自分でやればタダ、は間違い。機会コストという考え方を学ぼう

ocmarathonueno

ようやく1年と2カ月ぶりのマラソンレースが終わりました。

記録的には、狙っていた3時間30分を2分ほどオーバーしまして、31分58秒でのゴール。7キロ過ぎて行かざるを得なかったトイレ休憩が最後まで尾を引くとは…というまさかの展開ではありましたが、自分なりには計算していた通りの走り方ができたので、次回に希望も持てて(まだやる気です・笑)、楽しい大会でした。

しかし、しばらくは走るのは近所の軽いジョギング程度にして、レース準備時のような時間のかけ方は当面避けるつもりです。

というのも、マラソンの練習というのは、本当に時間がかかるものなのです。

4月などは、軽く250キロくらいトータルで走っておりまして、1キロ5分と計算しても、21時間くらい走っていたことになります。

15キロ以上の長い距離の練習は、信号のないビーチまで行ってランニング専用道路を走っているので、行き帰りの1時間も加わります。それが月に7−8回で7−8時間。

さらにはストレッチや着替えやマッサージやお風呂での休憩や、少し余計目の睡眠や…と加えていくと、おそらく月の内、48時間位は走ることのために費やしていたのかもしれません。

これは、起きている時間の話なので、たった2日間じゃない?ということではありません。

仕事時間が10時間くらいだとしたら、実に5日間分。週休2日の人だと、なんと1週間の労働時間に相当するほどの長さなんですね。

ブログの記事を書くのに1時間半くらいかかると仮定すると、さて何本、書くことができたでしょう?

本を一冊読むのに6−7時間と仮定すると、さて何冊読めたことになるのでしょう?

この時間すべてをライフコーチのセッションに使っていたら、いったいいくら稼げたのでしょう?(それだけの需要が常にある、という想定での話ですが…)

このように、「もしAのことをやっていなくて、Bを選択していたら、いくらになったか(他に何ができたか)」と考えてみることはとても大切です。

実際にお金が減っていくわけではないので、時間の使い方には無頓着になりがちなのですが、失っているのは「機会」です。

なので、このような仮想の損失を「機会コスト」と呼びます。(またはオポチュニティ・コスト、機会費用)

人間の身体はひとつしかないので、ひとつの行動を選択をすると、もうひとつの行動は放棄しなくてはなりません。

よくちょっとの出費を惜しんで何でも自分でやっちゃう人がいますが、その時間をもし他の生産性の高いことに費やしていたら、いったいどれだけのお金が稼げていたのかと、常に「自分の時間の価値」を意識することで、選択の基準は大きく変わってしまう場合もあるのです。

例えば、時間のかかる電車で行かずに、タクシーを使って、その中でも仕事をこなしたりすることができたら、高いはずのタクシー代も、実は効率良い投資になっているかもしれない、というようなことです。

時には羽目をはずして、飲みに行くのも必要でしょう。美味しいものを食べる、友だちと会って楽しく笑う、TVを観てリラックスする。そんなことも人間には必要です。罪悪感など感じることなく、大いに楽しめば良いのです。

ですが、人生において、「ここが大事!」と言う場面もあります。

勝負どころだぜ、という時にも、人や習慣や甘え心に流されて、非生産的な時間の過ごし方をしていたら、いつまで経っても理想の自分にはたどりつけませんね。

まずは「何が生産性の高い行動なのか」を理解すること。そして、頭の片隅で常に機会コストのことを意識して、最良の行動の選択をすることです。

ランニングという有酸素運動は健康にも抜群に有用だし、精神のリズムを健全に整えてくれる働きもしていて、僕にとっては欠かすことのできない楽しみでもあります。だから、完全に止めることは今後もないのですが、メリハリは大切だと考えています。

しばらくの間、走るのは近所のジョギング程度に控えつつ、別のやりたいことに時間をぐいっとシフトしていこうと思います。