家族で断捨離マラソン。山が崩れて明かりが見えた(涙)

Chiba Gomi

おそらく25年位前、一人暮らしの部屋を引き上げて家に戻ってきた時、家にモノがあふれて整理整頓ができていないのに気が付きました。自分が都内で暮らしていた部屋はとても狭く、お金もなかったのでたいしたモノも買えず、おかげで、「モノなどなくても暮らせる」ことを教えてもらいました。

引っ越しも何度か体験し、その度にモノと向き合わざるを得なくて、28歳の時に経済的理由で実家に帰ってきた際も、本当に最小限のものだけ持って帰ってきました。

しかし、親はその時点ですでに15年以上も同じ部屋に住んでおり、買った部屋なので動く予定もなく、徐々に暮らしの垢が溜まっていくようにモノが増えていました。

捨てずに買う。だからあふれる。あふれるから、それを収納する入れ物を買う。そしてまたスペースが狭くなる。それでも捨てずに買う。またあふれる。より大きな収納スペースが必要になって、巨大な箪笥に買い換える…。悪循環。

その繰り返しを行った果てに、家はいつの間にやら、とんでもない状態に追い込まれていました。身内のことだし、じゃあ自分が手伝って片付けてやればよかったじゃないか、と言われるとその通りなので、別に誰かを責めているのではないのですが、もうここまであふれかえると、お手上げ、って感じなんですよね。

一度、無理やり台所だけ「勝手に断捨離」しようとしたのですが、作業途中で母に泣かれました。もうきっと何年も使ってなくて、存在すら忘れているだろう古いスプーンやフォーク、何セットもあって使われていない古いカップや皿などを、「捨てる」前提で仕分けていただけなのですが、勝手に人のものに触るな、という感じでシクシク泣かれ、大事なことを学びました。

「自分にとって無駄に見えるからといって、人にとって無駄なわけではない。人はモノにいろいろなものを投影し、愛着(執着)を育てていく。だから、人のものを断捨離してはいけない…。」

当人たちは彼らなりに何とか事態を解決しようと努力した形も見えるのですが、でも、断捨離の基本である「断」をまずしない。どんどん入れる。そして「捨」もしない。だからあふれ続ける。捨ててあげようとすると、もったいないと言い、結局「離」ができない。断捨離の本も、買ってあげたのですけど、意味なしでした。

帰省する度に居心地の悪さを増していく部屋に暗い思いを抱くようになってしまっていましたが、これはもうしょうがないこと、と諦めて、だんだんと都内にホテルを取ったりして、足が遠のいていました。自分と、古く意味をなくしたモノとどっちが大事なんだよ、と、ちょっとばかり気分を損ねていたかもしれません。

今回は何が違ったのか、というと、「父が戻ってこないかもしれない」、「戻ってきた時は、布団の上げ下ろしもできない」、「この家にもう一台、介護用のベッドを入れなくてはいけないかもしれない」というような、必要に迫られる状況があったからでした。

実際、抗がん剤やら放射線治療やらを始めた父は急激に弱っていき、エレベーターのない団地の2階に戻って来られても自力で家に上がることさえできないと思われ、「この部屋に戻ってこないかもしれない」感はどんどん現実になっています。

今回は長期でいることができるし、妹も今は実家に戻って住んでいるので、心強いパートナー。開かずの間のように思えた押入れや、引き出しの中を整理し始めると、出るわ、出るわ、不要品。存在さえも忘れている、れっきとした不要品。最初は渋々に見えた母親も、部屋に隙間が生まれて、ゴミ袋の山がどんどん処分されていくに従って、気持ちよさを実感してきた様子。

昨日、今日は体調もよろしく、入院中の父親のものをガンガン捨てまくっています(笑)。人のものは皆、決められるんですよね。久しぶりに、ここの壁を見た…みたいな、あんまり書くと引かれそうな状況が現れて、個人的には心の中で安堵の涙を流しています。わずか数日ながら、部屋がグンと明るくなってきたのを感じます。

とはいえ、本来あるべき状態にしていくには、この家の中のものを3分の2以上は捨てないと多分無理。家具も半分にして、しまわれて着ていない服も5分の1に減らせると思うほど。食器も調理器具も3分の1に。冷蔵庫も冷凍庫もパンパンなのを整理して…。これは、しばらく続く「断捨離マラソン」だと覚悟しています。やましたひでこさんとお知り合いになれて、形はそれぞれ違ったけれどもLAやシアトル、ハワイのセミナーにも関わらせていただいて、DVD教材でさらに徹底的に自分でも勉強し、だからこそ今、こんなことが上手にできるようになったわけで。大切な御縁に感謝します。

2001年にハワイで一緒に過ごしたのが最後で、このところ、こうやって家族で何かひとつのイベントを体験するなんてこともありませんでした。父親はまだ病室で元気にいるわけですが、彼のモノを整理しつつ、「彼にとって大切だったこと」を思い知らされ、人の一生についてとか、しんみり考えています。

あ、そうそう、本来、書きたかったのは、日本のごみの出し方についての学びでした。「保存版」っていう冊子が配布されるほど、超複雑。こんなのアメリカ人には絶対できない!(笑) 日本人って、すごいなあと思います。またこのことはあらためて。