カミングアウトは究極の浄化作用。癒やしには「自己開示」が効く

子供の頃から、ずっと「個性的な人」に憧れていました。

先生や他の学年の生徒からも、すぐに名前を覚えてもらえるようなスター生徒が、いつの時代にもいたと思います。自分が目立つことは、死ぬほど恥ずかしいことだったくせに、キラキラと華やかに輝く彼らの姿は、眩しくて、羨ましかった。

そんな彼らに共通するのは、「個性がある」ということだと思っていました。

どことなく人とは違う「彼ららしさ」があり、それは嫌味でも奇妙でもなく、彼らの好感度を一層アップさせる好条件となっていたように思います。

それに比べて自分は、なんて個性がなく、平凡で、普通の存在なんだろう…。つまらないヤツ。

そう悩んでいたのです。大学に入る頃までは。

大学に入ったら、なんだか世間一般の大学生のイメージに溶け込めず、もともとの内向的な性格が強調され、ひとりの世界に閉じこもることも多くなりました。

いつしか、そんな自分は「変わってる」と言われるようになりました。テニスやスキー、合コンといった男女関係が強調される場に参加することができなくて、遠ざけていたら自然とそうなっていったのです。

個性的、というと好ましく聞こえるのに、変わってる、と言われると、それは望ましくないこととして響きます。単に「人とは違う」ということが言いたいのかもしれませんが、本人には「変なヤツだ」「気持ち悪い」と言われるのと一緒で、今度は、そのことが面倒くさくなっていきました。

そんなこと気にもしてないという素振りをしつつも、どうしたら皆と同じになれるのか、「普通になりたい」と願うようにもなったのです。

それでも、仕事をするようになって、何となく周りからも認めていただけるような働きができるようになると、「変わってる」と言われることは、とくに気にならなくなりました。何かが認められると、人はとくに些細な違いにとやかく言わないものなんだなということも学びました。だから、より、成果を出そうと頑張ったのかもしれません。

その頃、何が変わってると言われたのかというと、ものすごく本が好きだったり、TVがマニアックに好きだったり、あんまり人付き合いが良くなかったり(仕事の帰りに飲むとか、そういうことで)、ゴルフに興味がなかったり、女性の影がまったくなかったり(苦笑)、週末やプライベートに何をしているのかをあまり表に出さなかったり、そういうことのようでした。

ごく身近な女友だち以外には、ゲイであることもとくに宣言はしていませんでしたから、ミステリアスに写る部分も多かったのかもしれません。内向的な人は、とかくそう思われる傾向はあるようですね。

ハワイに移住してからは、もうウソを付くのは懲り懲りだと思って、学校でも職場でも自己紹介のひとつとして必ずさらっとカミングアウトをしてきました。それさえ告げてしまえば自分には隠すべきこともまったくなく、素のままで人と接することができることを知ったからです。実際、そのことを言った後は、ほとんどの人と仲良くなることができ、それが原因で遠くなった人などまったくいませんでした。

ハワイに移住したことだけでも、きっとマジョリティの人とは違うかもしれないのですが、そこでアメリカ人男性と暮らしたり、後にはベジタリアンになったり、マラソンを始めたり、読書家として多読を極めたり、交流会を始めたり、セミナーをしてみたり。好きなことを好きと言い、ほしくないものをほしくないと言ったりして、Yes、Noを、なるべく誤解を与えないように、気を使いながらもはっきりと伝えるようにしてきたら、「自分とはこういう人である」ということが、自分にも見えやすくなってきたし、それは周りの方々にとってもそうだったようです。

ブログでライフスタイルなども公開するようになってからは、とても「個性的な人」として見ていただけるようになりました。不思議なものです。

以前、個性的な人に憧れていた頃や、変わっていると言われていた頃は、隠しておきたいことがあって、本来の自分を出すのが逆に怖かったのです。だから、ありきたりの自分を演じたり、ひとりの世界に閉じこもったりしていました。

人との違いを好ましいものと認識して、すすんで本当の自分を出すように努めたら、世界はまったく変わっていきました。

人はひとりひとり、本来は違う存在だし、好き、嫌いも同じはずがありません。

だから、きっと、世間の常識に縛られず、思うままに好き、嫌い、ほしい、ほしくない、嬉しい、楽しい、悲しい、という心から湧き上がる感情に従って表現をしていったら、十人十色、皆がきっと「個性的」な存在として認められるのだろうなと思います。

ライフコーチのセッションでは、まず「自分を掘り起こす」というステップを踏んでいただきます。人は、自分のことを知っているようで、実は知らなかったりします。こうでなくてはならない、という世間一般から期待される像に沿うように生きていたりして、本当の自分が見えなくなっている人もとても多いのです。

僕は今、「変人」と呼ばれることさえもまったく恐れなくなりました。人と違えば違うほど、それは個性が強い=自分を認識し、本当の自分に正直に行きている証だろうと思うからです。

もっと変人と呼んで~と嬉しくなるくらい(笑)、変わっている、という言葉は自分にとって褒め言葉。

ライフコーチのクライアントさんたちも、影響を受けて、「変わっている」と言われると嬉しいんですよね、と言ってくれる人もいます。常識なんて、人それぞれ。周りに合わせて個性を殺して生きても、つまらないですよね。

社会のルールは尊重して守りながら、「自分らしい」ということを大事にして生きていきましょう。どんどん自分を表現して、皆で変人と呼ばれましょう(笑)。