失敗が怖くて始められない。成功しない人のネガティブサイクル

昨日、かっこいいデザインの家が立ち並んで気分が高揚するマンハッタン・ビーチのジョギングロードを走りながら聞いていたポッドキャストの番組で、うわっ、こりゃ良い言葉だな、メモしなきゃな、と思ったものが山ほどありました。

でも、いつも走っている間は覚えているんですけど、終わると忘れちゃうんですよね。その瞬間に口頭でメモできる、ボイスアクティベイトのレコーダーがあるといいですね。できればその録音をテキストに変換してエバーノートに指定タグをつけて収納しておいてくれる、みたいなことまでつながると完璧。

ポッドキャストは一時停止して、また録音作業が終わったらスタートする。その間、一切手は使わない。走ったまま、「メモ」と言うだけで録音がスタートし、「終わり」と言うとエバーノートに自動収納する…。

開発しようかな。

って、起業家精神の旺盛な人は思うのでしょうね。僕はまったくそっちには反応せず、「あ、書かなきゃ」としか思えない(笑)。

メモできなかったので、ほとんど忘れていますし、また再び聞き返す時間の余裕もないので、あとは潜在意識に刻まれていることを期待するばかり。唯一、覚えているのは、この言葉でした。

さんざん準備して、いざプロジェクトを起ち上げようとした時になって、なぜか躊躇しちゃうんだよね。急にそこで怖くなる。そして自分の中からいろんな言い訳が沸き上がってきて、もっとああしなきゃ、こうしなきゃ、といじり始めたりする。結局、何も始まらないまま時間ばかり過ぎる。

これって何を意味するんだろう、って何度も繰り返した後で思ったんだけど、結局、失敗するのを怖がってただけだって事に気づいたんだ。

始めさえしなければ、失敗することもない。失敗が確定することもない。望ましくない結論が知るのが怖くて、始めない選択をしてしまうというネガティブなサイクルに陥っていただけだった。

でも、始めなければ、結局いつまでたっても成功することだってないよね。だから、僕らはどこかで思い切って、失敗のことなんか考えずにスタートしなきゃダメなんだ。それでもしダメでも、また修正してやり直せばいい。やり直せない失敗なんてないんだから。

おお~。何度も何度も繰り返してきたことなので、ビンビン痛いくらいに響いてしまいました。大小、さまざまな問題や課題で、結論を先に引き伸ばしたり、始めるのを遅らせたり、いつまでもグジョグジョといじくってみたり…。

結局は、外に出して、「失敗」と烙印を押されることが怖いだけ。いや、外の人がどうのじゃなくて、自分が「失敗」「できない」と分かって落胆し、自信をなくし、可能性を否定しなくてはいけないのが怖いだけ。

でも、一度ダメでも、それはただのフィードバックに過ぎないのだから、改良して、またやり直せばいいんですよね。一度のテストの結果で合否が決定されてしまう受験勉強の名残りなのか、いつも一発勝負の恐怖に怯えている自分がいるようです。

そういえば、アメリカに来てから知った、こんな英単語があります。

Procrastinate
プロクラスティネイト=グズグズする、先に引き伸ばすこと

日本語で、これにズバッと対応するひとこと単語ってないですよね? 単にのろい、とか、愚図ってことではなくて、締め切りが来るのが見えてるのに、ずるずると後回しにして、結局はラストミニッツになって慌てちゃう、そういう姿勢のことなんですね。まあ先延ばしっていう言葉が一番適当かな?

これはダメだよ、いけないよって、アメリカでは学校で子供の頃から教えているようです。失敗なんてしてもいいんだから、とりあえずやってご覧よっていう風潮が社会全体にある。逆に「失敗しないと成功しないんだから」と失敗を奨励するカルチャー。

それでも完璧主義者はたくさんいるし、その呪縛に縛られて、身動きできないでいる人がたくさんいるのは、日米共通のこと。人間の本能的なことなんですね。

本能に縛られず、人間らしい理性を働かせて、僕らはどんどんチャレンジしたい。完璧主義は、緻密な仕事をする上で欠かせない資質でもあるけれど、Try and Error(試行錯誤)の基本を忘れたら、そもそも完璧に近づくことはできない。だから、単に「フィードバックを受ける」というつもりで世の中に出して、使って叩いてもらって、どんどん皆の協力を得ながら完成品に近づけていけばいいわけですね。ソフトウエアなどで、β版という形で未完成品を世に出して、フィードバックを受けるように、僕らも真似をしていけばいい。

人間も製品もサービスも一緒。どんどん世の中に出していきましょう。