こんな闘争心はどうしたら生まれ出てくるのだろう。全米オープン決勝で感動したこと

圧倒されましたね。全米オープン決勝戦。フリーランスの立場を最大限に利用して(ってほどでもないけど)、生で2時間たっぷり堪能させてもらいました。

錦織選手はもちろん残念だったんだけど、相手のマリン・チリッチのプレイが凄まじかった。長年、テニスを見てきましたが、なかなか見れないほどの研ぎ澄まされたプレイだったと思います。

力量、集中力、闘争心、すべてにおいて、チャンピオンになるべくしてなった感が溢れ出ていました。6−3、6−3、そして5−2でブレイクポイントを逃れてキープした時かな、ものすごい雄叫びをしながら相手コートを睨みつけたんですよね。
何秒にも続く長さで叫ぶ彼をカメラが追っていた。「うわ、すげー」って、思わず引きました。放射能を吐くゴジラかと思った。それ以外の時の紳士的で、物静かな感じのプレイからは想像つかないほどの雄叫びでした。

彼は去年、ドーピング検査で引っかかって、多分、不本意なことだったようにも感じるのですが、4カ月の出場停止という罰則を受けました。その悔しさとかもあったんでしょうか。あの高いところから打ち下ろされるサーブ、ラインぎりぎりを狙って打ち込まれるスマッシュのようなフォアハンド。終始落ち着いて、時折前後にも揺さぶりをかける技も見せる。まったく相手に自分のプレイを許さない試合運びでした。

それにしても、ふたりとも英語が上手ですよね。錦織選手も、彼の英語を聞けば、どれだけ早くから、そして長い間、アメリカで教育を受けてきたのかが想像できます。日本人選手っていうか、マイケル・チャンみたいなアジア系アメリカ人選手みたいに見えてくる。だからなんだ、ということじゃなくて、アメリカの「才能ある人間を伸ばす教育」って、やっぱスゴイのねと感心してしまう次第。日本にいて、ここまでになれたかというと、きっとね…。

闘争心って、つくづく大事だな、と思います。自分とはあまり似つかわしくなくて、というか、勝ちたいってことを表現して、勝てなかった時に恥ずかしい、っていうところにすぐ頭が行っちゃうカッコつけな状態のまま成長してしまうと、勝ちたい、と思うことすらしなくなるものなんですよね。

勝とうと思うことは、はしたない?くらいに斜に構えてしまったりして。本当はただ傷つきたくない弱虫なだけなのに、闘いもせず、心の中で勝者を羨んでみたりして…。

そんなひ弱な心に「喝!」を入れてもらったのは、2年前の7月。盛和塾の世界大会に初参加した時のことです。ちょうど日本航空が再上場を果たすという時で、いろいろな形で稲盛和夫さんを応援した塾生たちに感謝の念を述べつつも、「やさしいだけでは経営はダメだ。燃えるような闘争心を持て」ということを説いてくださったのです。

フィロソフィとか学んでいると、どうしても心清く、美しく、人のために利他の心で、と、穏やかで優しい人になっていきがちなのですが、経営はそれだけでやっていけるほど甘くはない、と。経営の12箇条にも「燃える闘魂」っていう、巨人の星みたいなひと言があるのですが、瞳の中に炎がメラメラと燃え盛るくらいに、「勝ちたい!」「勝つぞ!」と思い、それを表に表す闘争心が必要なのだと言われ、心が震えました。

何だか自分の中では、それは利己心のような気もして、うまく消化できずにいた時期もあったのですが、その時にストンっと腹に落ちてきて、ああ、むき出しの野心とか、むき出しの闘争心、負けん気って、悪くないんだと思ったら、楽になりました。勝ちたい、勝つぞーってメラメラしないのに勝てるわけもない。思いが現実化するんだから、思いの強さが試されるはず。

今でも人前でわざわざそれを見せることはしないかもしれないですけど、何かを成し遂げたいと思ったら、自分の心の中に熱く煮えたぎるほどの闘争心があるかどうか、常に確認の自問自答をするようになりました。静かでおとなしく見えるけど、意外に結構、あります(笑)。

でもなあ、今日のチリッチ選手ほどの闘争心があるのかと問われたら、まだまだ甘い、と答えるしかありません。修行が足らない。出直します。