるといい。

そういう「実験」の中からでないと、見いだせない本質は、必ずあるはずだから。

前進とはまっすぐ進むことではなく
ジグザグに壁にぶち当たり続けること