誰もあなたに指図をする人がいない世界へ行けるとしたら?

4月はハワイ。5月は東京、6月はヨーロッパへ、というと、「忙しいですね~」と言われますが、本人、そんな感覚はまるでなく。

普段、家にいるときの方が、あれこれと詰め込んで、アッという間に一日が終わる感じ。

やらされている仕事は一切なく、全部、自分がやりたいことを自分で考え出して、その中でも、もっとも楽しそうなことから優先してやっていて、

それで、文句を言ったら罰があたります。

というか、文句を言うべき相手がいません(笑)。壁に向かって言っても、自分に返ってくる…

自分が自分の上司になる!

クライアントが、ブログで印象に残った私の言葉を書いてくれていました。

「Be your own boss」(自分自身のボス=上司になる)

アメリカに来てから、ずいぶんと聞かされてきた言葉で、なるほど、そういう言い方があるんだな、と感心しつつ、それ、自分もやりたいぞ、と思ったのです。

皆、「これ」を目指しているんですよね~。

金持ち、とか、家、とか、物欲、とかというのは、意外と副次的なもので、本筋はこれなんだ!と納得する価値観です。

仕事も勉強も、「やらされている」と思った瞬間から、義務になります。

私も悪い癖なのかどうか、「やってあげてる」という言葉を時折、使っていたことがあるようで、オーナーさんに注意されたのですが、

自分にとってどうでもいいことだと、ついやらされ感が出ちゃうんでしょうかね…。

(どうでもいいとは何だ!と、そっちこそ叱られそうだな…苦笑。そういうことではなくて、ただ自分が早くひとりになりたかった、というだけだと思います。)

自己決定権の拡大こそが「しあわせ感に」

自由に生きたい!ということは、どうやら「人に指図されないで、なんでも自分の思い通りに決めたい」という、自己決定権の所有のことをいうのかもしれません。

でも、それって、世間的には「わがまま」という言葉で表現されて、戒められていたりもする。

結婚していて家庭があると、つい「旦那が…」「かみさんが…」「子どもが…」と他人のために我慢している自分、という構図が生まれます。

でも、本当は人は、あなたに我慢なんてしてもらいたくない、と思っているかもしれない。

いい親であろう、いい子どもであろう、いい人であろう、いい社員であろう、でないと、嫌われる、人を悲しませる、という自分の不安や怖れ、罪悪感から来るものですよね。

実は、いつだって、生活の相当な部分は、自分で勝手に変えられたりもするのです。

だけど、「決まりは決まり」「こうでなきゃ」「あり得ない」と自分が自分を縛っているケースがほとんど。

呪いから解かれるために、あえて逆をやってみよう!

その呪縛から逃れるために、あえて逆をやってみよう、とクライアントにはいつもうるさいくらいに言っています。

でないと、それが妄想であることに気がつけない方です。

ハワイという、孤島に長年いたせいだからなのか、ヨーロッパなんて、とんでもない、と思ってしまっている自分がいました。

確かにハワイ出発だと、とんでもなく時間はかかる。

でも、ロサンゼルスに来たんだから、少しは近くなったよね?

そう思って調べてみたら、実はパリは日本へ行くより近かった(驚)。

航空券だって、日本行きより安いのもある。

おやおやおや…。自分の可能性を縛っているのは、やっぱり自分だったのね、と苦笑い。

しなやな心がなければ、何も始まらない

もちろん、心をふんわり柔らかにして、「選択が思いつく人になる」こともとても大事です。

そのためにも、人をよーく見ていること。

人がやってることで、あれ、そんなこと、してもいいんだっけ?

あれ、なんで自分はしてないんだっけ? できない、と勝手に思い込んでいるんだっけ?

そんな風に、自分が作った枠組みを、ひとつひとつ壊していって、乗り越えていって、「自己決定権」を広げていく。

そのプロセスをゲーム感覚で楽しめてこそ、今を充実して生きられるのだろうな、と思う今日この頃です。

こんな記事もありました。

肉体労働はダメ? 勝手な自分ルールを見直す「逆張り」の術