映画で見る人間とロボットの未来。大人が泣けるディズニー映画「ベイマックス」

サンクスギビング明けの月曜日。ハワイの住宅地にあるショッピングセンター「ココマリーナ」のシネマコンプレックスで、最新ディズニー映画「Big Hero 6(邦題:ベイマックス)」を観てきました。日本では12月20日から公開のようですね。

昼間の回は8ドル50セントで、夜の10ドル50セントよりややお得。昔は半額くらいだったのになあ…と20年前に4ドルだった記憶をずっと引きずっている自分。チケット売りのお兄さんが、横にスライドして、そのままポップコーンを売ってくれます。のどかな郊外の風景です。大きな映画館でたった2人の観客…。贅沢なホームシアター体験でした(笑)。

「アナと雪の女王」大ヒットの余韻が残る中、批評家の評価はほぼ最高レベル。一般の評価は満点レベル。どんなに素晴らしいんだろうとワクワク期待して行きましたが、完全に満足。ほんわかしながら映画館を後にしました。

正確には、ほんわかの片隅に、「よくもこんな映画を作れるもんだなあ」と、才能と才能が集まったところに生まれるダイナミズムや、それをまとめる力、クリエイティブな人々に十分な資本を与え、自由に創造の(あるいは想像の)翼を広げる姿を見守るアメリカ映画界の底知れぬ懐の深さに思いを馳せてしまって、感動とは少し離れたところにいたかもしれません。

それほど、「よく出来ている」のです。

ディズニー映画は、大人と子どもが同じ場所で見るもの。子どもだけに受けてもダメだし、大人だけに受けても意味がない。その両方を上手に満たすのは、実はたいへんなことなんだろうと思います。大人公認で子どもが楽しめるものでなくてはならないし、でなくては、DVDやゲームやキャラクター商品、ディズニーランドというリアルな場にまでつながっていきません。あくまでもエンターテインメント「ビジネス」なわけですから、夢や希望を利益につなげてこそ成功です。

ディズニーブランドを後世に伝え続けるためのツールでもあり、一旦発表されたものは、勝手にひとり歩きしていってしまいますから、映画の内容やメッセージ色、影響力にも細心の注意を払っていなくてはなりません。

「アナと雪の女王」は、女の子向けな要素が強かったですが、「ベイマックス」はそういう意味では完全に男の子向けです。日本はディズニーにとって巨大な市場のひとつ。そういう意味でも、日系人を主人公に持ってきて、あらゆるところで日本のモチーフを出してきてるのは、戦略的に分かりやすいですね。

ロボットや人工知能との「心のふれあい」は、以前から映画のテーマとして使われています。

昨年観て、かなりしんみりと考えさせられてしまった大好きな作品「her/世界でひとつの彼女」、2012年(日本は2013年)の「素敵な相棒 ~フランクじいさんとロボットヘルパー~」 などは直近の例。

その少し前には、ロボット同士の恋愛+人間とのふれあいを描いた、僕の歴代映画トップ5に入る「ウォーリー(WALL−E)」などもありました。80年代に好きだったものでは、「エレクトリック・ドリーム」や「ショートサーキット」なんていうのもあったなあと、芋づる式に思い出しています。

ロボットや人工知能との関係についての警鐘的映画としては「2001年宇宙の旅」や「アイロボット」が有名ですね。

「ベイマックス」は、温かくて柔らかく、包容力があって、そして強い。主人公は身内のほとんどを失うのですが、ベイマックスは時に父性、時に母性を見せて、肉親のような無条件の愛情で主人公ヒロを包みます。

「アナと雪の女王」もそうでしたが、「ベイマックス」にも、能力や才能は善きことにこそ使いなさい、というメッセージにあふれています。憎しみの元になったできごとは分かる。だけど、それに囚われてはいけない。人を愛し、人を癒やし、救うことへと主人公を導きます

今回は、「癒やし」が根底に流れるテーマです。世界中で人が人を傷つけ、命を奪い合う時代。設定やメッセージが、とても「今」なところも素晴らしいです。

こんなによくできたユーモアたっぷりのベイマックスとこれでお別れだなんて寂しすぎるので、ぜひ続編をお願いしたいですね。