謙虚は美徳。でも自分の価値はきちんと主張しよう

素晴らしいね~、すごいね~ってほめられたとしたら、どんな風に答えるでしょうか。

「いえいえ、私なんかまだまだです」と謙虚な姿勢を見せるのが、日本的に正しいとされる受け答えの代表選手かもしれません。

人から好感を持っていただくのには、なかなかデリケートな気遣いを必要とするものです。日本のように出る釘は打たれやすい風土であれば、より慎重に言葉や態度を選ばないとなりませんよね。

ただ、その姿勢が行き過ぎて、「自信のなさ」や「アピール下手」につながっているとしたら、それは問題です。

謙虚は良いことです

最初に誤解がないように書いておくと、僕も謙虚さはとても大事だと思いますし、日本人の美しい心のあり方を象徴する価値観だとも思います。

志の高い成功者ほど、謙虚な姿勢を持っているとも言います。

「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」

日本の美徳は、ここにあるわけですね。

多少のことでうぬぼれて尊大にならず、人には常に丁寧に接し、利他の心で人への貢献を続けなさいということを稲盛和夫氏の「盛和塾」でも学びます。

努力を疎かにせず、自分はまだまだ成長できると信じて、コツコツと、淡々と、学びや気づきを継続していかねばなりません。

威張らない。奢らない。

成長や成功は、人格を試されることでもあるのです。

能力の証明や価値の主張は大いにすべき

しかしながら、謙虚が一番なんだと思って、自分を主張することをしなかったり、本来の高い価値を的確に表現できないのだとしたら、世界を舞台にした時に損をしてしまいます。

謙虚と自己主張は、相反することではありません。

ハワイやロサンゼルスにいると、たくさんのアメリカ人と接するわけですが、彼らは良くも悪くも、自己主張の達人です。

自分の優れたところを、とうとうと訴え続けることができる。

あれができます、これができます。

面接でのトークはお見事です。照れなど一切ありません。相手に自分を売るのだから、そこは真剣勝負。人生賭けて必死です。

対する日本の方に、◯◯はできますか?と必要なスキルについて聞いても、「まあ人並みには…」とか「得意、とは言えませんが、ひと通りは…」などと、条件付きで答えてきたりして、往々にして不安にさせられます。

それはまるで、後で責められないように「予防線を張っている」かのようです。

できると言ったのにできないじゃないかと言われるのが怖いから、あえてぼやかしてしまうかのよう…。

それは、謙虚というよりも、物事を正確に伝える能力がないのと同じではないでしょうか。

そして、「自信がない」ってことと同義に見えます。セルフイメージが低く、セルフコンフィデンスのレベルも低い。

かたや、たいしてできもしないのに、事実を盛って自信たっぷりに話す人たちがいて、かたや、かなり割り引いて遠慮がちに話す人がいた時に、どちらを採用しようと思うでしょうか。

自慢話するやつは好かん、とか言って、自信がなさそうな人を採用するほどの余裕は、切羽詰まった今の企業にはありませんよね。

本当なら、遠慮した人の方ができるかもしれないのに、正確に表現できないがために採用されず、実力が劣る方が採用されてしまうのだとしたら、それは、誰のためにとっても良い事にはなっていません。

ウイン・ウインどころか、ルーズ・ルーズ(どっちも負け)の構造です。

良かれ、と思ってやってることが、実は相手のためになってないのです。

できないのに、大げさにできる!と言って採用された人が、努力して本当にできる人になってくれるのを祈るばかりですね。

でなければ、彼も評価がガタ落ちで、結局はサバイバル不能。ルーズ・ルーズ・ルーズと、3つ重なってしまう可能性だってあるのです。

売りたいものがあるなら、なりふり構わず売らないと

グローバルな舞台で見た時に、日本人はとかく主張ベタだと言うのは定説になっています。実際、総体として、それはそうかなと納得します。

謙虚が美徳であること、出る釘は打たれる傾向が強い社会であることなどが関連してのことなのだろうと推測しますが、世界に出ると、なかなか理解されにくい性質です。

端的に言ってコミュニケーション能力の欠如と結論づけられても仕方ないところはあり、「残念な結果」を生みやすいのは事実。

あうんの呼吸なんて、文化が違えば通じません。

聞かれたら答えよう、なんて受動的に待っていても、人との心の交流ははかれません。

売りたいものがあるなら、それが自分だろうと何だろうと、なりふり構わず売らないと。

もちろん、そこに「戦略」があり、洗練された様式であるに越したことはありません。

「自分をマーケティングする」ということです。

自分の強みを知り、それを使って社会に貢献をしていこう!

まずは自分の強みを正確に知り、それをどう表現したら相手に伝わるのかを戦略的に考える思考が必要です。

自分には人にない、こんな能力がある。だから、それを使って、このことに貢献できる。

それが見えている人は、履歴書も、職務経歴書も、そして面接も、とても上手にできるんだろうなと思います。

日本は、国民性として職人気質なところがあり、しかもかつての終身雇用が災いして、「一人前」の概念が他国と違います。

5年、10年ではまだまだひよっこ。そんな意識を植え付けられてしまうものですが、それは例えばアメリカのキャリアの現場とはまったく異なる考え方です。

アメリカは、3年も働けば、その分野のベテラン扱い。ある意味「極めた」ということで、次の仕事にどんどんチャレンジして動くわけです。

日本人には、10年経ってもキャリアのアピールに自信がない人は多いものですが、考え方を大いに改めるべきです。

日々の仕事が、いったい何のためになっているのかを知り、自分が「いったい何に貢献しているのか」「どんな成果を上げているのか」に意識をしながら仕事をすれば、立派な職務経歴書を書くのに役立ちます。

歯車のひとつになっていると、その点に無意識過ぎて、自分がやっていることの意味や意義を知らない傾向が強い。だから、職務経歴書に書けることもあまり思いつかなかったりするのです。

自分の強みも知らない人が、どうやって社会に貢献できると言うのでしょう。

自分が誰よりも上手にできることを知れば、それを使って社会に貢献をしていこう、人の役に立っていこうと思えるもの。

それこそが天職であり、生きがいにつながることでもあるはずです。

これからは、セルフマーケティングの時代。

ライフコーチのセッションでは、かなりこの部分をお手伝いするケースが多くなっています。