新しい大人というステキな概念を提唱する『50歳を超えたらもう年をとらない46の法則』

50saiwokoetra

「いつまでもセクシー、いつまでも現役で!」という記事を書いたばかりですが、それなりに反応いただいたので、関連するお話を引き続き。

先日、『50歳を超えたらもう年をとらない46の法則 「新しい大人」という50+世代はビジネスの宝庫』というステキな本を読みまして、刺激あふれる言葉たちを、ここにご紹介いたします。

書いた方が、若干40歳とお若いので(という言い方が、とても年寄りっぽい、と今、感じておりますが・苦笑)、いや、そこは感覚が、あるいは表現がちょっと違うでしょう、というところが若干あって止まることもあるのですが、それも含めて、楽しかったかな。

どの世代の人が読んでも、そう感じることがある、っていうところに、この本の主旨というか、ポイントもあるんですよね。

「皆、自分は例外と思っている」というところ。

そうそう!と共感する言葉や概念がたくさん散りばめられておりまして、好きだなあ、こういう社会学系の本、と思うわけです。

ちょっと外れますが、実は大学の選考は、文学部の中にある社会学・心理学でした。本当は日本文学とか選考したくて入ったんですけど、1年生の終わりに選考を選ぶ時になって、一般教養で学んでいた心理学系の話がとても好きになって、やっぱこっちがいいや、と方向転換したのでした。

結果、マスコミとか、社会心理とか、家族とか、コミュニティとか、精神病理とか、その後の人生にずーっとつながって一本の線になっていく事柄を、いろいろと学ぶ結果になったのです。

スティーブ・ジョブスの有名な「点」のお話は、本当にその通りだなあ、と思う次第。その時、その時は、なんだか意味が分からず、惹かれるままに動いているだけなのに、跡で振り返ってみると、ちゃーんと一本の線につながっていたりするのだから。

話を戻します。

この本は、博報堂で、14年以上も団塊世代を研究してきたという部門の所長さんが書かれた本。その部門は、いまや50代以上=「フィフティ・プラス」を研究する『新しい大人文化研究所』という名前になっているようです。

アメリカでは、戦後からシニアの定義が50歳以上、つまり50+で、AARPという、とても力を持ったシニア団体の加入資格は、今でも50歳なんですね。

でも、実態はこの数十年で大きく変わっていて、その区分けに、あんまり意味などないように思います。70代でさえ、シニア、という言葉が「似合わない」というのは、アメリカも日本も共通するところかなあ、とも思います。

この本で違和感がちらっと出てしまうところがあるとしたら、50代と60代を一緒に論じてしまうところかもしれません。それは、年齢感からくるものというよりも、とくに日本では、定年前と定年後、という区切りがあった方が、論じやすいんじゃないかなあ、という風に思ったためです。

ただ、団塊~ポスト団塊の世代を軸にして、その影響を色濃く受けて育ってきた、その次の世代、ということで言えば、50+は、まさにそうなんでしょう。

ちなみに、団塊世代とは、1946~50年、ポスト団塊とは1951~59年生まれのことを意味しているようです。(その次は、バブル世代、ってことになるようです。)

(参考:JTB総合研究所「団塊世代、ポスト団塊世代のライフスタイルと今後の旅行消費に関する調査」)

彼らのオピニオンリーダーぶりは相当なものだったわけだし、彼らこそが古い価値をぶち壊し、「若者文化」というものを作り上げた人々だった、と本が論じるように、そのすぐ下に位置する私なども、大きな影響を受けて育ってきたのは事実です。

以下に、少し引用をしながら、印象に残る部分を紹介しましょう。

オジイサン・オバアサンがいなくなる!?

超高齢化社会になっているのに、この本では、「オジイサン・オバアサンがいなくなる」と宣言しています。え?と思うでしょうが、すごく納得の見解なのです。

日本が超高齢社会になってどうなるかといえば、実はオジイサン・オバアサンがいなくなる、という全く逆の現象が起きているといっても過言ではないのです。もちろん肉体的には同じようにいかない面もあるでしょう。しかし少なくとも精神的にはそういえそうです。

以前、セカンドライフ、なんて言葉が流行ったことがありましたが、最近は、とんと聞かなくなりました。(ゲームではなくて、概念としての第二の人生のこと)

定年後に、また新しい何かを始めるようなことだったはずですが、最近は、定年を待たずに、20、30、40歳代から、当たり前のように「次」を考えて生きるようになったからなのかなあ、とも思うのですが、リストラや倒産も増えて、強制的に「次」を生きなければならなくなったこともあるのかもしれません。

この本では、「人生これから感」が、人の心を若く保ち続けると言っています。死ぬまで現役、っていうことですね。

つねに次の何かにトライしているということです。次の何か、次の自分をつねに考えるということが重要であるように思えます。つまり「人生これから感」を持つということです。

一般的に、今この世代について語るときには、「まだまだやれる」とか、「もう一度青春」などと言われます。しかし、そうした一般的な言われ方自体がやや的外れではないでしょうか。「まだまだ」でもなければ「もう一度」でもない、「これから」なのです。

「人生下り坂感」から「人生これから感」への転換であり、「枯れていく老後」から「人生最高のとき」への大転換です。「人生仕上げの時期」を「人生最高のとき」にするという個人としての大事業です。それは大きなチャレンジです。だからこそ活力が生まれるのです。

身近な70代前後の諸先輩方を拝見していても思うのですが、実際には孫もいて、立派な祖父母であっても、彼らが、従来の「オジイサン」や「オバアサン」か、というと、もうまったくイメージが違うのですね。

それは、ハワイやロサンゼルス、という場所柄がそうさせるのか。いや、日本でも、そうじゃないでしょうか。

この本の中で、例に出てきた有名人のおひとりで、阿木耀子さんがいらっしゃいましたが、御年70歳となっていて、ひっくり返りそうになりました。要は、そういうことなんですよねえ。

50+が、新しい日本の規範を作る!

こちらの研究所さんでは、全国の2700名の40~60代を対象にリサーチをした結果をまとめ、重要なデータを紹介しています。

そのひとつが、「どういう大人になりたいか」という質問の答え。

そもそも、大人になる、って、もうとっくに、大人な人たちに尋ねる質問としては、不思議な気もするのですが、それがすでに、日本の今の空気感を表したことなのかもしれません。

以下が、その答えだそうです。

1位 「今の自分を幸せに感じられる大人」 82%。
2位 「知性・教養を持った大人」 79%、
3位 「既成概念にとらわれない柔軟な大人でありたい」
   「モノゴトの本質がわかる大人でありたい」
   「家族や親族を大切にできる大人でありたい」 同率77%

物質的なことでもなく、いずれも精神的な深い充実を表す言葉が並び、嬉しく思います。「自己実現」の領域のことばかりですよね。

物質ではなく、「本質」。周りと比べるのではなく、「今の自分に満足・幸せ」を感じられるということで。そういう大人になりたい、あるいは、ありたい、という願望。

素晴らしいと思います。

そう思うグループが発信力を持ち、自由な表現で影響力をどんどん発揮することで、日本には、かつてなかった、新しい大人世代、大人文化が生まれていくのではないだろうか、と書かれています。

まさに、そうなっていくのが、本物の成熟ですよね。高齢化じゃなく、本物の大人化

ここに、期待したいし、自分も関わっていきたいなあと思います。

まさに表面的な「若さ」ではない「新しい大人世代」が日本に誕生しようとしているのです。そして、「日本人の規範意識を自分が創っていく」、ひとりひとりがその「主体」としての気持ちで明日から行動する。そう思うときに個人としての気持ちもまた「日々新たにされていく」のではないでしょうか。その「新たな意識」が集合体となったとき、日本に「新しい日本人の規範意識」が生まれるのです。

おしゃれは「生きる力」を生む自己表現

自分らしいおしゃれをし、自分なりの満足がいく自分でいようとすることは、単なる自己愛的なものではなく、「社会参画意識」「自己表現」という枠の中で考えることなのだと教えてくれます。

いつまでも現役感を保つ上で、ここは欠かせない部分だと思います。自分に手を抜く、ということは、社会との関わりから、一歩も二歩も、引いていく、ということの気持ちの表れだと思うからです。

化粧やオシャレは不思議にその人を元気づける力があります。それは「自分のため」でありながら、同時に「社会とのつながり」意識がそこで生まれ、また、ケ(日常)からハレ(非日常)へ向かう気持ちが生まれるからでしょう。

化粧をする、オシャレをする、ファッショナブルであろうとする、ということは、ハツラツとした「人生の原動力」をつくるひとつの源になるのではないかということです。それはおそらく、自分の気持ちを高め、「社会との関わりのなかで自己表現ができた」という感覚が得られるからだと思われます。

 オシャレや化粧を「自分」のためにする。それは単に着飾るということではなく、また、いい歳をして、と非難されるようなことでもなく、社会との関わりのなかで「生きる力」を自分のなかに創り出すことだ、といえるのです。

新しい大人のライフスタイルの担い手になる

ライフスタイル、という言葉が、これからもどんどんメディアには出て行くのだと思います。

私はそれを、「日々の意識的な選択の積み重ね」で実現した「選択」である、と、表現したりもしています。

驚いたことに、調査対象の94%が、「自分なりのライフスタイルを創造したい」と考えていて、とくに50代だけを見ると、なんと99%がそう答えたというのです。

いいですね~。

今、まさに私の周りのほとんどの人が意識していることでもあり、「新しい」をキーワードに盛んに常識の上塗りを提唱しているところです。

犠牲者になっている場合ではありません。自分たちが、「新しい」を作っていく担い手なんですよね。

まさに日本ではこれから「大人のライフスタイル」の創出が期待されるのです。とりわけ、日本では更地で何もなかっただけに、これまでにない「〝新しい〟大人のライフスタイル」の可能性があるわけです。

団塊世代・ポスト団塊世代が60代になったときに、かつて若者文化を生んだように、今度は「新しい大人文化」を創り出してもいいのではないでしょうか。そのベースになるのが「素敵な大人の二人」だと思うのです。

今は、「夫婦の旅」とか、そういう言葉がもう流行らないらしいです。

というより、行くのは大好きなのですが、夫婦、という言い方よりも、「大人の」という言い方にしないと、老けてる感が出ちゃうのかな、というところみたいですね。

大人の、もそうですが、「男旅」とか「女子会」とか、最近、目にしますが、そういうのもこれからの新しいスタイルとして広がっていく。とくに、旅と食のところを、この本では紹介していました。

あと、新鮮だったのが、こちらの「介護」についてのコメントです。

支えられる側になるのではなく、一生現役で、いっそ「支える側」になろうじゃないか、という提案には、心がプルプルと震え、感動してしまいました。

そうだ、そうだ、絶対に、そうあるべきだし、ありたいな、と思います。

「介護」も「社会性消費」も自分が「支えられる側」になるのではなく「支える側」になる。これが「新しい大人世代」です。それが、まさに今始まろうとしています。社会に「支えられる側」からいつまでも現役生活者で社会を「支える側」へ。まさに、さまざまな意味での「共助」への転換が今始まろうとしているのです。

「健康」は目的ではなく、人生をまっとうするための手段!

人生「これから感」で満たされている新しい大人世代にとっては、「終わり感」というのは、ないわけです。

どこまで行っても「次」というのがあって、常に新しく、常に初めてで、常に若々しく、常にドキドキ、ワクワクしている。

それが新しい大人世代。

伊勢神宮が遷宮をして若返ったように、人間も常にアップグレードし、進化し、リニューアルし、「常若(とこわか)」を習慣づけていけばいいんですね。

「健康」は目的ではなく、手段です。そして目的は「充実した人生」「楽しい人生」でありたい、ということなのです。  その「充実した楽しい人生」ということの先に「人生を全う」する、ということがあるのです。

「人生最高のとき」にする、というのはまさにその仕上げのときであり、また、何かしら悔いが残っているとすれば、それを挽回するときでもあるわけです。「人間死んだらお終いよ」とはよく言われますが、実は「死はお終いではない」のです。なぜなら、人が亡くなった後にはその人について皆が語ります。

伊勢神宮は2013年に式年遷宮がとり行われました。その伊勢神宮の精神として語られるのは「常若」です。唯一神明造りの社殿は式年遷宮によって、つねに新しく、つねに若々しいのです

いやいや、とっても刺激をたくさんいただいた本でした。

心に残ったキーワードは、「新しい」「チャレンジ」「はじめる」「これから」「大人」。

自分らしい生き方を常に意識し、充実したライフプランを描こうと真剣に考えているすべての方におすすめします。