何を日常として見続けるかが人の「常識」を決める。住む場所・働く場所選びは、だから重要

ビバリーヒルズの椰子の並木

仙台でセミナーをさせていただいたとき、「東京に行ったりすると、やはり『情報格差』を感じます」という言葉をうかがいました。

え? このインターネットが当たり前にある時代に、情報格差って? しかも日本国内で?

そう疑問に感じたのですが、考えてみたら、格差を生む状況は確かにあるのかもしれません。

回りにいる人の考え方やアクションが「常識」になる

例えば、就職してから10数年、20数年、ひとつの会社で働き続けている方々がいるわけですが、自分にとっては、それは「ありえない」選択だったりします。

広告業界でキャリアをスタートした私にとっては、3年毎に会社を変えるのは、いわば勲章的なところもあって、ずっと同じ場所にいるなんて、移れない人、他から望まれていない人、上に上っていけない人、という印象を与えられたりもしていました。

そういう風に言うセレブ業界人たちに憧れてもいましたし、同様の思想を持つ先輩方が周囲にたくさんいらしたからです。

そう言われ続けると、早く出なきゃいけないな、しかも、ちゃんと「上」を意識してキャリアアップ、待遇アップする条件で出ないといけないな、というのが常識になります。

外資系の会社にいた時は、上層部にアメリカ人、イギリス人がいましたし、留学経験者も多数いたし、MBAを卒業したばかりの業界未経験者さんが自分よりも上の位置にポンと入ってきたりもしたし(少なくとも幹部候補の期待値として上という意味)。

中には、仕事を辞めて海外へ行く方もいらっしゃいました。

おつきあいしているクライアントさんも外資が多いので、人の入れ替えもあり、出産休暇で、出産したと思ったら、すぐに戻ってバリバリ働かれる方もいて。

となると、そういうのが「普通の生き方なんだ」と勘違いしてしまいます。

確かにその世界では普通なことなんだけれど、世の中全般を見回してみると、そうでもないかもよ、という状況があったとしても。

ああ、だから、どこに住むか。どこで働くか。誰と一緒にいるか、そういうことが、とっても大事なんだな。

何を「日常」として生きるかって、すごく大事なんだなと、あらためて思い返します。

自分の今は、その頃からすでに作られたものだったのだと。

情報の格差は、住んでいる場所で確かにあるのかも

情報格差、ということで言うと、先日、日本に行って、Googleで普通に検索をして、驚きました。

ロサンゼルスでしていたリサーチの続きだったのですが、同じ検索ワードで、同じマックで、同じブラウザで検索しているのに、「出てくる結果が違う」のです。

日本語優先モードにはなっているものの、英語による検索で、ここまで日本語の結果が出てくるとは驚き、というほど、検索結果の上位が日本語のウエブサイトで占められていたのです。

どうしても探していた情報にたどり着かないので、ブラウザの優先言語を英語に変えたところ、ようやくお目当ての情報を探し当てることができました。

それでも、出てくる結果は、アメリカにいた時と、やや違う。

インターネットにアクセスしている場所を読みとって、最適な情報を流そうとしてくれているからこそ、なのですが、ネット時代にあっても、得られる情報は、確かに微妙に異なるものなのだと実感します。

私はAmazonの日本、アメリカ、両方でプライム会員になっていますが、アメリカにいると、日本のストリーミングビデオや音楽にはアクセスができません。日本にいると、その逆で、アメリカ版にアクセスできません。

どこにいるか、ネットにアクセスしている状況からわかってしまうので、ブロックされるんですよね。

ネットフリックスなどでも同じです。

ハワイに移ったとき、あまりにも情報というものが入ってこないことに驚きました。

自分は、電車通勤の間に、何気なく見上げる中吊り広告から、どれだけの情報を得ていたか。

会社のランチタイムの会話や、テレビや、新聞や、本屋さんというものが、どれほど貴重な情報源だったか。

思い知らされました。

それからは、日本の人にも驚かれるほど、日本の事情を俯瞰してみていようと、あれこれ工夫を凝らしてきたのです。

移住して思う、場所による「基準値」の違い

地域や国を超えての移住をしたり、都会から地方、地方から都会への移住をしたりすると、目の前の世界が違うのはもちろん、そこで暮らす人々の考え方、基準値のようなものが違うことに気づくと思います。

私もハワイに行った時にまず感じましたが、ハワイからロサンゼルスに行ったときも、そしてロサンゼルスの郊外からビバリーヒルズ周辺に引っ越してきたときにも、価値観やら基準値の違い、というものを強く認識しました。

基準値とは何についてのことか、というと、例えば、このようなカテゴリで考えてみるとわかりやすいかと思います。

  1. 自主性/他人への依存の基準値
  2. 優しさ/厳しさの基準値
  3. 自由/夢/希望の基準値
  4. 可能性の基準値
  5. 豊かさの基準値

今、住んでいる場所が圧倒的に気に入っている一番の理由は、1,3,4,5の基準値が、自分にとって居心地良く、さらに成長を促してくれるものだからです。

では、自由に住む場所を変えられない人はどうすればいいのでしょう?

インターネットの時代、やれることは、いっぱいあるのだと思います。

バーチャルメンターをつけたり、積極的にトップの人たちが集まるフォーラムやらメディアから情報収集する習慣を身につけたり、「基準値」が高い人のブログを読んだり。

格差を認識していながら、自分のいる場所を嘆いていても、何も始まりません。

多少、居心地が悪いくらいがちょうどいいから、どんどん、背伸びして、上の基準値を持つ人々の集まる場所に出かけること。

それは、ネット上の場所でも全然、構わないのです。

オンラインサロン、フォーラム、通信講座、ブログ、ポッドキャスト、YouTubeの動画。

彼らが発信し、仲間を集めている場所に、もっともっと果敢に出かけていきましょう。