ゲイとして生きるかどうかは、それぞれの「選択」

このことを公に書いたことは今までありませんでしたが、これからはひとつのカテゴリに上げたくらいですから、バリバリ書いていきます。

ゲイに生まれたことは選択ではないけれど、ゲイとして生きるかどうかは、それぞれが選択をしていくことです。隠したまま結婚し、立派に子供を育てて、豊かな人生を過ごしている人も無数にいます。想像もできないほどの痛みや忍耐が伴うことに違いないでしょうが、それでもきっと伴侶や家族への思いに嘘があるわけではないと信じています。

ただ、自分はその生き方を「選択」しなかった。自主的にしなかった、というよりも、考えもしなかっただけでした。いつ終わるかわからない苦痛に長く耐えていけないタイプで、まったくこらえ性がないですから、きっと我慢できずにとっくに離婚していたでしょうしね。

ハリウッドで活躍するスターたちが、ある瞬間メディアを使ってカミングアウトをします。一部の人は知っていたのでしょうが、それが公に本人の口から出るのとそうでないのとの違いはあまりにも大きいもの。「自らが」「選択をして」「公言」をすることは、自尊心(セルフエスティーム)に取って、ひじょうに大きな意味を持っています。

アメリカは決してゲイ(LGBTの総称として、ここではこの言葉を使わせていただいています)に寛容な社会というわけではありません。日本から見たアメリカは、そういう風に見えているかもしれませんが、宗教がからんでのことだったりするので、否定組は決して小さなグループではありません。スターとして成功した彼らの迷いや決意は相当なものだったでしょう。

僕は特別、意識をして選択するわけでもなく、中途半端に言える人に言ったりして長いこと生きてきました。言っても大丈夫な人、言ったらより仲良くなれる人、というのは、なんとなくカンで分かるんですよね。

でもハワイに移住した時から、都合の良い自分でいることを止めて、あえて話すようにしてきました。狭い街なので、いつしか勝手に皆に知れ渡るといいなと願いつつ…。そしてそれはある程度、作戦として成功したようで、変にカミングアウトしないで便利でした。

2013年。いよいよアメリカでは連邦政府で同性間の結婚が合法化されました。移民法も連動して、LGBTの国際結婚でも永住権が取得できるようになりました。いやいや、すごい時代です。

カミングアウトについては、今後もひとつの大きなテーマとして何度も書いていくつもりです。

コメント

  1. ryoko より:

    自分にも他人にも正直に生きている人ほど、信頼できる、と個人的には思ってます。なので、そんな上野さんが大好きですww

  2. 上野 より:

    ありがとうございます! 貴重な人生。自分や大切な人たちにウソをついてはもったいないですからね~