プールの監視員をしていた20歳の夏休み。思い出が刻まれた松田聖子と大滝詠一と

松田聖子パイナップル

日本は昨日、海の日だったんですね。3連休がたくさんある日本、うらやましいです。って、フリーには何の関係もないことになってしまいましたが…。

僕が日本を出た20年前には海の日というのがなかったのですが、その翌年1995年に制定され、それがハッピーマンデー法で第3月曜になったとWikipediaに書いてありました。夏休みの最初の日のイメージ。短いニッポンの夏が始まるオフィシャルデーですね。

「海の日」「夏休み」という言葉を聞いて僕がふと思い出すのは、1982年、大学2年、20歳の夏休み。

うちから自転車で5分のところに「稲毛海浜公園プール」というスライダーとかがある千葉市が運営する施設があって、20歳の夏休みにそこで監視員風なアルバイトをさせていただきました。時給500円で1日4000円くらいのものだったように記憶しています。ひと月半、働いて10万円とかそんなもの。

千葉市が運営する公営施設なので、まあしょうがない。自転車でひょいっと通える場所だし、暇だし、何よりプールとか大好きだったので、そこに行くだけでウキウキできちゃうんですよね。お金は別にどうでも良かったのです。

面接や泳ぎのテストやらで選ばれた面々が、監視員やらプール施設の運営担当として採用されました。泳げない人は事務方のバイトでチケット販売や売店の方の担当。僕は監視員というか、最も人数が多く華やかなプール施設の担当をさせていただきました。人口波のプールで「始まるよ~」とか注意事項とかをアナウンスしたり、スライダーの順番の管理をしたり、流れるプールで危ないことしている人を注意したり、アクセサリーやシャツのまま入ろうとする人を止めたり。

毎日真っ黒になりながら、連日満員のプールを仕事場として、充実した夏休みでした。休憩時間の控室では、20歳前後の男女が開放感たっぷりで弾けた会話を展開。Good lookingな男女が多かったし、皆、日焼けして野性的で精悍に見えたし、家は皆、近所だし(関係ないか・笑)、後で聞いたら、僕の知らないところで、いろんなドラマがあったようでした。

今思うと、よくまあこんな自分が超団体行動とも言えることができたなあ、と大いに感心します。不思議とそこに関して苦痛は感じず、チームワークが必要とされる仕事の場だし、きちんと役割が決まっていたから、誰とでも自然に仲良くなれていましたね。嫌な感じの子は本当にいなかった。皆、純粋だったし、明るくて素直だったなあ。

大人数の打ち上げでカラオケを歌ったり(同じチームの男子と「待つわ」を歌った記憶がフラッシュバック・赤面)、9月になってバイトが終わってから、仲良かったグループで鎌倉に遊びに行ったりもしたのも良い思い出です。

大学時代を総合的に見ると、とても暗く、迷いと不安と、ちょっとした絶望に満ちた時代としてしか思い出せなかったのですが、こんなキラっとした瞬間もちゃんとあったんだと記憶を改定することができて良かったです。なんだ、実は楽しいこともいっぱいあったじゃんと。

1982年、はたちの夏。僕らが休憩室で一緒に聞いていたのは、松田聖子さんの「Pineapple」(写真上)と、先日他界された大滝詠一さんの「A Long Vacation」。思い返すと胸がキュンっとしてきます。

A Long Vacation