七夕の夜、空いっぱいの星に祈ること

(七夕の日のメルマガより)

いつでもゴミ出しできた気楽なアメリカのマンション暮らしとは違って、

一軒家の場合は、週に一度、決められた日に、巨大なゴミ箱(と言えるのだろうか)を通りに出さないといけません。

でも、そのおかげで、思わぬ恩恵に授かることもあるのです。

夕飯を済ませて、暗くなってから最後のゴミを入れ、

ガラガラと巨大なゴミ箱を引きずり終わって、ふと空を見上げると、

きらびやかに広がる満天の星に、しゃがみ込みたくなるほど感動したりします。

辺りに大きな商業施設はなく、空にも曇りがなく。

通りの明かりも柔らかな色で、家々の団欒も外にはもれず、

静かな闇が広がるのみ。

ほんの少し車で走ると、牧場地帯があったりするのですが、

そこから見上げる夜空の濃さといったら、

これまで住んでいた場所と同じ地球とは思えない感じです。

ハワイ島の天体観測所があるマウナケア山頂で見た空にはもちろんかなわないけれど(笑)。

あのときは、「天の川」って本当に「川」みたいに見えるんだってことを知りました。

灯りも公害もビルもなかった昔は、毎日、肉眼でこんな空を眺めて暮らしていたのかもしれないと思うと、

不思議に自然に対する畏怖が沸き起こり、謙虚な気持ちになるのでした。

圧倒されるほどの自然の風景に出会うとき、

人は、自分の小ささを思い知りますよね。

日頃の悩みや、つまらない諍いや、未来への大小の不安が、とっても些細なことに思えてくる。

同時に、星の瞬きに託して、祈りたくもなってきます。

不思議と、そういうときに出てくる願いは、物質的なことではなかったりします。

大切な人たちの健康とか、なんでもない日常がずっと続くこととか、

なんだか、とってもプリミティブなことばかりが次々に浮かんでくるもの。

日本はもう過ぎてしまいましたが、アメリカは今日が七夕。

短冊に願いを書くとしたなら、あなたは何を書くのかな。

こんなときこそ、本当の自分が願うことが見えてくるかもしれません。

私の願いは、こんなささやかなことでした。

他には何もいらない。
見えてしまった心の本音