虐待・モラハラについて。まずは知識を身につけて自分の「鎧」にする

クライアントさんとの信頼関係が深まってきた頃に、不意に出てきたりするのが、「虐待」についての告白です。

ご主人のことだったり、親のことだったり。

暴力が伴うものもあったり、言葉だけのものもあったり、性的なものだったり、態度すべてがハラスメントになっていたり…

たぶん、全部はきっと言ってないのだろうけれども、それでも聞くに耐えない事例の数々。

虐待の加害者は、弱いポイントを見抜く天才と化して、痛いところを突くんですよね。

虐待。アメリカの常識

アメリカでは子どもや女性の人権についての認識や対策が進み、虐待が早くから「犯罪」の領域に置かれたりして隣人の目も厳しく光り、危険をすぐに察知してシェルターに逃げ込んだりできる仕組みもあります。

ドラマや、ドキュメンタリーでも、テーマによく取り上げられるので、相当、ケース例も多いんだろうな、というのもわかります。

その原因にも研究が行き届いているし、その結果、どうなるか、ということも明らかにされてきているし、それをどう克服していくか、ということの選択肢も豊富に用意されている。

自己啓発やセルフケア、スピリチュアルなヒーリング手段の発達や普及は、こういう背景もあるのかもしれません。

日本語の訳「虐待」が誤解を生んでいる?

なぜ、日本では事例が少ないのか?という議論がありますが、それはきっと「解釈」が違うからなのだろう、という説明が、ある本の中でありました。

虐待という日本語の元になっている英語の「Abuse」とは、ab=適正範囲を超えた + use=使用、ということで、日本語にすると、濫用がより近いんですね。

何の濫用かというと、権力や立場や、あるいはしつけや教育や支配欲や心配や恐怖。

虐待、というと、どうしても乱暴を働く、という意味合いが強くなり、言葉や、性交を伴わないいたずらなどまで及ばない可能性が高い。

だから、被害者であっても、関係者であっても、そうと認識せずに、実際にはケースが多いにもかかわらず、日が当たらない状態になっているのではないか、と。

このくらい我慢しないといけない…?

生活情報誌の編集局長時代に、何度かDVやら離婚やらの特集はしてきたので、そのたびに多少は触れてきました。

だから、すでに暴力がある場合「とにかく逃げろ」とは言えますが、皆さん、警告しても意外に行動できないでいるんですよね。

もちろん、事情は人それぞれ。まさに、ケース・バイ・ケース。

だけど、共通のパターンは見え隠れします。

殴る、蹴る、モノを投げてくる、などの直接的暴力があると、まだわかりやすいのですが、モノを壊す、捨てる、などという行為もあれば、とにかく汚く罵る、罵倒する、侮辱する、貶める、言葉で辱める、などのモラル・ハラスメントの領域になると、「これって、DVの一種…?」と気づかないことも多いようです。

「私が悪いのだから…」と被害者なのに、加害者にされてしまう場合もあり、言葉の暴力は、手や足の暴力よりも深く残ることだってありますし、気づいて行動を起こしにくい性質上、長期にわたる場合も多く、よりやっかいなようです。

知識を身に着けて「武装せよ」

この機会に、あらためていくつか本を読んでみました。

関連図書の中でも、本当にごく一部ではありますが、いずれも、この仕事をしながら、人の「心」と向き合う私にとっては重要な本でした。

コーチングって、ビジネスの側面で使われるケースがまだまだ多いかもしれないので、それが、時に心理カウンセリング、セラピー的要素も伴うものだと知る人は、あまりいないようです。

が、名前はなんでも、「心」「潜在意識」と向き合う必要があるという点で、ルーツは同じです。

心理学や、心理カウンセリングの基礎があるかないかで、コーチの力が及ぶ範囲もずいぶんと変わるかと思います。

その点、NLPは、マスタープラクティショナーになるためのトレーニングを通じて、一貫して潜在意識を向き合っていくので、心と向き合うコーチングには最適のバックグラウンドのひとつでしょう。

以下、悩んでいる方にとって、参考になる書籍をいくつかご紹介いたします。

知識は武器です。まずは、自分を武装して、自分の身を守る術を身につけましょう。

「DV~殴らずにはいられない男たち

通常、DVの問題というと、被害者の方からの話しが多いのですが、これは、男性ライターによる、殴る側の男性への取材を元にした一冊です。

紹介されるケース、それぞれがリアルで、きちんと奥様側にも取材をされていて、そのままのリアルなドラマが伝わり、胸が苦しくなります。

男性に、暴力を奮っている意識がないケースもあります。

とにかく、向こうが悪いのだから、仕方がない、と言う典型的な加害者ケースもあります。

でも、共通して見えるのは、加害者も、かつては「被害者」だった、という事実。

その被害が、連鎖となって繰り返されているだけだったりするのです。

だからと言って、罪がない、ということではありません。

が、誰かが、どこかで止めなければ、この連鎖は延々と続きます。

犠牲になっている人が、反対側からものを見ることで、違う側面が見えてくるかもしれない、という意味で、おすすめの一冊です。

「とにかく今は離れないといけないのだな」ということがわかるだけでも収穫です。

「家庭モラル・ハラスメント」

手や足で殴る、蹴る、ではなく、密室で行われる言葉の暴力、態度の暴力は、他人に伝えにくいがゆえに、より深刻さを増してしまうこともあるようです。

「夫婦喧嘩は犬も食わない」と、痴話げんかでしょ、と言われたり、そんなことくらいで…と辛抱のなさを逆に責められたり。

専門家、と思われる心理カウンセラーやマリッジ・カウンセラーや弁護士やらを訪ねてみても、いっこうに埒があかない。

そんな状態で、何十年も…

というケースを経て、「モラル・ハラスメント」という言葉に出会い、「私のケースには、ちゃんと名前があった…」と初めて、解決の糸口が見えた著者。

素晴らしい文章力で、切々と被害の様子が描かれるので、まるで小説世界にでも入り込んだかのように、こちらまで苦しくなります。

いかに周りが助けにならなかったか。

いかに日本の離婚調停が時代錯誤で、遅れたものか。

じゃあ、どうしたらいいのか。

豹変して切れまくる夫を、単なる癇癪持ち、ヒステリー、という風に考えていると、それはどんどんエスカレートして、取り返しの付かないことにもなっていきます。

思い当たる方は、ぜひ一読を。

「毒になる親」

毒親の元祖的なアメリカの本ではありますが、とても読みやすく、またしても身につまされるリアルなストーリーがたくさん織り交ぜられつつ、解説しています。

こちらは、直接、虐待に焦点を当てているのではなく、あくまでも「親と子」の関係の中から、親がどう子の「心」に残る悪影響を与えているか、というメカニズムが解説された本です。

DVは連鎖する、と前記したように、発端の多くは、親なのです。

で、親も、その親に影響を受けて、そうなっている。

我々の中に、どうしようもなく残る「劣等感」とか、「自信のなさ」とか、「無力感」とか、「承認欲求」とか。

それらが、どこから来ているのか、これを読むとよくわかります。

そして、それが、「特別、気にしなくても良いことなのだ」と気づけて、過去の呪縛から、プツッと糸を切ることができたら、ふわ~っと上空に軽く上がっていけるでしょう。

まあ、子供の頃に培われた「心のプログラム」は、そう簡単には書き換えがきかないのですが、でも、できないわけではありません。

「キレる私をやめたい ~夫をグーで殴る妻をやめるまで~」

こちらは、実は女性、奥様の例で、自分が夫を殴ってしまうのをやめたい、と願い、そのために努力をしていく実話です。

マンガなので、とてもわかりやすく、苦しくならずに読むことは可能です。

この一冊、実は、その前に自分の母親のことを書いた一冊があって、それを読んでから、こちらを読むと、より良いかもしれません。

これを読むと、ああ、母が自分にしたことが影響となって、そのまんま夫にしてしまっている、それも、コントロールがとっても難しく、自分でもやめたいのに、やめられない。

その苦しさが、鮮烈に伝わります。

そして、実は、この「キレる私」が画期的なのは、主人公が、解決を求めて動き回り、実際に「解決される」ことです。

その最後が、とてもすがすがしく、救いがあり、連鎖が断ち切れたことへ、思わずホッとします。

「子どものトラウマ」

児童虐待に関しては、日本でも残虐な事例がニュースになることが多く、意識も高まっているとは思います。

が、前述したように、虐待とは、立場や権利の「濫用」のこと。

日常的に、会話の中で普通に行われてしまっていることだったりもします。

「あなたのために言ってるのよ」

「あなたを心配してるからなのよ」

というような言葉でがんじがらめにされて、子どもの心は歪んでいきます。

こちらも骨太のボリュームある本ですが、読みやすく、暴力的なことから、モラル・ハラスメント、性的虐待にいたるまでが網羅されています。

そして、トラウマを抱えた子どもが、その後、どうなっていくのかが、詳しく説明されていて、参考になります。

子ども時代のトラウマを癒すのは、3つのR。

Re-experience(再体験)、Release(解放)、そしてReintegrate(再統合)。

まずは、虐待があった、濫用があった、ということを認知して、言葉にする、人に話す。

そのことが、凍りついたまま冷凍保存されている心の傷を癒やす、第一歩になるのです。