「死にたいほど目の前が真っ暗だったのに、嘘のよう」はじめの一歩を踏み出した瞬間、変化は表れた

breakfastintokyo

25年前に東京の外資系広告代理店で一緒に働いていた、現在アラフィフになっている女性の友人から、ある日、LINEでSOSが入りました。

「ライフコーチの助けが必要かもしれません」

ポツポツと続く文面からは、どうやら思いつめた雰囲気が伝わってきます。

転職をして、その後、しあわせな結婚をして、子どもも大きく育って。

自分自身も仕事に戻って、有名企業でスーパーバイザー的立場の責任を持たされていたりして。

そんな暮らしの何が不満? 何が問題?

疑問に思いながらスタートした初回セッションは、彼女の弾丸トークが止まらず。

こういう時は、出しきっていただくのが重要なので、最初はただ静かに、相槌だけで耳を傾けることに集中します。

母役も、妻役も、娘役も、全部ひとりでやらないといけなくて、誰もそのことに感謝してくれなくて、本当にたいへん。

しかもフルタイムで働いているというのに。

親の介護だってたいへんなのに弟たちは何も助けてくれない。

でも、客観的にお話を聞いていると、どうもそれは彼女が一方的に自ら感情の袋小路に入って出口を見失っているだけで、問題の本質は違うところにあるような気がしてなりません。

旦那さんは、仕事熱心で、超有名企業の重役だし。

お父さんは別に身体的には超元気で、食事以外は面倒見ることもないし(そもそも隣の部屋に住んでいる)。

息子さんはきちんと就職されて婚約しているし、娘さんたちはトップ大学のトップ学部に在籍しているし。

途中、途中、私もシャープなツッコミを織り交ぜていきます。

「それって、何が問題なんですか?」

「それは自分が勝手にそう思ってるだけじゃないんですか?」

「それって、頼まれたんじゃなくて自分が勝手にやってるだけなんじゃないですか?」

そのたびに、一瞬、詰まって、会話が止まります。

そして、「あれ、そうかも」「あれ、確かに」なんて言葉で、とらわれていた怒りや、どうしようもない無力感や、焦燥から、ふと我に返っていきます。

どうやら、問題の根幹は、がんばらなくてはいけない、こうしなくてはいけない、と決めつけて、自分で自分を縛り付けているってことのようでした。

今朝、父の部屋に行く時に、自分がなんかつぶやいているのを、ふっと聞いちゃったんですよね。

「がんばらなくちゃ、がんばらなくちゃ」って、誰もいないのに、ひとりごとで言ってるんです…

セッションの最後に聞いたのは、こんな言葉です。

さっきまでは、死にたいほど目の前が真っ暗だったのに、なんだか嘘のように霧が晴れました…。

よくアメリカ映画などで、精神科医のカウンセリング風景がジョークにされることがあります。

ベットに横たわって、真剣に自分のことを滔々と語るクライアント(あるいは患者)。

それに反して、時計を見たり、パソコンを眺めたり、何やら違うことに気を取られて全然聞いてなどいないカウンセラー。

それでも、満足そうに帰っていくクライアント。

何やら煮詰まってしまって、気持ちの出口が見いだせない時は、第三者にお金を払って「話を聞いてもらう」だけでも、効果がある場合があるということです。

1.話すことで、整理される

2.話すことで、客観視できる

3.話すことで、解決に踏み出している自分に気づく

聞いてくれる誰かがいる、という安心感だけで、その後も問題を客観視し続けることができる様子。

便秘のように、心の中にたまった感情も、「一度表に出せばスッキリする」ということでもあるのでしょう。

だから、いかに気持ちよく出させてあげられるかが、カウンセリングやコーチングにとって、とても大事な基本です。

その後の彼女は、賢い人なので、いろいろと行動パターンを変えたり、人との関わり方を変えたりして、実験を繰り返して、問題解決を図っています。

自分が変われば、人も変わる。環境も変わる。まずは「自分から」。

話してスッキリしたことで、そんなことに気がついて、見える景色がガラリと変わった一例です。

写真は、東京での対面セッションで、彼女とブランチした時に食べたメニューです。

内容とは全然、関係なくてすみません(笑)。