やっぱり自分は都市の暮らしが居心地いいと再発見

渋谷駅周辺再開発

生まれたのは東京都の江戸川区。川の向こうは千葉という下町でした。

3歳から母の実家がある千葉市に引っ越しました。バスで30~40分くらいかかる千葉駅周辺の街へ遊びに行くのが、家族のレジャーとなりました。お目当ては、当時はきらびやかなパラダイスのように思っていた「千葉そごう」(笑)。

ケチャップのかかったチキンライスやオムライスに旗が刺さった典型的なお子様ランチを食べ、屋上で行われるウルトラマン・ショーを見て、いろんな売り場の彩り豊かなディスプレイを眺めるのが、ひたすら好きでした。何か買ってもらえるからではなく、ただ売り場を見て歩くのが好き。その場にいるのが好き。そういう子どもでした。

でも、そうそう毎週、連れて行ってもらえるわけではないし、母親と一緒に行っても、さくっとしか見ることができないので、次第にひとりで行ってみたい願望が抑えきれなくなりました。

母に頼んでみたところで、小学生がバスにひとりで乗ることなど許されないと悟っていたので、「友だちの家に遊びに行く」と嘘をついて、ある時、ひとりバスに乗って千葉そごうへと遊びに行ったのです。小学校3年とか4年とかの頃でしょうか。

不思議と、ひとり旅に不安はなく、ただひたすら自由な自分だけの時間を持てることが嬉しくて仕方ありませんでした。時間制限なく、思う存分、そごうの売り場を隈なく見て、それだけで十分に満足をして、再びバスで帰ってきました。

何度かそんなことを経験して、しばらく経った週末、口裏合わせの友だちの家を訪ねると、そこのおばさんが「はじめ君、お母さんに嘘ついたね?」と怒った顔をして言いました。

ゲゲッ、しまった、バレた…。

昭和の時代ですから、嘘がバレようものならたいへんです。家を閉めだされて入れてもらえなかったり、押入れに閉じ込められて出してもらえなかったり、おしりを何度も叩かれたり。でもまあ、今となっては覚えてないほど、そんなお仕置きには懲りずに僕は何度も何度も、ひとりでパラダイスの千葉そごうに向かうのでした。それほどまでに、きらびやかな世界が好きだったんですねえ。

中学から高校に上がる時、中学校の同級生たちは、ほとんどが千葉市内の学校に進学したのですが、自分は、船橋や市川など、どこでも全然構わないけれど、「より東京に近い学校」にフォーカスを合わせてぶれたりしませんでした。

大学ももちろん東京の大学に通い、就職も東京。そして、20代後半になると海外旅行で、ロンドンやミラノ、サンフランシスコ、ニューヨーク、シカゴ、アムステルダム、ソウル、バンコクなど、いろいろなタイプの「大都市」にばかり旅をするようになったのです。

そんな僕がなぜか1994年に移り住んだのはハワイという南の島。

楽園と呼ばれる自然の魅力にはあふれていたものの、都会と田舎のギャップに戸惑い、最初の数年は折り合いが取れなくてたいへんでした。都会のきらびやかなネオン、右から左から湧き出るように次々と押し寄せてくる人の波、電車の中吊り、交差点の喧騒、電車の混雑、賑やかな音楽が流れる活気ある街並み、始終変化し続けるエキサイティングな世界。

そう言ったもののすべてが恋しくて、寂しくて、その部分では、ずいぶんとホームシック陥ったものでした。

あれから20年。東京に来る度に、「僕の本質は何も変わってないんだなあ」と実感します。

地下鉄をスイスイと乗り継いで目的地に辿り着き、どこで乗り換える時にどの車両に乗ると便利だとか、かつての記憶もちゃんと残っていて、ひとり苦笑い。都会の生活に慣れなくちゃと、あえてエスカレーターでも右側をスタスタと歩いて登る。時折、とんでもない長いエスカレーターに出くわして、足がプルプルしちゃいますが(笑)、それもまた都市生活の醍醐味、みたいな。

友人らとランチをして、渋谷ヒカリエの上階に上って、駅周辺を眺めていました。(トップの写真がそれ)

ビルに吸い込まれる銀座線や、外国人がiPhoneでビデオを撮って興奮している駅前のスクランブル交差点、信号が変わる度にお行儀よく走って停まる車たちを見つめながら、ああ、都会は落ち着くな、とふと感じて驚く自分。

普通は癒されにハワイに行ったりするもんですけどね。都会に来ると、落ち着いて癒やされている自分がちょっと不思議です。これからももっともっと機会を作って来なくっちゃと元気が出ました。