裁縫は女性的か?エマ・ストーンが試写会会場でスパイダーマンに噛み付いた件で考えさせられた

セクシズム、という言葉はアメリカで日常的に使われる。性差別主義、と日本語にするとずいぶんと大仰な響きになるけれど、英語での使い方は、もう少し軽い感じがする。

アメリカというと、レディーファーストとかいう習慣があって、男性が女性を立てて一歩引いていたりする印象があるかもしれない。確かにエチケットとしては定着していることなのだろうけれど、50年代や60年代の古い映画やTVで番組を偶然、見たりすると、そこでの夫婦の会話に驚くことが多い。

「お前はどうせ仕事のことなんて何もわからないんだから口出すな」

「お前には頭を使うことは無理だから、せいぜいきれいにしてくれればいいんだよ」

など、今の女性が聞いたらとんでもないことになりそうな言葉を平気で言っている。ドヒャーとこちらまで引いてしまうほど、アメリカもついこの間まで男尊女卑の社会だったようだ。

ウーマンリブ、という言葉を知る人は最近は少ないかもしれないが、アメリカで60年代後半に始まった女性解放運動のことだ。リブとは、Liberation(解放) の略。いかに女性の自由や可能性や権利が「閉ざされた」ものであったかがその言葉からも分かる。

日本でも70年代に伝わり、その後、男女雇用機会均等法の設営などにつながったと言う。

「裁縫の何が女性的なの?」

さて、「アメイジング・スパイダーマン2」が先週、世界各地で公開された。主演のアンドリュー・ガーフィールドやエマ・ストーンらが参加して、子どもたちを招いたPR試写会が行われた時のこと。とある子どもがアンドリューに「スパイダーマンのコスチュームはどこで手に入れたの?」と質問。

アンドリューは子どもにわかりやすいようにゆっくりと「彼は自分で作ったんだよ。針と意図でこうやって…。ちょっと女性的なことだけどね」というところで、エマ・ストーンがすかさず「どの辺が女性的なの?」と鋭くツッコミ。

意図はすぐに理解され、居合わせた大人は「Woo」とツッコミに反応。

アンドリューも、あ、これは差別主義と取られてるな、と思って、内心きっとどぎまぎしながらも、表には表さずに苦しい説明をした。一緒にステージにいたジェイミー・フォックスがあえて女性っぽい格好で茶々を入れて和やかに笑いを取って救われたが、アンドリューが言っていたように「気分を害するような受け取り方をされるとは興味深いね」という言葉が、実はほとんどの意識を代弁していたかもしれない。もし彼女が何も突っ込まなかったら、誰も何も思わなかったし、言わなかった可能性がひじょうに高い一件だ。

さて、いったい何が問題だったのか。

明らかに、アンドリュー君のコメントの背後には、蔑視はまったくないものの、「裁縫は女性がやること」という決め付けがあった。それはこれまでの世間的常識から言うと決してずれているわけではないし、このことで彼を差別主義と呼んでは可哀想だ。
が、世間には裁縫をする男性もたくさんいる。裁縫は女々しいもので、マッチョな男がやるべきことではないという世間的常識こそが変えられてしかるべきノームなのだ。それを新世代の人々が、疑わずに継承していることに対して、ビシッと仕切りを入れたのが、このシーンというわけだ。

このような古いステレオタイプが、無意識に「性差別」につながっている。男だから、女だから。男らしく、女らしく。誰がいつ決めたのかもわからない古い決め付けによって人は人を裁いている。

草食男子やリケジョ、美人なんたら、女性経営者など、メディアのタイトルに踊るヘッドラインだけを見ても、日本は性差別に無頓着な社会だということが分かる。まだ本当の意味のリブは始まったばかりだ。

アメリカも今もなお、男女の賃金格差や出世のしやすさなどで顕著な差が生まれている。ウーマンリブから50年過ぎた今もなお、LGBTを含むジェンダー問題は解決途上であり、人々はさまざまな立場のもとに権利を求めて日々闘っている。