私が中学3年でピアノをやめた理由 ♪もしも、今ピアノが弾けたなら♪

Facebookで友人がシェアしていたビデオが衝撃で、

なんだか「またやりたいこと」リストに、

ピアノ、が加わった気がします。

このビデオ、感動ですよ。
↓ 

ピアノなど弾いたこともない男性が、

カンパネラという難しい名曲が気にいって、

独学で素晴らしい演奏ができるようになった、というお話。

サムネイル画像見て、かなり先輩の方のお話?と思ったら、

58歳、同い年でした(失礼)。

でも、この方の演奏見ていたら、自分もまだまだ

やり残したことだらけだな、と思い出すのですよね。

私は、幼稚園の頃、近所の子たちと一緒に

オルガン教室に通い始めたのですが、

皆が次々、脱落する中で、母親が先生からなんか

言われたらしいのです。

「ハジメさんは才能あるから、ぜひピアノに進ませてあげてください」と。

いやあ、単に生徒勧誘のうまい手法なんだと思うのですが(笑)、

母親は舞い上がってしまって、まんまと、乗っかっちゃいました。

たいしたお金もないくせに、3畳しかない子供部屋にやっと収まる

アップライトピアノを購入。

今、ふと思ったら、もしかしたら、父親を巻き込むためのうまい作り話として、

「才能ある」を使ったのかも…とも思ったり。

きっと、子供にピアノを習わせる、は、母の夢、でもあったのだるうから。

それからは、毎日のようにピアノの練習を日課とする日々でした。

小学生の頃は、コンクールや発表会にも出たりして、

男の子ではまだ珍しかったりもしたのですけど、

良い子でしたので(笑)言われるままに参加していました。

高学年になってくると、少し「他のできる子」を

意識したりするようになり、そのせいなのか、

ある発表会の演奏中、途中ですべてが飛んでしまったのです。

静まり返る会場。

思い出そうにも、そういうときは、まったく出てこない。

はじめから演奏する、という考えも出てこず、指は固まるばかり。

見かねた係の方が、楽譜を持って出てきて、

それを見ながら、なんとか終えた、って感じですが、問題はその後。

帰り道で母親が

「あー、もうこんな思いするのは耐えられないわ、

もう発表会は終わりにしましょ」

みたいなことを、投げやりに言ったのです。

私は別に自分が出たいから出ていたわけじゃないので、

その後、実際に一切、出ることはなかったのですが、

よっぽど恥ずかしいことだったんだな、と

自分の犯した失敗の重さが、ズシンと残ったのは事実です。

そもそも母は鉄壁の心配症ですし、不安症ですし、完璧症でしたしね(笑)。

ステージで恥ずかしい、とは思ってなかったけど、後から母の反応を見て、

大きな挫折感、屈辱感、そして、母親に恥をかかせた在悪感とで、

なんだか、いっぱいいっぱいになっちゃったかもしれません。

リアルな感情としては、全然、覚えてないですけどね。

その後は一切、コンクールも発表会も、出ることはなくなりました。

しかし、となると、途端に続けるモチベーションもなくなってしまったのです。

途中で引っ越ししたときも、新しい先生を見つけて継続したのですが、

熱も入ってないし、挫折感を背負っているし、

全然、「楽しくなかった」

自分のためにやっていなかったから、というのが大きな理由でしょう。

中3の秋だったか、受験勉強に入る時、それを口実に止めさえてもらうことになりました。

しかし、勝手なもので、もう来月で最後、というレッスンを前にして、

なんだか急に名残惜しくなってきて、練習に気持ちが入り始めました。

すると不思議なことに、途端に楽しさを感じられるようになってきたのです。

音と一体になって、メロディを奏で、指が自在に動き、それに伴って感情までが揺れ動く感覚。

あら、これ、面白いんじゃない…?

なんだ、結局、オルガンやピアノを10年近く続けてこられたのは、

自分が本当は音楽が好きだったからじゃん、と気づいた瞬間でした。

やめることになったときに、好きだった、と気づく皮肉な結末ではあったのですが、

実は心のどこかで、

「男の子がピアノをやっていることへの世間の目」

が、気まずかったってのもあったな、と今は思います。

ゲイであることがばれたくない、という潜在的な恐怖心、という感じですね。

そして、その後は、一回も触れることなく、ピアノは他の人の手に渡りました。

なぜかわからないけれど、その後も、ピアノ関係の知り合いや友人が

結構増えて、クライアントとしても、数名いたりして、

不思議な感じです。

自分とピアノ。

夢と親と、失敗と気の持ち方と、

そんなことをたくさん思い出しちゃった、サガテレビの映像でした。

でも、これもまた、「いつか」と思ってるうちは、

ずっと来ないで終わるかもね。

夢にはちゃんと日付を入れないとな。

いつかやろう、の「いつか」は
永遠にやって来ないという残念な真実