不良のすすめ。マジメに不真面目になれ!

内気な反逆児

私は、ハジメ、という名前をもじって、小学校一年生の担任の先生に、「まじめ君」と呼ばれていたことがあります。

先生はどんな意味合いで言ったのかわかりませんが、あの頃の写真を見ると、確かにきちっとした服を来て、「ちゃんとして」見えたりはします。

厳し目な母に育てられ、そもそも内向的だから、一見おとなしくて、そういう風に見えたのかもしれませんが、中身はややハズレていました。

万引きはするわ(かなり常習=ばれてたけど)、執拗にスカートめくって反応見て喜ぶわ(小学生でセクハラ疑惑)。人が嫌がることを言っては、苦い顔にほのかな喜びを感じるダークな側面があったよな、と思い返します。

その後の時代もいろいろありましたが、皆が引くといけないのでこの辺で(苦笑)。とにかく、はたから見るよりは、はるかに内面は「反逆児」でした。

型にはめる社会から背を向ける

おとなしい素振りをして、読んではいけないとされる本を読み、考えてはいけないと言われることを夢に見て、進んだら危ないと言われる未来に惹かれていきました。

行動は抑止できても、心までは誰にも変えられない。壁を作り、その中で「自分らしさ」や「自分軸」を頑なに培養した思春期だったのかもしれません。

でも、だからこそ、日本の「型」に反発し、はまりたくなくて、自由がほしくて、結果やっぱり飛び出してきちゃったのでしょう。

今でも「マナー教育」的なものが、正直苦手で、グローバルな時代に通じない前時代的ものもあるし、人を窮屈な箱に入れるみたいで、意固地に逆をやりがちです。

形式の大事さはわかりますが、日本育ちの我々が呪われやすい、べき、こうしなきゃ、ちゃんと、みたいな「縛り」の象徴的存在に感じて、つい…

真面目とは生きる姿勢のこと

先日、新しいクライアントさんの姿勢や志の真っ直ぐさに「真面目だから大丈夫ですよ」なんて言ったら、先方は、え、私が真面目?と意外そうで、真面目ってそもそも何だ?という話になりました。

私のところに来られるお客様は、皆、真面目です。自らの成長を願い、高い場所を志し、埋もれた可能性を切り拓いていこうとする人は、真面目に決まってます。

ここで言うのは、「生きる姿勢」のことです。

でも、真面目さを勘違いして育った人たちも多い。大多数に従うことが真面目なんじゃない。規律なんて、マナーなんてどうでもいい。親に反発したって、別にいい。世間とずれても、「悪」じゃない。

「真面目」にはまった人は、その枠から出られずに苦しんでいます。そのために「自分が見えない」「好きがわからない」と悩んでいます。だから、今こそ不良になれ、と私は焚き付けます。

親がダメだと言ったこと。世間がダメだと決めてること。「損」だからよせ、と言われることこそを、あえて、やる。自分の規範から、あえて外れてワルになる=不良になる。

そのことで、ハッと目覚めて、本来の自分を知る手がかりになることもあるのです。

2018年のテーマとして、不良になる、不真面目にやる、ということを課してみてはいかがでしょうか?

言いたいことを我慢せず、ときにはわざとブチ切れる。そのくらいでちょうどいいことも多いはずです。