就職はゴールじゃなくて単なる始まり。どれだけ成長できるかがカギ

COO JIM

あと数ヶ月もしたら、働き始めてから、ちょうど30年という節目を迎えることになります。

明日、短い時間ではありますが、日本の大学生に向けて、自分の仕事生活のことを話す機会をいただき、自分の長い仕事生活のことを思い返していました。

いつしか、ハワイやロサンゼルスとかで、小さな規模とはいえ社長として経営を司る立場に立たせていただいたりしたのですが、自分のキャリアライフは、本当にしょぼいスタートでした。

バブル景気の前触れで好調に就職を決めていく周りの大学生を見ながら、自分は「会社に内定をもらう」ことが就職することだとどうしても思えず、まったく動けないでいました。

そもそも早稲田大学の第二文学部というところで、夜間区分だったこともあって、他の学生に来るようなリクルートブックも届きません。どうやったら就職活動って始めるのかな、とボーっとしている間に、終わってしまった感じ(苦笑)。

タモリさんが中退、吉永小百合さんが卒業された学部です、と説明するのですが、今はもうないんですよね。でも、きちんと就職活動している仲間もいて、それなりの中小の会社に就職が決まっていました。

ちょっと古いですが、「いちご白書をもう一度」のように、突然リクルートスーツに身を包んで、OB訪問や面接の後にそのままの姿で授業に出てくるようになった同級生たちを、不思議な気持ちで眺めていたのを覚えています。

セクシャル・オリエンテーションのこともあって、いわゆるニッポンの企業に入ってオジサン社会の一員としてやっていく自信はなく、当時、流行していたコピーライターという職を目指して、「宣伝会議コピーライター養成講座」に通ったのが、大学4年の夏休み。

ほとんどの広告制作会社が、就職試験を秋に催していた時代。テストはくぐり抜けるものの、最後の面接でやはりダメ。1人とか2人しか募集しないところに、1000人、2000人が応募するような時代だったので、確率から言って無理もないですね。自己表現などまったくできない学生でしたし。

大学4年の年末年始も明けた1月。新聞の小さな募集記事を見て応募し、ようやく潜り込んだのが10名程度の海外向け広告制作会社。コピーライターではなく、何でもやるディレクター的な営業企画というポジションでの採用でした。

しかし、この仕事がとても好きになり、自分に向いていることもよく分かり、のめり込んで仕事していたら、高く評価していただき、5年後に次へと移っていく自信もいただくことになったのだから、何が功を奏するかなんて、まったく分かりません。

この会社で学んだことは、ハワイでメディアの仕事をしてから大いに役立ちました。3年目ですでに現場のリーダーだったので(あ、そんなことしてたんだっけ、と今、初めて認識しました…)、リーダーシップとか、グループをまとめる、とか、プロジェクト・マネージメントとか、そういうことも自然と学んでいたんだと思われます。

その後、日本で一度、会社を変わり、ハワイに行ってから2社で働き、ロサンゼルスでさらに1社。細かなこと言うときりがないので大きなものだけ数えますが、それでも30年間に5社で働いています。

日本の学生と話すと、就職活動がまるで人生のゴールのようなトーンに聞こえてくる時があります。実際には、早ければ1-2年でキャリアを変えていくことになるかもしれないし、その後、どんな風に人生がドラマチックに展開していくか、今の段階ではまったく分からない。4社、5社と仕事場を変えていくかもよ、というと、皆、一様に驚きます。

ロサンゼルスまでわざわざ職場研修をしに訪れる意識の高い学生でもそうなのだから、一般的に見たら、もっとそういう傾向は強いのでしょう。

だから、彼らと話す機会があると、とにかく全体が見えて、若くてもたくさんのことに責任を持たせてくれる職場を選んで、学校のように学べるだけ学んで吸収して成長することに集中しなさい、とアドバイスしています。

これからはとくに、その場で一生働き続けることの方が少ないんだから、給料や待遇なんてどうでもいい。成長の機会を与えてくれるかどうかだけに焦点を絞って、働く場所を決めていいと思うよ、と。

生涯年収なんて、最初に働き始めた会社となんら関係なく、いかようにも変えていける。自分で、後で、ちゃんと変えていける。

そう信じて、目先のことにとらわれないで、自分を「ライオンの父」のようにあえて厳しい逆境の中に突き落としてみるといいよ、と熱弁し始めると、さすがにメモを取る手がピタッと止まる瞬間もあります(笑)。でも、目はキラキラ輝いていたりして。そんな瞬間が大好きです。

さて、明日は関西の外国語系の大学で、女子学生が多いそうです。どんなお話になっていくのかな。楽しみです。