40にして惑わず。50にして天命を知る

だいぶ前ですが、誰か有名な方が40歳になった時、「不惑の歳」のような言い方をされていて、初めて不惑、という言葉を知りました。

論語が出典となったもので、40にして惑わず、つまり人生の方向性が定まって迷わなくなる、という意味なのだそうです。

今の時代、40歳で本当に迷わない人はいるのでしょうか。

自分は40で社長を命じられて、覚悟は決まりましたが、それは仕方なく集中するしかなかった、という意味。

その後もずっと常に迷いながら、惑いながら、生きてきました。

50歳は何というのかというと、「知命の歳」というのだそうです。

天から与えられた使命を知る歳…。

セミナーでも言うのですが、今や日本人女性の平均寿命は87歳を超えています。

人生80年といまだに言う人がいますが、少なくとも女性に関して言えば、ちょっと時代遅れです。

最近では、人生100年時代、という言葉の方が定着してきましたよね。

あくまでも平均のことだから、その前に亡くなる方もいれば、もっともっと長生きする方もいる。

100歳以上の人口もどんどん増えています。

だから、50歳なんて、まだ折り返し点にも行ってないかもしれないんですよね。

生まれてから、今までのこの長かった人生を、もう一回やり直すだけの時間が与えられているとしたら、僕らは今、赤ん坊のように無垢で、純粋で、元気で、可能性に満ちている存在として再び生まれ変われば良いだけです。

老いなんて自ら口にしている場合ではありません。

老いたまま50年もの長い間、何して生きればいいのでしょう。

ライフプランニングのセミナーで、私がテーマにしているのは、まさにこの「知命」と「不惑」だということに気が付きました。

数々の自分掘り起こし作業を繰り返し、自分を再発見し続けて、天から与えられた使命とは何かを見つけていく。

そして、それに向けて迷わずに生きていくための設計図を描いていくのです。

セッションやらセミナー、ワークショップ、交流会を通じて、たくさんの「生の人生」のストーリーを間近に聞いています。

Facebookでのクライアントグループなどでも、今、自分が感じている、いろんな痛みや苦労やブレーキを開示し合い、互いの話に共感し、涙し、アドバイスの言葉を交わし合い、誰からともなく手を差し伸べ、「生きてる感」を共有しています。

誰もがもがいているし、不惑や知命を求めて、彷徨っています。

彼らの真摯な心の深淵を見るにつけ、もっと自分もレベルアップできるように、勉強し続けていかないといけないな、と覚悟を新たにするのでした。

(2014年の記事を加筆訂正して再掲載しています。)