皆、私のことをわかってくれない。
そんな風に「被害者」になってしまっているとき、
人から誤解されている、
人は自分をこう決めつけている、
そう感じることが多くなるようです。
じゃあ、その人が、他の人のことを正しく理解しているかというと、
それがまた人間を全然、見れていなくて、
ギャグのように、誤解してばかりだったりする。
世は鏡の法則、と言いますが、
それって面白いように、真実みたいなんですよね。
NLPの原則のひとつに、こんな言葉があります。
「地図は、領土ではない」
なんのこっちゃ〜という謎掛けみたいな言葉ではありますが、
思いっきり詳細を省いて簡略化すると、その真意は、
「現実は、人の数だけある」
ということになります。
人は、自分の意識を通して、その現実を見ていて、
人の数だけ違った違うフィルター種類が存在するので、
つまり、同じ現実というのは、存在しない、ということなのです。
だから、究極的に言うと、
「誤解」なんてものが存在する、という事自体が、
「誤解」だってことになるわけですね。
ん、複雑すぎ?(苦笑)
そもそも、わかり合えるってことが、奇跡なんです。
だからこそ我々は、
「誤解は常にある」という前提で
言葉を尽くし、時間を尽くし、誠意を尽くし、
人と分かり合うために、
心を尽くさねばならなかったりするのです。
でないと、真の意味で、会話は成り立ちません。
一回言って通じないって?
そんなことで、ひるんでるアナタが甘っちょろいのです(笑)。
何度も、何度も、手を変え品を変え、
わかるまで言うんです。
皆、心の中に子どもの自分が住んでいて、
幼い頃に「わかってもらえなくて傷ついたこと」や、
「決めつけられて悲しかったこと」
日の当たらない場所で、じゅくじゅく膿を持っていたりします。
潜在意識の奥深くにある記憶が、勝手に今と結びついて、
ああ、また誤解された、
ああ、心が通わなかった、と、勝手に傷ついてしまったりする。
そのメカニズムを大人の自分が意識することはないので、
さも「当たり前」と思ってしまい、まんまと被害者になる、という構図。
25年一緒にいるパートナーとも、
日々、誤解だらけで、揉めています(笑)。
常に、どっちも「被害者」です(笑)。
彼の口癖は、
I’m always a bad guy, right?
どうせ俺がいつも悪者なんだろ?
へ? そんなこと、一度も言ったことないし、
ただただ、わかり合いたい、その一心だけなのに、
そう非難された遠い記憶が彼のどこかに刻まれているらしく、
事あるごとに出てきて笑えます(笑)。
軽い揉め事が多いけれど、軽い内に処理しとかなかったことは、
積もり積もって、時折、爆発してみたりもしています。
そのたびに、互いに思うのです。
人と人とが、本当に理解しあえるってことは、ないよね、と。
育った文化背景の違いによる誤解も、山ほどあります。
だから、とにかく丁寧に、言葉を尽くす。
それは、ときに告白の形を取ったり、非難の形を取ったり、
嫌味や、ぼやきや、皮肉や、無視、なんて形を取ることもあるけれど、
どんな形でいいから、諦めずに表現し続けていると、
多少の痛みを伴ったとしても、通じ会える瞬間が来るもののようです。
え、なーんだ、そういうことを言いたかったの?
え、なーんだ、そんなことで苦しんでたの?
早く言えよ。
そう思って、互いに笑う。
家のこと、庭いじりのこと、犬のこと、運転の癖のこと。
どうでもいいことで、私たちはよーくキリキリしています。
するたびに、距離が離れたり、縮まるのではなく、
関係の「深さ」が深まっている気がする今日この頃です。
思い込みや決めつけは、人間関係を損ねる最大の要因かもですね。
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