大人は進んで「希望」を語ろう。未来を担う子どもたちに夢と自信を

ハワイやロサンゼルスに住んでいると、日本人もやはりアメリカ社会に影響されて、大いにポジティブで、大いにリラックスし、大いに未来志向になっていくように思います。

ライフコーチをさせていただいている日本のクライアントさんも、自ら成長の機会を求めて、こういうことに興味を感じているくらいですから、ひじょうに根が前向きで、自らの可能性を信じている方々ばかり。

という体験をしている自分が、いざ日本に行ったりすると、あれ、と目を疑うようなことに遭遇します。ふと歩いていて目にする風景。同年代の発する言葉。テレビの中から聞こえる発言。マスコミにあふれるトーンが、どうにもこうにも、明るさを感じない。未来に希望を感じにくいイメージです。

昨年1カ月と少々、日本に滞在しましたが、その時につくづく感じたのも、そんなこと。

こういう社会にいたら、海外に出ようとか、起業しちゃおうとか、人生を大きく変えようとすることは、なかなか考えにくいものかもしれないな、と妙に納得しました。なんだか見えないドームの中に閉じ込められているかのように、自らを縛る「限界」という壁がそこかしこにあるようです。

それ以来、日本の皆さんが夢を見る力を思い出して、キラキラと輝かしい瞳で未来語る日々を過ごせたら、という思いで日本の社会を細かくウォッチするようになっていきました。

と、そんな時、とても残念で、どよーんと心が沈んでしまうような日本の若者対象の調査結果を拝見。人気ブロガーの方が紹介していらしたのが広まって読まれているようです。

⇒  日本の若者は人生に絶望していて自信もやる気もなく将来も真っ暗。政治家、路上チューしてる場合じゃない

ここで引用されているのは、内閣府で行った「平成25年度 我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」というもの。

ぜひ皆さんにもご覧いただきたいのですが、「人生の満足度」や、「自分に対する自信」や、「自分の考えをはっきり伝えられる」や、「40歳になった時の幸せ度」など、すべてにおいて、主要各国と比べた時に最低の数値。それも、かなりダントツで最低レベルなんですね。

セルフイメージ、未来への希望感、生きがい、と言ったもの、すべてが、各国に比べて見事に低い。

悲しくなりますね…。

ブロガーさんも語っていますが、これは社会全体の責任。つまりは、大人の責任です。

人はみな、夢を見ることができるから成長もしようと願うし、前に進んでいこうと思えるのだと思います。それこそが、生きがいの素になるものですよね。

若い頃は、どうしてもクールに構え、世の中との折り合いが取れずに、もがいてしまうことも多いとはいえ、それは各国共通のはず。

日本だけがなぜこうも「希望感がない」のか…。

国の外に出て、外から眺めているから余計に気づきやすいのだと思いますが、やはり日本固有の風土によるものが大きいと思います。

終身雇用制で雇用を守ってきた、保険や福祉がしっかりし、会社や国を頼っていれば安心だった高度成長期。

しかし、人は保護されると自立心を失って、逆に弱くなるものです。

それは、保護政策下で競争力をなくしていく産業を見れば、一目瞭然ですね。既得権に依存して、努力をしなくなる。創意工夫などしなくても、チャリンチャリンと自動的にお金が入ってくるなら、だらけてしまっても仕方がない。

そして、ある時、突然、その保護が外される。

終身雇用は崩壊し、超高齢化によって、国の制度も危ういものになってきました。経済は停滞し、会社も社員を手厚く守る余裕がない。

守られてきた中で生存本能が弱まってしまった国民は、何をしたらいいのか分からず、迷い子になってしまいます。

そんな大人が無意識に発する言葉たちは、きっと夢のカケラもないのでしょう。

だから、それを見て、聞いている子どもは、人生なんて生きていても良いことがないと、希望の存在を知らずに育ちます。

夢など見ても叶わないと教えられて育つ子どもは、夢の見方も知りません。そもそも、大人がそれを知らないのだから、仕方ない。

日本では、たいがい「夢なんか見てないで、地道に目の前のことをしろ」って言われて育つわけですが、夢を見ることと、地道に前のことに取り組むこととは、別物であって、両立するものです。

どちらか一方しか選んじゃいけないわけではありませんよね。夢があるからこそ、地道で辛いことであっても耐えていけるはずです。

夢を見る、思いを描く、というのは、僕はスキルだと思っています。

鍛えれば、鍛えるほど、どんどん上手になっていく。そのためには、心のブレーキを外し続けなくてはなりません。

今の日本は、「ブレーキだらけ」の社会。

僕が育った時代も、何だか夢を見るにはほど遠いところもありましたが、でも成長していたし、世界でも勝てていたし、頑張れば上に行ける、明日は今よりもっと良い、と信じられる何か確固としたものがあったように思います。そういう上り調子のムードは確かにあった。

しかし、失われた20年を経て、社会は大きく疲弊し、絶望し、夢を見る力を失ってしまいました。上り調子の過去を「浮かれていた」「うたかたの夢」と葬り去るのは、あまりにも残念。先人たちが、戦後の傷心から立ち直ろうと、必死に努力した結果だったはずで、実体のある夢だったのに。

誰かがブレーキの外し方を教えてあげなくてはいけないのだけれど、長い間に凝り固まった思考や体制は、ちょっとやそっとでは変えるのは難しいようです。

最近、ハワイやロサンゼルスの皆と良く話すのですが、海外に出た僕らが果たすべき役割は、日本にこそあるよね、と。今だからこそ、日本に戻ろうよ、そして語っていこうよと盛り上がります。

年齢など関係なく、国籍など関係なく、努力すれば報われる、明日はきっと今よりも良くなると信じられる未来志向の考え方。そして他人がなんと言おうと関係ないじゃないかと、ポジティブな「ジコチュー」になれる鈍感力。人や社会に惜しみない貢献をし、自らが環境を変えていこうとする主体性。

アメリカ社会は実に問題だらけだけど、つくづく、こういう良い考え方、人生に対する取り組みの姿勢を教えてくれたなあと、ありがたく感じる今日この頃です。

どっちが上とか下とか、そんな次元の話ではないのです。

すべての人に、すべての社会に、僕らは学ぶ機会があるはずです。良いところは、謙虚に学んでいけば良いと思います。卑下することなく、自己否定することなく、ただ素直に受け入れれば良いではありませんか。

自信があり、真に謙虚な心があれば、逆にそれができるはずなのです。

そして、あらためて日本が良いと思うところは認めて、自信を持って、世界に広めていけばいい。Win-Winの関係です。

今も、数名の知人、友人が、日本に行って、あちこちでこんな話をしています。

来週から行く友人もいるし、これからこういうことを日本で伝える人になりたいと言っている仲間も無数にいます。

海外体験を経て、今、日本でそういうことを活動の中心にしている知人たちもいます。

海外に出た僕らだから見えること、わかることを、何とか上手に伝え、日本の社会が再び大きな夢を見る力を取り戻していくための、ささやかな力になれたなら嬉しいです。

優越感、劣等感、そんな次元を遥かに超えて、大人たちがまず、希望を感じる心や、夢を見る力を取り戻していくことからスタートしていけたら、どんなにか若者にとって心強いことかと思うのです。

ライフコーチのセミナーで、時折「こういう話は息子に聞かせたいなあ」とか「今日、帰ったら娘に聞かせますよ」と言っていただくことがありますが、いやいやお父さん、お母さん、まずあなたが変われば、お子さんたちはそれをしっかり感じ取って、見本として、そんまんまを生きてくれるはずですよと伝えています。

50歳を過ぎたりすると、なぜか自分はもう終わったものとして、子どものこととして、すり替えてしまう人がいるのです。

そんな発言の根底には、年齢に対する先入観、そして深い諦め感が読み取れて、それだけでもう、ブレーキだらけ。子どもは鋭くそれを察知して、年を取ることを恐れ、未来に絶望していくのでしょう。

大人の皆様。ぜひ、一度、しっかりと厳しい調査の結果を見つめてみて、「まずは自分が変わる」ことから始めていってはいかがでしょうか。

絶望も連鎖しますが、希望だって、ちゃんと連鎖します。

夢見る大人が、夢見る子どもを創るはずです。

夢を見ることを、幼いとか、夢想家とか、揶揄する風潮も一方ではありますが、夢を語り、夢を見ることの大切さを教えるのは、大人の責任であり、義務である、と、僕は強く信じています。