5年後の未来なんて描けるわけがない

セミナーやワークショップでは、5年後、10年後の未来のことを妄想してみよう、ということを、とあるツールを使って、やったりするのですが、アタマが真っ白で何も書けません〜(涙)という方が、続出します。

何を隠そう、私もそのひとり(爆)。

いや、もちろん、それは12年前に、初めてライフコーチングを受けたときの話です。

未来が信じられずにいた12年前

2007年から、100年分もある表を渡されて、仕事や、お金や、人間関係や、パートナーシップや、健康や、資産や、何やら、20個もある項目別に、未来を妄想しろと言われて、頭の中を探るのだけれど、そこにあるのは、寂寞とした空間のみ。

そのときまでの自分は、たぶんゲームをプレイするかのように、出てくる敵と戦い、落ちてくるボールを拾い集め、次々と現れる障壁を乗り越え、武器を身に着け、自分を鎧で覆い、いつでも高く飛べるようにと、自分に力をつけることだけに夢中になっていたのでしょう。

人生は、闘い以外のなにものでもなく、日々、起こるできごとに「対処する」ことが、生きることと同義語だった。

未来を自分の手でデザインする?

望めば叶う?

現実は、引き寄せられる?

ケッ!(嘲笑)

って感じの、冷めた自分がいたなあと思い出します(汗)。

コーチに突き放されて、初めて気づく

表面では、はいはい、と言いながら、裏では全然、信用しておらず、コーチの言うことを何もやろうともしない、世話の焼けるクライアントで(笑)、一度、膝をつめて話をされたことがあります。

「で、君はいったい、私に何をしてほしいの? 何を望んでいるんだい?」

What can I do for you?

「私はここにいるよ。

使うも、使わないも、君次第だよ。

そもそも、雇ったのは君だよね。

必要だと『何かが教えた』から、高いお金を払って、こんなことを始めたわけだ。

でも、自分がそこにコミットメントをしないのならば、何も変わらない。

君の人生を変えることができるのは、君だけなんだから」

だよね〜って、今なら思うのですが、当時は、そんな言葉にも、反発していました。

もっとなんかしてもらえると思っていたから。

もっと劇的で直接的で、瞬間的な変化を期待していたから。

マッサージを受けたら気持ちいい、みたいな、そんな即効性を求めていた。

でも、少し、イメージが違ったんでしょうね。

「とにかく、言われたことを、じっくりと考えてみてご覧」

そう言って、セッションがまた振り出しに戻りました。

そっか、やるのは自分か!

で、本当の意味で、やっと気づいたのです。

そっか、やるのは、自分か。

自分の人生なんだから当たり前なんだけれど、実は気づけていなかった。

いつまでも、いつまでも、

人に正解を教えてもらうことばかり期待して、知らずに受け身になっていた。

人生の決定権を自分の手に取り戻す。

そんな感覚を学んだときに、はじめて、コーチの言う意味が体感できるようになったのです。

本をいっぱい読んで、頭ではわかったようになっていることでも、自分でやるのは大違い、なんですよね(苦笑)。

だからね、今、できなくたって、心配しなくていいよってことが言いたかったのですが、長くなったので、また続きはいつか今度〜