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僕が走る理由を作ってくれた2人の恩人

honolulu marathon

1998年に僕がフルマラソンを走ることになった理由を作ってくれた、恩人とも言うべき方が2人います。

村上春樹さんと上岡龍太郎さん。

村上春樹さんは僕が大学生の時にデビューされて、同じ大学ご出身ということもあったし、アメリカの匂いが濃厚にする文体が大好きでファンになりました。3つ目の長編「羊をめぐる冒険
」が出たのが大学4年の時で、ページをめくるのがこんなにワクワクと楽しく読める文学作品があるのかと衝撃でした。

エッセイも短編も中編も長編も翻訳も、ハワイに行くまでは一冊も逃さず読み続けてきました。一番、好きなのは、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」かな。いろいろ思いがあって。

彼の文章に垣間見ることができるアメリカの影響が大好きだったし、日本のしきたりや伝統やオジサン社会との間に彼や彼の主人公が持っている距離感も、自分にとっては、自分を重ねて読める心地よいものでした。文体も個性豊かなメタファーも、内にこもって表には弾けることのできないキャラクターもすべてが好きでした。

春樹さんは、折にふれて走ることについて書かれていました。ボストンに移住された時の描写も忘れがたいもので、素敵な川辺で、地元の方々と交わって走るエッセイは、自分の憬れそのものでした。

生活の中に走ることが定位置に収まっていて、書くことと、生きることと、それは一体になっている様子が、いつしか自分の理想になっていました。いつか、きっと自分も…。そんな強い思いは潜在意識に刻まれていったように思います。

それでも僕のランニングは、ジムのマシンで20−30分、汗だくになるのがせいぜいでした。1997年の末にMBAが終わるまではタバコも吸っていたし、何よりも、自分がマラソンを走るなど、想像もできなかった時代が長く続きました。

1994年にハワイに移住して、最初に務めた会社はPR会社でした。観光局の日本マーケット向け広報プログラムを担当していましたが、当時とくに関係が濃かったのがマウイ観光局でした。旅行者マーケットなので、日本から大量に観光客が訪れるスポーツイベントは、島の大きな収入源となります。マウイ島が力を入れ、独自に広報予算も割いていたのが、その頃、上岡龍太郎さんがスポンサーをしていたチャリティイベント「マウイマラソン」でした。

関西系を中心にテレビ局や雑誌が多数訪れ、芸人さんたちも引っ張り込まれて初マラソンにチャレンジする大会。ホノルルマラソンとは違って、日本人参加者もせいぜい数百名という規模でしたが、それでも全体の3割くらいを占めるほどに成長し、僕らの会社はメディアのコーディネーションをしたり、インタビューのアレンジをしたり、観光局とメディアとの橋渡し役として、重要な役割を果たしていました。僕も数年間、島に出張してお手伝いをさせていただきました。

「マラソンを始めたのは45歳の時」とおっしゃる上岡さんのお話に触発され、当時まだ30代半ばの僕も、チャレンジを始めたのです。正確には98年暮れのホノルルマラソンが初マラソンとなりました。それから14年。ずいぶんと長い道のりを来たような気もするし、なんだまだそんなものか、という気もします。

初マラソンは5時間40分。翌年が4時間40分。それが4時間20分になり、3時間58分になり、50歳になった2012年の春にLAマラソンで出した3時間38分が自己ベストです。50歳~55歳だと、3時間30分を切ればボストン・マラソンへの出場資格が得られるので、そこまで頑張ってみようかなと、今はゆるゆると挑戦中…。

フルマラソンは、途中から数えることもやめてしまいましたが、20回以上は走っています。その度に、思い出すのは、上岡龍太郎さんが参加者に向けて講演をされた時のお話です。

マラソンは、人生のようなもの。

スロースターターもいれば、スタートダッシュから一気に駆け抜ける人生を経験する人もいる。

ある人はペースが早すぎて途中リタイアしなくてはならず、ある人は前半で貯めたエネルギーを活かして、後半グングンと他のランナーをゴボウ抜きにしていく。

マラソンランナーは、自らの人生の他に、こんな風にレースを通じて、何度も人生を追体験することができる。何とも幸運な存在なんです。

正確な言葉ではありませんが、そのような主旨だったかと思います。

僕は人生において決してスタートからダッシュできたわけではなかったし、その講演を聞いている時でさえ、まだまだスタートもしてないように感じていた時期だったので、このお話がより心に染みました。

僕は人生もマラソンも、本当にスロースターターですが、コツコツと、亀のようにゆったりペースで走り続けることは不得意ではないんだなと知りました。

周りを見ると疲れて後退してしまっている人もいる。いや、まだまだだよ。一緒に頑張ろう。僕は立ち止まって、おにぎりを分けて勇気づける。

先の方に行ってしまって、とっくに見えない足の速い人たちもいるけれど、僕は僕の人生を走ればいいんだと分かっています。ゆっくりトコトコ走っていると、いろんな景色が見えてきます。風の匂いを感じ、花の色に癒やされて、人の笑顔に勇気づけられながら、自分らしい人生とは何かを思い出すことができるようです。

マラソンをしていると、立ち止まりたくなるようなピンチは何度でも訪れます。エネルギーが切れて、もう足が動かない…。残された長い道のりの厳しさを思って、大の大人ですが、泣きたくなる時もあります。

でも、一歩一歩、足を前に出し続けてさえいれば、歩いたって、タイムなんか遅くたって、ちゃんとゴールに辿り着ける。歩いたっていい。だけど、リタイアしてはいけない。迷っても、苦しくても、とにかく前にだけ足を進めていこう。そんな風に思えるようになったのは、マラソンを通じて教わったことの最大のレッスンです。

そんな話を先日も書いていましたね。

⇒ 「歩き続けてさえいれば、マラソンだっていつかゴールできる」

村上春樹さんと上岡龍太郎さんがいなければ、僕はきっと走ることはなかったかもしれません。マラソンを通じて教え込まれたことの大きさを思う時、お二人への感謝の念が沸き起こります。上岡さんとは何度かお話させていただく機会がありましたが、村上春樹さんは、ハワイのダイヤモンドヘッド~カピオラニ公園付近で走りながら、すれ違いにご挨拶したのが、最も接近した状態です。いつか一緒に走れたら嬉しいな。

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