人間関係苦手な人が間違って覚えている人との距離の取り方

人との関係づくりが苦手、という人に多いのは、

ゼロか100か、という2択でしか人間関係を見ていなかったりするところ。

その中間の、1から99まで、

あるいは、1と2の中間の数字にならない空間まで含めると、

距離の置き方の選択は、無限にあるのです。

そんなことは、前にもここに書いていたりしますが、

友だちはいなくてはいけないもの?

人は、ついたり、離れたり。

疎遠になったり、近くなったり。

縦横無尽に、会いたいときに会えばいいと思っています。

困ったときに、声をかけてくれたとか、くれなかったとか、

身近な人の不幸に、お悔やみをくれたとか、くれなかったとか、

そういうことで揉めてるアメリカ人の様子、

テレビのリアリティ番組でもすっごく頻繁に見かけます。

だから、義理、とか、恩返し的な人間関係のマナーって世界共通にあったりするのでしょう。

でも、やっぱり、

皆、人に期待しすぎなんじゃない?

そう、思ったりもする自分は、冷めすぎでしょうか。

友だちづきあいって、こういうもの。

こうでなくてはいけないもの。

こうあるべきもの。

そんな「決まり」が自分の中にある人ほど、人間関係で苦しんでしまうようです。

自分が人を裁いているから、人も自分を裁いているのではないかと不安になって、気ばかり使って、消耗して。

ある日、面倒になって、バサッと切ってしまったり。

人との関係だけではないけれど、もう少し、自由な距離感でものごととつきあえたなら、生きる足取りも、幾分、軽やかになっていくのではないでしょうか。

こんなところでも、「自分ファースト」で、気楽に生きれたら…

人も自分もリスペクトするからこそ、フレキシブルな距離のとり方が、かえって心地よい。

それこそが、大人な人間関係のあり方ではないんだろうか、と思いたい。

そうやって、真摯に自分と向き合い、人と向き合い、

一歩ずつ、未来に向けて自分改革しているクライアントのブログに、

また、泣かされちゃいました(涙笑)。

お世話になった方とのお別れ