頑張るという言葉の意味と使い方はどうやら人によって違うらしい

Ganbaru

先日、30代の女性とお話していて、どうも噛み合わないなあと思っていたことがありました。そのことを追求して、違和感の元を探っていったら、どうやら「頑張る」という言葉の捉え方、意味の把握の仕方がずいぶんと違うことに気が付きました。

あくまでも客観的に見てみると、彼女はちょっとそれはないんじゃないかと思える環境に身を置いているのですが、そこで音を上げずに、しっかり成果を出して認められることが大切と、「頑張って」いました。

僕はその環境で時間とエネルギーを費やすことが、すでに無駄に見えるので、「さっさと辞めちゃったら?」と気軽にアドバイス。そこは、頑張るところじゃないんじゃないの? 頑張るべきところは、もっと他にあるよ、と。20年ほど余計に生きているものの、お気楽な、突き放したアドバイスです。

しかし彼女にとっては、僕の言うようにするのは、「逃げる」ことであり、「諦める」ことであり、弱い自分を知ることであり、負けを認めることでもあるようでした。いったい誰に何を証明しようとしているのか…。ちょっと痛々しくも感じてしまったのですが、頑張ることと、「理不尽で辛いことを我慢する」ことを同義語のように話すので、それが自分にとっての一番の違和感でした。

僕の意味するところは、ただ単に「一生懸命やる」とか、「集中する」とか、「全力を尽くす」とか、それだけの意味で、それは何のためにやるのかと言えば、「その先にある素晴らしい未来」のために他なりません。

意義と目的を確かめた上で、質的、量的に、自分ができる最大限のことに挑戦をしていく、ということが、頑張るということ。ただ単に「最善を尽くす=Do my best」ということに他なりません。悲壮感なんてありえないし、義務感なんて湧き上がるわけもない。

明るい未来を追求する過程で軌道修正するのも当たり前だし、意義と目的にそぐわないと思ったら、止める勇気を持って、次のゴール、次のミッションに向けて、また力を尽くしていけば良いだけのこと。

疲れたら休まなければ、パフォーマンスの最大化はできないし、時には遊んでリフレッシュしなければ煮詰まってしまい、目的の達成に向けて進めなくなります。頭使って効率を高めていくことも含めて大事なことだし、広い意味で頑張ることなんですよね。

決してロボットのように、あちこちにガタが出て、油が切れてキーキー悲鳴を上げてるのに、それでもなお動き続けるのとは、決定的に違います。

昨今、日本の中には、「頑張らなくていい」「頑張るのをやめると成功できる」というような言葉がたくさん見られますが、その多くが言おうとしているのは、僕が思う頑張るということとは違う観点からの助言が多いようです。表現は様々ですが、結局彼らが言いたいのは「盲目的になるな」「疑いを持たずに機械のように動き続けるな」ということ。

僕にとっては、そのことと、頑張る、頑張らない、は、まるで別の話なので、どうにもこうにもピンとこないのでした。

言葉は生き物で、人によってこんなに定義や使い方や把握の仕方が違うもの。だから、コミュニケーションは難しいんですよね。