変えられるもの、変えるべきものを変えていくための勇気を今、僕は持ちたい

日本語訳(翻訳者:大木英夫) Wikipedia「ニーバーの祈り」より

神よ

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

僕が最初にこの言葉を知ったのは、宇多田ヒカルさんの歌「Wait & See」だった。

♫変えられないものを受け入れる力。そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ♫

この歌の言葉いいねと思ったら、それは出典があるんだと何かの記事に書かれていて、辿って行ったらニーバーの祈り(英語では、The Serenity Prayer)のことだと知った。2000年の初めのことだ。

この言葉はアメリカでは良く知られている。その理由は、アルコール中毒から立ち直るための更生支援グループであるAA(Alcholic Anoymous)が提供する12ステッププログラムに含まれているからだという。英語の方は、その続きがある。セットにして考えると、抽象性が若干和らいで、確かに悩み苦しんで指針を求めている人にとって、重要な意味合いを持つのも理解できるようになる。

God grant me the serenity to accept the things I cannot change; courage to change the things I can; and wisdom to know the difference.

Living one day at a time; Enjoying one moment at a time; Accepting hardships as the pathway to peace; Taking, as He did, this sinful world as it is, not as I would have it; Trusting that He will make all things right if I surrender to His Will; That I may be reasonably happy in this life and supremely happy with Him Forever in the next. Amen.

Serenityとは、和訳だと「落ち着き」「冷静さ」としている場合が多いようだが、平静で安らかな心の状態だと理解して良いと思う。ザワザワと落ち着かない邪念の混ざったものではなく、深く澄んで波の立たない、鏡のような湖の水面を思い浮かべればいい。

Courageは、ニーバーのオリジナルを辿って行くと若干言葉が違うようで、「The things which should be changed(変えるべきこと)」を変える勇気となっている。「べき」だから、そこには使命感があり、理由、目的がある。変えられることは変えていこうでは若干、弱すぎる。本来はもう少し決意に満ちた力強い意味合いなのだ。

Wisdomは、賢さ、聡明さ。表面的な様相に惑わされず鋭く本質を見極め、変えるべきことと、変えられないから受け入れて前に進むしかないこととを見定める力のこと。

しかし、時に僕らは、変えられるはずのものを疑わずに受け入れ、変えられないものを認められずに葛藤してしまう。心の奥底では変えるべきだと分かっているのに、恐怖心や怠け心のせいで身動きできず、その言い訳として変えられない、と信じ込もうとする。あるいは早々に降伏してしまったりもする。

とても意味が深いと感じる後半部分の出だし部分を意訳するとこんな感じだろうか。

先を急がずに一日一日をじっくりと生き、瞬間瞬間を味わい尽くし、どんな苦しみをも心の平安へと続く通過点だと受け入れよ。

ともすれば、成功への道を焦り過ぎたり、日々の些細な障壁に幻滅したり、僕らはそうやってまた「諦めの世界」へと戻りがちだ。アルコールやドラッグの中毒で苦しんだ人々が、また元へ戻ってしまうのも、そのプロセスの長さと変化の遅さに耐えられなくなるからで、だからこそ、このパッセージが重要なのだろう。

それは中毒に悩んでいない人であっても同じことだ。変えられることを見極め(それはたいてい自分の心のあり方だけれど)、変えるべきものをしっかりと捉え、できることをひとつずつやっていこう。