再び言う。パンツを脱げ! そして惜しみなく愛を与えよ

おもしろい、とは何?

おもしろいブログやメルマガの特長をひとことで言え、と言われたら、

私はこう答えるでしょう。

「自己開示しているかどうか」だと。

どこにでもある情報を、上手にまとめてあるのもいいけれど、

それは、必要なときに、検索して出てくればいいだけ。

そういうブログ記事も確かに必要でしょうが、

それは、「あなたでなくてはならない」ものじゃない。

何ものでもない私たちが(と一緒くたにしてすみません…)

私たちらしく生きていくための武器として「発信」をしていくならば、

そこに、「私」が出ていなければ、意味がありません。

人は専門知識がほしいわけじゃない

時折、何かのスペシャリストたろうとして、専門知識を披露して終わり、

みたいな記事を書いてしまいがちになるのですが、

それ、名前をさしかえたら、他の人のブログサイトにも使えたりしません?

それじゃあ、ダメなんです。

そこに、「あなた」がちゃんと息をして、喜怒哀楽を鮮烈に表現して、

「パンツを脱いで」舞台に上がってないと、ダメなんです。

友だち限定公開という尻込み

Facebookで、ときおり「友だち限定」公開している人とかいますが、

あれって、何のため?と私など、疑問に思っちゃうんですよね。

世間に公開されて困ることって、いったい何なんだろう?

それをなぜ、限定範囲だと公開って、できるんだろう?

知ってる人への発信の方が、本当は恥ずかしくない…?(笑)

その基準がどこにあるのかに好奇心のアンテナが引き寄せられて、

逆に、ワクワクドキドキ、勘ぐってしまいます(苦笑)。

もちろん、人それぞれ、事情はあるのでしょう。

揶揄されたくない、関わりたくない人もいるのでしょうし、

別れた昔の人々と、こんなところで変につながっちゃいたくない、というのもわかる。

だけど、意外に誰も気にしてませんよね。

というか、いったいあなたは何になりたいの?

何をどうしたくて、SNSとかやっちゃうの?

やらない選択は、信用経済の時代に、あまりないと思うのですが、

信用を得るための情報開示のはずが、限定って、なんなんだ?と、ちょっと意味不明。

発信とは愛情込めた「おもてなし」説

その投稿に、そのブログに、そのメールに、

裸のあなたは、どのくらい表現されていますか?

批判が怖くて、腕が縮こまって、「記述」に逃げてませんか?

更新がなかなか進まないのは、そのせい?

その昔、メルマガの中で一番読まれるのは、

末尾にある「編集後記」という名の日記部分だと言われたものです。

人の興味は、結局は、「人」にしかないのです。

人の営み、人の感情、人の悲喜こもごも。

あなたが言葉にすべきは、「人」を「自分」に置き換えたもの。

自分の営み、自分の感情、自分の悲喜こもごも。

それがメインのコンテンツなんですよね。

出し惜しみは、愛情が足りないのです。

人に対する、愛情、思いやり、「お・も・て・な・し」の心。

読者の時間を、無駄に奪っちゃいけないよって、ことですね。

思い切りパンツを脱いで、愛情を放出してください(え?)

コレ読んで、もう一度、確認しましょう。

パンツを脱いだら楽になれた先輩の話