心に溜めている怒りの本当の相手は誰? 湧き出る怒りを鎮める方法

なぜこんなことで怒るのか?と思う人の裏側

怒りっぽい人って、います。

キレやすい人って、ほんとにイヤですよね。

こちらが全然、悪気もないし、当たり前の反応をしただけのときでも、

何かがその人の心のトリガーに触れて、

怒りの爆発を呼んでしまうことって、あります。

私もセッションしていて、なんだかこの人、

いちいち、突っかかるように話すな〜、とか感じることがある。

こちらの言葉に、過剰反応したり、否定したり、態度を固くしたり。

どう考えても、その場面で、その言葉で、怒りが誘発されるはずがない、

という場面で怒りが出る場合、それは

過去の記憶が呼び起こされて、

その記憶の対象者に対して、怒りを表現していたりするんです。

目の前の人が問題なのではない

例えば、子どもの頃の、親、とか。

先生、とか、自分を見下した同級生とか。

自分をひどい言葉でののしった恋人とか、

尊厳を踏みにじるようなことをした上司、とか。

そのときに、うまく出口を見いだせなかった感情の塊が、

ずーっとくすぶって、マグマのように圧縮された熱いエネルギーとなる。

ふだんは意識しないのに、何かの言葉がトリガーとなって、

マグマを隠した高圧炉のフタがぱこんと開いてしまうと、

激しい怒りの衝動が噴射して、自分でも抑えきれなくなります。

目の前の人が問題ではないのです。

自分でも、なんでこんなに怒りが呼び起こされるのか、わからない。

はるか昔の出来事が、まさか悪さをしているなんて、とても想像できないものです。

怒りは心のSOS、かもしれない

怒りのエネルギーを浴びた人は、傷つき、恐れ、

ときに、そんな状態にさせて自分を責めて罪悪感にさいなまれたりしますが、

たいていの場合、「関係ない」んですよね。

自分を大切にしてくれなかった。
自分を見下した。
自分を馬鹿にした。
自分を軽く扱った。
人間としてリスペクトしてくれなかった。
いわれのないことで責められた。

ひどいじゃないか!

怒りの中に込められたメッセージを翻訳するなら、そうなります。あるいは、

私をもっと大切にしてよ!

ってことかもしれませんね。

結局のところ、それは悲鳴に近い、心の奥底からのSOSでもあるのです。

だからといって、怒りを正当化することはできないけれど、

とばっちり受けた自分が、罪悪感なんか感じることない。

怒りの裏側にあるメカニズムを知って解明

最初に働いた会社のオーナーが、そんな風に「癇癪」を撒き散らす人でした。

彼は彼なりに、とっても多くのコンプレックスをかかえていたのかもしれませんが、

え、この言葉が引き金?と驚くほどに、まったく意外なところでブチ切れて、

血管、キレますよ…と心配するほどに、ウチから溢れる怒りのエネルギーで

真っ赤になって震えていたのを覚えています。

社員は心の中で「またかよ…」とうんざりするものの、

でも、そういうエネルギーが充満する空間にいるのは、やっぱり怖くて、

ひとり、またひとりと、次々に社員が辞めていったのでした。

程度の差はありますが、人は誰もが似たようなメカニズムで感情を隠したり、

爆発させたりしています。

自分が怒りにとらわれたとき、それが何に「紐付いているのか」を考えてみると、

今、目の前の人との問題ではなかったことに気がつけることも多いです。

「怒り」という感情が悪いわけではありません。

感情に良いも悪いもないので、そこは否定してはいけない。

大切なのは、その裏に隠れているメカニズムを知ること。

それを紐解くと、苦しいイライラや、腹立ちから「自分が」解放される。

すると、人も傷つけずに、怖がらせずに済む。

すると、自分がカウンターアタック受けて、さらに傷つかずにもいられるのです。

それが一番、大事ですよね。

実家で母を猛烈に怒らせた体験にワナワナ震える

5年前、実家で長い時間を過ごしたときに、

え?と思うことで母を猛烈に怒らせ、その怒りを浴びたことで自分が怒り。

抑えきれない怒りに、ふたりして震えてしまった体験です。

いやあ、今読み返しても、思い出してワナワナします(苦笑)。


親との関わりは、いつまでも心が試される修行