病や死とどう向き合うべきか。行き場のない気持ちのおさめ方

この夏は、父の三回忌がメインの理由で日本に行きました。

胃腸が弱くて、時折、ポリープの除去手術とかしていましたが、それ以外はいたって健康で、80過ぎても、太極拳の師範でクラスを教えたりもしていたり。

母親の方が、高血圧歴が長くて、糖尿気味で、乳がんまで患って、足もむくんで歩けなくなってきてて…

って、そんな時に、父親が突然ガン宣告を受けたものですから、家族共々、ちょっとあっけにとられた感じでした。

しかも、ステージ4の胃がんで喉やら肺やらに移転していて、手術もできず。

「あと、1年と思ってください」

海外から来てるので、はっきりとしたことが聞きたい、という私に、若い先生が答えてくれた
父の余命。

その年月の長さを父だけは具体的に知ることはなかったのですが、でも、なんと、ほぼ正確にその期間で亡くなりました。

家族は覚悟ができていたし、段階を踏んで、弱っていった感があるので、その都度、徐々に心の準備もできたと思います。

82歳と、年齢的にも、起こってもおかしくない年齢、ということもあったかもしれません。

日本に長期滞在もして見舞いに通ったので、数え切れないほど、何度も病院を訪ねましたが、やっぱり自分の「死」とか病(やまい)とかについて、深く考えさせられる体験でした。

情報が錯綜して、何が正解かもわからないし、治療のことで選択を迫られたって、こちらはド素人で何もわからない。

本人も驚いただろうけれど、家族もただ戸惑うばかりです。

家中、断捨離して、介護ベッドが入るスペースを無理に作って、淡々と、できることを進めるだけ。

家族の絆は、こうやって、また強くなっていくのだな、

そんな機会を今、こうやって与えてもらってるんだな、と、何にだかわからないけれど、感謝の念もわきました。

でも、やっぱり家族全員が、心細い思いをしましたね。

宣告後も、入院中も、治療中も、そして逝ってしまった後も。

妹も、ずっと月命日に墓参りに行っていましたし、私も帰る度に、必ず訪れています。

アメリカだと、こういうときにサポートグループがあったりして、心のケアも充実しているのですが、

日本にも、がんとか終末ケアについて相談できるサービスがあったらいいのになあ…と思っていたら、クライアントがまさに、そんなことを始めました。

というか、そういうことができる資格を十分に持った方が、現れたので、「やれ、やれ」とけしかけて始めさせちゃった感がありますが(苦笑)。

この道、30年。

ずっと医療の現場にいた方で、終末ケアでも、常に死と向き合う過酷な体験を積んできました。

患者と家族のすべてを目撃してきたベテラン看護師の経験を生かして、「病の先の人生」へと歩いて行く力をくれるカウンセリングサービスです。

がんと宣告された方や、家族のためのかかりつけ看護師 かたおか さちこ
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