人生は「想定外」の連続! 感性的に悩まず、どんな状況も楽しむことを心がける

今日はLAマラソンの日だったのですが、レースが行われている最中、僕はなぜか家でTVの生中継を観ていました。

若干、打ちひしがれたような思いで、やや現実味がないままボーっとリモコンを握って観ていました。

本当なら皆と一緒に走っていたはずが、いろいろな諸事情が重なり、前の晩になって諦めざるを得なくなりました。2カ月半、集中して厳し目の練習をしてきたので、脱力感でいっぱいです。

今回は、家人(とかあえて呼んでみますが)の急病が直接の原因でしたが、それ以前にもハプニングは多々、ありました。

実は本番の日を1週間、前倒しで勘違いしていて、練習プランも予定表もすべて8日に照準が合っていたので、この間延びした1週間を、緊張感を切らさずに過ごすのが予想以上にたいへんでした。

気が緩んだのか、自分の体調が急降下して、ジョギングしても30分も走れないくらいに疲れを感じ始めました。今までまったく痛みが出なかったのに、突然、スネや腰に鋭い痛みが感じられて、最後の1週間は練習量、ほぼゼロに近い状態。2度ほど、徒歩で近所を30分歩きまわった程度です。

普通はありえないと思うのですが、「完全に休む」という思い切ったことをしてみたら、ようやく前日には「これならフルマラソンを走れるだろう」くらいに疲れは回復して、よし!と気を入れ直したのです。暑さにも慣れてきて、大丈夫、と身体が元気を主張するくらいに。

しかし、ゼッケンを受け取りに行って、ウキウキとウエアにピンで取り付けながら気持ちが盛り上がっている時、家人から「なんか具合が悪い…」の声。風邪から肺炎気味になっていたのですが、いよいよ熱が出てきたようです。夜が深まるに連れて熱は高くなり、一時は瞬間的に39度に到達。トイレにも起き上がれないほどフラフラでした。

夕方から危なっかしいなあ…とドキドキしていたのですが、うなされて、一番辛そうにしていた夜10時からの2時間をベッド脇で見守る中で、静かに、マラソン出場を諦めることを決めました。1時過ぎには、熱が少し下がってきて峠は越えた感が見えたとはいえ、マラソンに出るのであれば、遅くとも3時半には起きて支度をしなくてはなりません。

2時間睡眠で、心身がこんな疲れきってしまった状態で、猛暑のマラソン走っていいものか…?

しかも、戻りは昼。そんなに長く不在にしていて大丈夫なのか…?。

ま、両方共、答えは明白だったので、あっさり決められたわけなんですけど、朝起きてみたら、すっかり熱も下がっいて、彼も昨夜のことは覚えておらず。「あれ、マラソンは?」とケロッと聞かれて、思わず笑っちゃいました(笑)。

しょうがないので、テレビでマラソンの生中継見ながら、トップ選手のスピードに感嘆したり、暑い中で頑張ってる市民ランナーを心の中で応援しながら、熱くなっていました。

次に出られそうなボストン・マラソン出場資格を得られる大会って何だろう、と調べたら、5月3日(日)のOCマラソンでした。2月に出たサーフ・シティハーフマラソンのコースに隣接したエリアで、比較的フラットで、LAマラソンよりは走りやすい条件です。

今まで、LAマラソンとあまりに近いことから、一度も出場を検討したことがなかったのですが、いやあ、これはチャンス、チャンス。

その前にも、前から出たかった「ハリウッド・ハーフマラソン」があります。ハーフですが、これもLAマラソンと近いことから、出場したことがなかった大会。せっかくだから、これも出ちゃおう。

あれ、なんか楽しいぞ~。

とかやっていたら、あっという間に気分が少し上向きました。

予想外のことが起きた時に、どんな対応をするかで、何となく素の自分って出てしまいますよね。

望み通りの成り行きや結果にならないことも、人生の中では多々あるものです。

そこでくさったり、人にあたったり、マイナス効果が著しい行動を選択してしまったりすると、再び元のコースに戻ってくるまでに時間がかかります。ここは、ぐっと踏ん張りどころです。

稲盛和夫氏の経営塾で教わる言葉に「感性的な悩みをしない」というものがあるのですが、くよくよしたってはじまらないことで気を揉んで、時間を無駄にしても、まったく意味がありません。

「この状況をどう前向きに解決できるものか?」

「ここから学べることは何か?」

そうやって、ある意味、淡々と、ある意味、機械的に、状況を好転させることに、時間とエネルギーを集中させていれば良いのではないでしょうか。

 

「ま、いっか」

「しょうがないもんね」

「次があるし」

「他の選択もいっぱいあるし」

「何か大事なものを失ったわけでもないし」

「かえって、こんなことにもつながったし」

そんな風な、切り替え言葉をいくつも持っていると、簡単に気分を転換させることができるようになります。

やや難易度は上がりますが、そこからさらに、状況をおもしろがる、という技をマスターすることができたら、人生に怖いものはなくなっていきます。

「そうか、(今度は)そう来たか」

そうやってニタ~っと笑えば良いのです。神様は(宇宙は、でも何でもOK)、こんなにクリエイティブに自分を楽しませてくれる。面白いなあ~と感動することができたら、どんなトラブルも、すでに解決に向かい始めたも同然です。

前職でも、幹部たちといつもこの言葉を口にしながら、苦境に見える場面を楽しく乗り越えてきました。

乗り越えても、乗り越えても、また次から次へとやってくる波のような無理難題。でも、いいんです。また「ほう、次はこう来たか」と笑いながら、予想だにしなかったチャレンジをゲームのように解いては、皆で成長の機会を楽しんでいました。

瞬間、落ち込むことはあるでしょう。怒りにわなわな震えることもある。プライドがずたずたに傷つけられて、どうしようもなく惨めな気持ちになる時もあるかもしれない。

何をしようとしても、お腹の底から気合いが入らないかもしれません。

でも、そんな自分を責める必要もなく、大らかに受け入れて、ほんの少しでも前を向こうとしている自分をほめてあげれば良いのだと思います。

さて、次に来る無理難題は、いったい何でしょう?(笑) それが何だとしても、予想がつかない人生の方が、生きてて楽しいし、人を鍛えてくれますよね。

さ、次、次!