クライアント向けには、メールサポート無制限、という特典をサービスしていて、
メッセンジャーだったり、ラインだったり、メールだったり、
いろんなツールから、時間関係なくメッセージが飛び込んできます。
その内容は、千差万別で、人それぞれで、その時々で。
何かの報告の場合もあれば、相談ごとだったり、コンサルさんみたいな質問事項だったり。
それから、何かブログやらメルマガやらの下書きのチェックを依頼されたり。
ときに深刻なチャットがエンドレスに1時間も続いたりすることはありますが、それも毎日じゃないので、負担になることはありません。
「無制限なんて言って、たくさん来たらどうするんですか?」
そう心配する同業の方とかもいらっしゃるのですが、いや、何でもいいから、とにかくコミュニケーションをはかってくれる人のほうが、
着実に考えているってことだし、何かしてるってことだし、試行錯誤して進んでいるので良いのです。
セッションとセッションの間で、一ヶ月も何も音沙汰なくて、気がついたら何も進展してなかった、
やると約束したことが、まるで進んでいなかった、なんてこともあるんですよね。
だから、何でもいいからコンタクトしてくれる方が、彼らが「どこにいるか」がわかって、こちらも安心です。
「え~、せっかくお金払って、利用しないなんて、もったいない」と外野はよく言うのですが(笑)、
できないには、できないなりの理由もあるものです。
だったら、途中でちゃんとSOSを出せればいいのですが、そこが曲者。
ハワイのクライアントが、この件について、リアルなブログ記事を書いていました。
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甘え下手は人を悲しませてしまう?
皆さん、会社の仕事で行き詰まって、上司に「できません」って言えたりしますか?
同僚に、「できないから手伝って」って頼めたりしますか?
人は意外にSOSを出すことを怖がってしまうものです。
人に迷惑かけるんじゃないか。
負担になって嫌われるんじゃないか。
頑張りが足りないと思われるんじゃないか。
いろんな「不安」が妄想となって渦巻いて、言葉を飲み込ませてしまうんですね。
もちろん過去の教育もあります。
「そのくらい、自分でやりなさい!」
ああ、何度、親から言われてきたことでしょう(涙)。
真面目な人ほど、この罠にはまりがち。
できる人だからこそ、はまってしまうのもあるかと思います。
私のがんばりが足りないからいけないんだ…。もっともっと、やらないと…
そうやって、勘違いして、ドMのがんばり教信者を育てる結果になるのがオチ。
そうじゃないんです。
人は、頼られると嬉しいんです。
承認欲求が満たされますしね。
相手の時間感覚とか、頼むときの最低限の作法とか、感謝の表現にさえ気をつけていれば、そこから先は相手の問題。
できないことなら、できないと言うでしょうし、Too muchならば、そう表現してくれるでしょう。
「しょうがないなあ~」なんて面倒くさそうに言いつつも、内心は違うことも多い。
わからないことはわからない、と言うだろうし、一度ボールを投げて、あとは相手に考えさせればいいわけです。
それができなくて負担に思うのは、向こうの問題であって、あちらが学ぶべきこと。
自分の問題と、相手の問題。
そこをゴッチャにすることで、人間関係を複雑に考え勝ちですが、シンプルに線引きすると楽になります。
大切なのは、相手の時間や労力へのリスペクトや、心のこもった感謝の表現を忘れないこと。
甘えベタ、頼りベタだと、まずは自分ひとりで何でも抱えてしまって、多くのインプット、多くの助けが得られないデメリットがある。
さらに、頼らないことで、頼れるはずの身近な人が、ちょっと寂しい気持ちになってしまったりもする。
二重に損しちゃいます。
頑張りすぎず、不安におちいらず。
フラットな気持ちで、人に甘え、甘えられ、という関係が築けたらいいですね。
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甘え下手は人を悲しませてしまう?