せっかくの内向型なんだから、自分の内的世界でワクワク・ドキドキ遊べばいいではないか

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「せっかくの内向型なんだから、自分の内的世界でワクワク・ドキドキ遊べばいいじゃない」

それは、とある内向的な(と自認する)クライアントの女性に向けて、私がメールした言葉でした。

超内向型であることで悩んでいたこともある自分が、いつしか開き直って、そう思えるようになったから出てきた言葉なのですが、彼女には、「せっかくの内向型なんだから」というところが、すっと深く響いたようでした。

実際、今、自分は「内向型で良かったなあ」と思っています。

本を読むことに何時間もじっと集中していられるし、ホームオフィスでパソコンに向かって、10時間でも平気で書いたり調べたりまとめたりしていられる。

映画を見て、小説を読んで、内省にふけり、ひとりニヤニヤし、興奮し、燃え上がり、哀しみ、ものすごい劇的なドラマを空想の世界で楽しめたりする。

外には何も表れていないかもしれないけれど、自分だけの世界は、ハリウッドの超大作スペクタクル巨編三部作くらいの興奮が延々と繰り広げられていたりするのです。

そういう「ひとり遊び」を「暗い」とひとことで片付けられていた時代もありましたが、というか、今も一部の人にはそうなのかもしれないですが、自分は、この傾向、とても好きだなあ、と感じています。

それは、もう否定しようがなくて。

それに、変えようがないし、その必要もないんだということが、半世紀(以上)生きてみて、やっと腹に落ちているんですよね、遅いけど。

かつて会社に勤めていた頃は、週末の二日間に予定が入ると、もうだめでした。

平日にずっと人と一緒にいるし、忙しければ自分の時間など持てない。内側に向かう時間が足りなくて、バランスがどんどん崩れていく。

それを、アジャストするのが、週末二日間の「ひとり時間」だったのです。

今は、イヤというほど、ひとりでいられてしまうので(笑)、かえって人恋しくて、スカイプセッションの時間が楽しみで仕方ありませんが。

人にはそれぞれ得意、不得意があり、向き、不向きがありますよね。それは、良い、悪い、とは基準が違うもののはずです。

内向的を肯定して、好きだと承認するだなんて、潜在意識レベルで自分をごまかしてるのだろうか?と思えた時期もあったのですが、残りの貴重な人生時間のことを深慮するようになってからは、いい歳して、何、我慢して、人に合わせて生きてんだろって、気にもなり、完全なる「開き直り」の境地に至りました。

そんな必要どこにある、と。

会社生活やめて、何したって自分で責任取ればいいだけだし。親も兄妹も日本だし。パートナーだって、実はかなりな内向型で家にいるの好きだし。

誰にも迷惑かけることなんかない。

だから、「せっかくの内向型を活かして」、本を読んだり、 空想したり、妄想したり、映画見たり、自然と「ひとりで」親しんだり。

そういう好きなこと、どっぷり楽しむ人生を選んでも良いではないか、と思うわけです。

それがない人生が考えられないし、それがあるから、 今の自分ができあがったわけで。

となると、すべてが愛おしく思えてきます。

好きなことを、好きと言い、思う存分、愉しめばいい。

とはいえ、こんなこと(↓)も平気でしますし、自ら好んで人と関わる機会を広げてもいます。交流会だって、主催します。

だから、とっても健全な、単なる「傾向」「趣味嗜好」なんだと思うのです。

それを、変えたり、違う誰かのふりをしたりする必要は、まったくないですよね。もちろん同時に、外向型を否定する必要も、まったくありません。

自分らしく生きるとは、自分をありのままで認めることからスタートするはずですから。

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【参考記事】

内向的だということで悩まなくても大丈夫。「僕ら」が生きやすい時代になりました